トリチウム問題で韓国の愚挙を嗤えない日本社会

2019年09月19日 17:10

河田東海夫
元原子力発電環境整備機構(NUMO)理事

波紋を呼んだ原田発言

先週、トリチウム水に関する韓国のイチャモン付けに対する批判を書かせていただいたところ、8千人を超えるたくさんの読者から「いいね!」を頂戴した。

しかし、その批判文で、一つ重要な指摘をあえて書かずにおいた。実は、この件に関しては、残念ながら日本社会自体が韓国の愚挙を批判する資格がないということだ。

小泉氏と原田氏の大臣引き継ぎ(環境省サイトより)

9月11日の内閣改造の前日、退任直前の原田環境大臣(当時)が、トリチウムを含む処理水について「所管を外れるが、思い切って放出して希釈するしかないと思っている」と発言したことが波紋を呼んだ。早速全漁連が翌日都内で記者会見を開き、「絶対容認できない。発言撤回を」と強く反発した。

先週の拙稿でも述べた通り、福島第一サイトに貯留されているトリチウムの総量(注)は海外の原子力施設からの放出量と比べてもとんでもない量では決してなく、全量を放出しても、その被ばく影響は自然界からの被ばくと比べてもまったく問題ないレベルにしかならない。

原子力規制委員会の更田委員長もかねてより「基準値以下に薄めて海に放出することが唯一でベストの選択肢だと思う」と明言している。原田発言は、現実を踏まえたまったく当たり前の正論以外の何物でもない。

韓国を嗤えない日本社会

ところが困ったことに、風評被害を恐れる地元漁業組合の猛反発によって、長年の実績で安全性が十分保証されており、最も合理的で世界標準ともいえるトリチウムの処分法である海洋放出が封じ込められてしまっている。

もちろん、漁業組合が風評被害を心配するのは、放射能に関してゼロリスク願望が蔓延している今日の状況下では自然な反応であり、決して責められるべき問題ではない。

むしろ彼らは被害者なのである。そうではあるが、現状を冷静に見れば、放射能ゼロリスク願望に支配された日本社会が、トリチウム問題の合理的・常識的解決を阻んでいると言ってよいだろう。

こうした日本社会の未熟さは、反日感情による支配が、合理的・常識的思考や行動を阻んでいる韓国社会の未熟さと何ら変わらない。

情が支配し、個人のレベルを超えて行政のレベルでも合理的思考・判断を阻害する社会の未熟さという点では、日本は韓国を嗤うことはできない。

後送りできないトリチウム問題解決

福島第一原発サイトにはすでに1000基に近い処理水貯留タンクが林立し、3年後の夏には満杯になるという。トリチウム水問題解決の後送りは、タンクの際限ない増加につながり、肝心の廃炉作業に必要なスペース確保すら困難にしてしまう。

福島第1原発のALPS処理水タンク(経済産業省・資源エネルギー庁サイトより:編集部)

福島第1原発のALPS処理水タンク(経済産業省・資源エネルギー庁サイトより:編集部)

4基の事故機の廃炉事業は、世界的に前例のない困難な事業である。それはあたかも、未登攀の氷壁に挑むような事業であるが、トリチウム水問題の放置は、挑戦者の背中に無用の重荷を背負わせ続けるようなものだ。

それが安全で確実な登攀を阻害する大きなリスク要因であることは誰の目にも明らかであり、その重荷を一日も早く降ろしてやらねばならない。

膨大な数の巨大タンクがいつまでも消えることなく立ち続ける光景は、県内各地に残る汚染土のフレコンバッグの山とともに、福島県民の事故トラウマからのメンタルな立ち直りを遅らせる要因にもなっている。

幸いにも、中間貯蔵施設が運用に入ったことで、フレコンバッグは、次第に生活者の目前から消え始めているが、巨大タンクについては、それをなくす方策がいつまでたっても見えてこない。

いまや不幸の視覚的象徴ともいえる巨大タンク群を一日も早くなくし、汚染水問題の不安から解放されることは福島県民にとっての悲願でもある。

その悲願達成が、同じ県内の漁業関係者の風評被害への不安という一事によって妨げられているというのは、なんとも皮肉で悲しい現実である。

トリチウム問題の解決先送りは、東電の廃炉事業の円滑な遂行と福島県民のメンタルな復興の双方にとっての大きな障害要因であり、現状は既に危機的状況にあると言っても過言ではない。

