日本の偽リベラルと韓国の革新派はなぜ反日なのか

八幡 和郎

日本人では、戦前の日本について比較的肯定的なのが保守で、否定的なのが革新という政治思想の大きな区分がある。もっとも、保守でも明治・大正はいいが昭和(戦前)の日本は軍国主義に堕落したという人たちもいて、むしろこちらが伝統的な保守本流だし、安倍政権も含めた政府の公式見解だ。さらに、江戸時代を誉めることで間接的に明治を貶す人もいる。

一方、昭和(戦前)も何も悪くない、太平洋戦争はアメリカの謀略だという勇ましい保守強硬派もいて保守論壇では結構力をもっている。

安倍首相などがとっている立場は、①昭和(戦前)の日本には反省すべきことが多いということは認めつつ、日本だけが悪いとまでは言い切れないと含みを残し、②日本国憲法制定の経緯はやはり押しつけだから内容はともかく日本国民の意思で自主憲法改正は必要だということを主張することで、保守強硬派からも支持されるという構造だと思う。

一方、革新的とか進歩的言われる人たち、最近はリベラルとかでたらめを名乗っているから偽リベラルと私は呼ぶが、だいたいは、明治以来の日本は帝国主義的な外交を繰り広げ、国内では憲政が行われたといえども、内容は専制的で民主主義とはほど遠かったという人が多い。そして、天皇制に好意的ではない(最近は皇室より安倍首相が嫌いなので一時的に皇室攻撃を控えてます)。

江戸時代と明治体制と戦後と、だんだん良くなっているというのが正常な発展段階論だろうが、明治体制をどのあたりに位置づけるかは人によって違う。ただ、一般的には、欧米においてと比べて、明治体制の評価が極端に低い。

逆にいうと、江戸時代の鎖国、極端な身分制、男女差別、公的教育の欠如、議会の不在などに対する評価が甘い「進歩派」が多いのが不思議だ。

私はとことん西欧的な進歩派だ。世界に門戸が開かれて文明の進歩を享受できること、封建主義の身分の固定や男女差別が緩和されること、公的に学校制度が整備され機会均等に向かうこと、経済が成長し所得が向上すること、餓死などする人がいないこと、憲法が制定され議会が設けられ徐々に参政権が拡大することを人類にとって大きな進歩だと思う。

そのあたりの日本の歪んだ左派・偽リベラルのアンチ明治体制が、集約的に現れているのが半島問題についての評価なのだ。つまり、あきれ果てた後進社会だった李氏朝鮮について、「貧しくも安定的な社会で人々は幸福に暮らしていた」というわけで、日本統治のもとでの近代化の成果を極小に、あるいは、むしろ、悪くなったと断罪するわけだ。

私は、明治日本の熱烈な礼賛者だし、独立を奪ったことはともかくとして、半島の人々が上記のような進歩を日本内地よりは少し遅れつつではあるにせよ、手に入れたことは正当に評価すべきだと思う。しかし、偽リベラルの人々は、不幸になったといい、半島の人もそう思っているということを証拠としつつ、明治体制を攻撃する材料につかいたいようだ。

それでは、韓国の保守派といわれる人たちはどうなんだろうか。現在の韓国の保守派と革新派は、軍事政権時代をそれなりに評価するかで区別される。そして、保守派は、相対的には、日本と協力して北と対抗しつつ近代化に成功したことを肯定的に見ているし、日本統治時代も悪いことばかりとは言えないという立場だ(ただし、独立を維持していたらもっと良くなっていたかもしれないという留保がつくが)。

さらに加えて、北朝鮮についても、自由はないし経済的には遅れているが安定しているし、自主独立路線でもあるから素晴らしいという評価が、現在の韓国の革新派にはあり、拉致問題発覚以前の日本の偽リベラルの総意でもあったのだ。さすがに、日本ではそんなことをいうと拉致一味にされてしまうので黙っているが、多くの偽リベラルの本音は変わっていないと思う。

少し複雑な話でわかりにくいと思うが、これが、日本の偽リベラルが媚韓、とくに隠れ北朝鮮崇拝派である裏の事情を分析するとこういうことになる。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授