ネコと暮らしています。
金さんと銀さん。でも金は男。銀は女です。アンバーとシルバーといいます。ボストンに住んでいたころ大人気だったビニーベイビーズのアンバーとシルバーを幼い息子たちに買い与え可愛がっておりまして、彼らが就職後こんどは実のネコを自分が可愛がることになりました。
ネコは人生で2度め。最初のネコ、P子。デベソの三毛だった。先の東京五輪の聖火ランナーが近所を走る。親に肩車してもらいそれを見た。左から右に走るのを確かに見た。3歳。映像としてぼくに残る記憶はその日が最初です。
朝のワイドショーでその話をしたら、鳥越俊太郎さんが「ホントかよー」と信じられない声を上げました。でもホントです。ただ、その映像には続きがある。聖火から帰宅すると、P子が死んでいたんです。ぼくの人生は聖火と死から始まっています。
以後、半世紀。ネコとの縁はもうないと思っていました。NHKクールジャパンで「猫」の巻を担当し、日本がクールな猫の国であることを解説しましたが、傍観者の観察でした。猫のクールジャパンでは、先駆者「ホワッツマイケル」、わが友 ほしよりこさんの「きょうの猫村さん」、そしてわが友 北本かおりさんが編集した「こねこのチー」があります。ぼくの猫観を定めました。きまぐれで孤高、でも家と人に寄りついて、温かみに目がない。
アンバーくんとシルバーちゃんは、週刊コミックモーニングに連載中のサライネスさん「ストロベリー」に登場する10kgベランダくんと5kgカグラちゃんにそっくり。カグラちゃんに翻弄されるベランダくん。シルバーちゃんに翻弄されるアンバーくん。仲よくケンカする。
その二人とのコミュニケーションに、共に暮らして1年を過ぎても、とまどいつつ、学んでいます。
おはよう。ぼくが起床すると、のっそりついてくる。じゃれるでもなく、鳴きもしない。興味ありげに20cmまで近づいてくることもあれば、2mほど遠巻きに見ていることもある。パソコンを打っていると、わざとキーボードの上をゆっくり歩いていく。「「:。お、7っっctxrぜwqといった文字が打ち込まれる。コラコラと言ってもどかない。だからといってあっちにいる彼らをおーいと親しげに呼んでもプイともっとあっちを向いている。
ぼくを尊敬するでもなく、軽蔑するでもなく。酔っ払ってアンバーをいじると必ずガブリと噛む。吾輩は猫であると主張する。晩、たいてい酔ってるぼくの腕は傷だらけである。シルバーは抱っこしようとすると必ず飛んで逃げる。だけどこちらがぼうっとしていると、棒やら玉やらで遊べと要求してくる。ベッドの下なのか浴室なのか、姿が見えず、呼んでも来ることはないが、家族とアンバーシルバーの話をヒソヒソしていると、聞いとるで~とばかり必ず悠然と現れる。
ネコはこんなに可愛かったか。だけどベランダに小鳥が訪れたりすると、脱兎と化して近づき、目を見開いてカカカカカと口を鳴らす。野生なのです。その二面性もいい。
仕事が絡まない、対等の友人が少なくなった。同級生にもひんぱんに会うわけではない。きみたちは家族であると同時に、目を水平に見つめられる友人でもあるのです。
そこで、友人と話すようなことを語りかけるようにしている。どう思う?阪神の監督は大丈夫か。嵐は解散か。日本人横綱はもうムリか。レバニラ炒めとニラレバ炒めはどっちが正当か。どう思う?
たぶん、わかっている。じっと目を見開いて聞いていることもあれば、不機嫌そうに寝ていることもある。お前の話つまらんとばかり途中でプイと立ち去る。でも、たぶん、わかってる。
コミュニケーションの妙手です。気を持たせて、寄ると引く。こちらが引けば、存在を示す。喜ばせたり、怒らせたり。その絶妙の間合いは、ためになります。そのコミュニケーション力、ぼくも使えないものか。いやぁ難しい。
ネコのようなひとになれれば、ストレスは減るでしょう。おまんまと寝床さえあれば、スキな時に寝て起きて、周りの顔色を伺わず、気ままに近づいたり遠ざかったり。いいね。AIとロボットの超ヒマ社会では、ネコのように生きる、がモデルになりそう。アンバー、シルバー、どう思う?
編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2019年8月29日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。