その難局打開の王道は、漁業組合に風評被害の不安を乗り越えて合意してもらい、基準濃度以下にした処理水を海中放出することでしかありえない。

ゼロリスク願望を国民に定着させたメディアの偽善体質

風評被害は、ごく微量の放射能に対する人々の漠然とした不安が社会にもたらす実害であり、農業・畜産関係者や漁業関係者はその被害者である。

残念ながら、これまで日本のメディアは、微量放射能に過剰反応する人々にひたすら寄り添うことで、弱者の味方(=正義)を装うことに専心し、こうした過剰反応の弊害に気づかせ、自制を求めることは一切行ってこなかった(注2)。そうすることが、読者や視聴者の目に弱者いじめに映り、政府の先棒担ぎに映ることを恐れたのであろう。

しかし、そうした日本のメディアの偽善体質は、微量放射能に過剰反応する人々の自己正当化を強め、さらにそうした人々の言動への共感を世間に広めることで、国民への放射能ゼロリスク願望定着に大きく貢献した。

そうしたゼロリスク願望の定着は、結果的に、避難住民の早期帰還を不能にして地域のコミュニティ崩壊という大きな不幸を生み出し、今、トリチウム問題の合理的・早期解決を阻んでいる。

問題解決に向けて漁業組合の英断を得られるか?

先に述べた難局打開の王道の難関は、言うまでなく漁業組合の合意取り付けである。それは、端的に言えば、彼らに大義を前に風評被害リスクの受認を求めることに外ならない。

こうした問題処理は、加害者たる東電の手には余り、国が前面に出て乗り越えるしかない。

こうした議論の前提として、当然国は、風評被害軽減・回避策と、それが実際に発生してしまった場合の救済策に最大限の知恵と努力を払う必要がある。そのうえで、しかるべき立場の人間が、組合幹部と膝を突き合わせて真剣な議論を交わし、彼らに前向きの英断を促す場面作りが必要となろう。

しかし、現状では彼らの反発は強烈で、国会議員であれ、政府高官であれ、彼らと直ちに冷静な議論に入れる状況にはなく、そもそも国会議員にしても渦中の栗を拾う気骨のある人材は見当たらない。

何らかの方策で、漁業者側のテンションを下げ、冷静な議論に向けての国との間の敷居を下げてやる必要がる。

難局打開に向けてマスメディアも協力を

そのために必要なことは、海中放出が現実解であり、世間は危機回避に向けて漁業組合の英断を期待しているという世論形成と、その英断を後押しするため、風評被害撲滅に向けた国民レベルでの協力の気運の醸成である。

そこで一つ期待したいのが、そのためのマスメディアによる前向きの協力である。これは決して政府の片棒を担げということではなく、福島復興に立ちはだかる難問解決に向けての国民の協力支援を鼓舞してもらうということである。

昔からから、新聞は社会の木鐸と言われてきたが、メディアの木鐸は、時の政権批判だけで良いわけはなく、時には国家的難局を乗り越えるため国民の協力・結束を訴えることも必要であろう。

そもそも、この問題の根底にあるのは、風評という、いわば枯れ尾花的亡霊に対する恐れでしかない。その実態のない亡霊に皆が支配され、目前にある危機の回避手段が封殺されしまう社会はどう見ても不健全だ。

また、客観的に見れば、漁業関係者が風評被害への恐れを声高に叫べば叫ぶほど、あきらかに、そのこと自体が風評被害の可能性を増長していることにも気づくべきである。

こうした現実も、メディアの手腕で、やんわりと彼らに理解を浸透させてもらえるといい。

風評被害を生むのは、国民に広く定着した放射能に対するゼロリスク願望である。その定着に加担し、あるいはそれを座視してきたメディアの責任として、ぜひ国民にゼロリスク願望の頸木からの脱却と風評被害撲滅への協力を訴えていただきたい。

風評被害の不安を乗り越えて下した漁業関係者の英断を国民が称え、それに報いるべく風評被害撲滅に皆が協力することができれば、それはこじれた問題解決を漁業関係者と国(+国民)のwin-win関係の解決に昇華できる。

放射能問題対応と社会の成熟度

チェルノブイリ事故で放射能汚染の甚大な被害を受けたスウェーデンは、事故後に300ベクレル/kgの食品基準を設定したが、その後トナカイ肉に関しては基準を5倍の1,500ベクレル/kgまで引き上げた。

