韓国が開けた「個人請求権」というパンドラの箱

池田 信夫

「徴用工」問題について「日韓請求権協定で個人請求権は消滅していない」という人がいる。その代表が宇都宮健児氏である。彼は韓国の新聞にこう書く。

元徴用工などの個人の損害賠償請求権を国家間の協定によって消滅させることができないことは、今や国際人権法上の常識となっているものである。

1991年8月27日の参議院予算委員会において、外務省の柳井俊二条約局長(当時)は「いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません」と答弁している。

これについて河野太郎外相は、ブログでこう答えている。

日韓請求権・経済協力協定により、一方の締約国の国民の請求権に基づく請求に応ずるべき他方の締約国及びその国民の法律上の義務が消滅し、その結果、救済は拒否されます。つまり、こうした請求権は権利としては消滅させられてはいないものの、救済されることはないものとなりました。

これはわかりにくいが、韓国人に個人請求権はあるが、日本企業がその請求に応じる義務はないという意味である。

他方で宇都宮氏は、2007年に中国人強制連行の被害者が西松建設に賠償を求めた事件の最高裁判決を引き合いに出し、こう書いている。

実体的な個人の賠償請求権は消滅していないのであるから、日本企業新日鉄住金が任意かつ自発的に賠償金を支払うことは法的に可能であり、その際に、日韓請求権協定は全く法的障害にならないはずである。

これは河野外相と同じだ。韓国側には個人請求権があるが、日本企業にはそれに応じる義務はないので、西松建設のように「任意かつ自発的に」和解すべきだというのだ。

どちらも請求権協定を前提に考えているが、これは韓国の大法院判決とは違う。この判決は「原告らの損害賠償請求権は日本政府の韓半島に対する不法な植民支配および侵略戦争の遂行と直結した日本企業の反人道的な不法行為を前提とする強制動員被害者の日本企業に対する慰謝料請求権」だから、請求権協定の適用対象外だとした。

つまり日韓併合条約は不法だから、その被害には請求権協定が適用されず、原告は日本企業の資産を差し押さえて賠償を強制できるというのだ。これは論理的には成り立つが、裁判所が100年以上前の条約を無効にして企業に賠償を求めるような国には、日本企業は危なくて投資できない。

だから本質的な問題は、韓国のカントリーリスクなのだ。日本政府が日韓請求権協定に定める仲裁委員会の開催を求めているのもこの点だろうが、韓国は仲裁委員会の開催に応じていない。

浅羽祐樹氏は、これがもっと重大な影響を及ぼす可能性があるという。1965年の日韓条約は、1951年に日本が戦勝国48ヶ国と締結したサンフランシスコ条約を補完する「特別取極」で、相互に賠償請求権を放棄することはその根本原則だった。

この原則を韓国がくつがえすと、世界中で戦時賠償訴訟が出てくるおそれがある。韓国が開けたパンドラの箱から、何が出てくるかわからない。個人請求権は、日韓だけの問題ではないのだ。