これはトナカイ肉生産業者保護のための措置であるが、一般のスウェーデン人のトナカイ肉摂取割合は限定的であるという事実を踏まえ、ここまで引き上げても問題ないと判断したのである。

当時スウェーデンのメディアがどんな反応を示したかは承知していないが、少なくともヒステリックに反対を煽ることはなかったのであろう。日本なら、「生産者保護ための放射能基準緩和」などといったら、政府はメディアから袋叩きにあったろう。

一方、日本では福島第一原発事故の後、当時の民主党政権の小宮山厚労相が「より一層、食品の安全と安心を確保する観点から」として、基準を500ベクレル/kgから1/5-の100ベクレル/kgに引き下げさせた。

この基準厳格化によって、農業生産者は精密測定器による全数検査を迫られるなど、膨大な負担を強いられることになり、各地・各機関での精密測定機器の配備に莫大な資金が費やされた。

一方、この基準改定で達成された日本人の食品からの内部被ばく低減は年間0.016ミリシーベルトでしかなく(事故の翌年の値)、自然界からの年間被ばく2.1ミリシーベルの1%にも満たなかった。

放射線防護の実益面からはほとんど無意味な改定であり、唯一得られたものと言えば、小宮山大臣の「国民の安全・安心のために良いことをした」という自己満足でしかない。

放射線防護の基本原則の一つに「防護の最適化」があるが、日本の基準改定はこの精神から完全に逸脱した政策決定であった。残念ながら日本でそのことを認識しているメディアは皆無であろう。

食品基準に関するスウェーデンと日本の真逆な対応を紹介したが、その違いから、民主国家としての両国の成熟度に歴然とした差があることを認めざるを得ない。

スウェーデンはフィンランドと並び、地層処分事業のフロントランナーである。彼らがこの難しい事業に成功しているのは、国民に合理的思考や議論を冷静に受け止める素地があるからである。

弁舌爽やか風見鶏か、逆風に立ち向かい風を変える男か

原田発言から2日後、新任の小泉環境相は福島県に出向いて知事や漁業関係者に会い、原田発言について「率直に申し訳ない」と陳謝した。この行動については、放出容認派と反対派の双方からの批判がSNS上で踊っている。

福島県漁連と会談した小泉環境相(NHKニュースより:編集部)

一方、当の原田前大臣は、13日に自身のブログで10日の発言に至った経緯を淡々と述べている。

彼は、大方の人が「放出やむなし」と考えるものの一向に前に進めない現状を憂えて、最後に「誰かが言わなければならない、自分はその捨て石になってもいい」との心境を吐露している。その真摯な姿勢に多くの読者が共感と賛辞を寄せている。

原田発言は、風評被害の心配を乗り越えて前に進もうというメッセージとも受け取れ、その発言を陳謝した小泉新大臣は、それを否定したと捉えられても仕方がない。

新大臣は、自分の所管ではないというが、トリチウム問題の解決には、傘下に原子力規制庁を抱える環境省は決して無関係ではいられない。

小泉新大臣の原田発言への軽々しい陳謝は、これから彼が「弁舌爽やかな風見鶏」の途を歩む前兆なのだろうか?

筆者としては、それは新米大臣の歩き初めの一時のふらつきに過ぎず、これから次第に「逆風に立ち向かい、風を変える男」に成長していくと信じたい。

福島復興問題への対応を含む環境政策全般において、ポピュリズムに流されない、芯の通った政策運営に手腕を発揮してもらいたい。彼の若い力が、日本社会を今より成熟した社会へと引っ張り上げる原動力となることを期待したい。

 

(注1)9月9日の拙稿では、福島第一原発サイトのトリチウム総量を、2016年の情報から760テラベクレルとした。その後最新情報にあたり、現在では1000テラベクレルになっていることを知った。その場合、月城発電所からの累積放出量は、8倍ではなく6倍とするのが正しい。全体の論旨は変わらないが、最新情報チェックを怠ったため、数値の的確性を欠いたことを陳謝する。

(注2)例外は地元福島の地方紙「福島民報」と「福島民友」である。地元県民のために、放射能問題については、いたずらに不安を煽るのではなく、バランスの取れた情報提供に心がけている報道姿勢に筆者は敬服している。

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