貞観の東北大津波と富士山噴火と歴史家の使命

東日本大震災での大津波で福島第一原発を含めて大きな被害が出たことで、869年(貞観11年5月26日)の貞観地震による大津波が、陸奥の国府多賀城にまで押し寄せ大きな被害があったということが注目された。(動画は貞観地震の断層モデルに基づく津波のシミュレーション結果を示したもの、産業技術総合研究所YouTubeより:編集部)

規模も場所もほぼ同じの双子のような地震だった。そして、福島第一原発の被害も予想できたのではないかという批判も高まり、研究会でそういう可能性にも備えねばと言う議論が出ていたはずということで、会社の最高幹部にも刑事罰を問えという裁判まで起こされた。

私はこういう歴史上あったことくらいは、対策を立てるべきだと思いますし、立てなかったら刑事罰に問うのも制度論としては有りだと思う。ただ、日本では怖い可能性を論じるのはタブーである。対策をたてなくてはならないからだ。外国軍隊の侵略は語ってはいけない。なぜなら、憲法第九条を改正しなくてはならなくなるからだ。津波対策は必要だが、外国軍隊の侵略には備えなくていいなんてあり得ないのだが。

現実には、南海トラフ地震とか首都直下地震とか必ず来ることが分かっている災害ですら、予想被害が大きすぎるとかいって臆病になっている。

死者ゼロなんてありえないので、予想して対策を立てなかったといわれるのがいやさに、予想しなかったことにしたがっているようにみえる。

私は死者ゼロなんて非現実的な目標は必要ないと思う反面、少しでも減らず努力をすべきだと思う。

また、予想できなかったら責任を取われるべきは、歴史学者も同様だと思っている。というのは、郷土史の本など見ても、貞観地震についての扱いは実に小さいのだ。山川書店の「県史」シリーズと言えば各県ごとの歴史の専門家がオールスターキャストでチームを組んで執筆しており郷土史のバイブルというべきもので私も全巻揃えて持っている。

しかし、このシリーズの宮城県と福島県の巻には、この地震と津波の記述は年表にしかない。福島県の巻では「陸奥国で大地震」とあるだけで津波に触れてもいない。もし、ここでしっかり書いておいたら行政も電力会社も対策を講じていたと思う。歴史学者が軽くしか見ない可能性に他分野の人が大事な情報と気づくはずないだろう。

研究者としての仲間内での評価も高くなるように努力することは意味のないことではない。しかし、研究者としての仕事の価値の一面に過ぎないということもしっかり自覚すべきだ。

山川出版の「福島(宮城、岩手)県の歴史」に貞観津波のことが書かれ、同様の規模の津波の可能性はかなりの確率であるし対策を講じるべきだと書いていたらどれだけ多くの命が救われていただろうか、それは自分の掘った遺跡についての細かい情報より人々に知ってもらいたい歴史と考えてはおかしいだろうか。

貞観津波のときには、東北経営の拠点だった多賀城に津波が押し寄せ、千人もの人が死んだと「三代実録」(六国史のひとつ)にある。津波の到達点については、平成の津波のときより大きかったという説と、少し小さかったという両説がある。そのころは、多賀城は都城に囲まれて南門があり、そこから砂押川の南側にひろがっていた潟湖に向かって南北大路が伸び、その両側、とくに西側に市街地が広がっていた。この街区、いわば城下町にまで津波は押し寄せたようだ。

もうひとつ注目されるのは、この地震の五年前の864年(貞観6年)に、富士山が大噴火していることだ。富士山の噴火というと、江戸時代の宝永医噴火が有名だが、規模は比較にならないほど貞観噴火が大きかったのである。

山頂から北西に向かって裂け目ができて、そこからマグマが流れ出し、現在の河口湖などよりはるかに大きい「せのうみ」があったのを埋め、西湖と精進湖だけがその痕跡として残っている。

また、自殺の名所として知られる青木ヶ原樹海は、溶岩台地が樹木で覆われたもので、あちこちに風穴などがあるし、溶岩の磁気が強くて磁石が狂って使い物にならないといわれている。

貞観の地震と富士山噴火をそれぞれ無関係なんて普通は思えない。やはり十分な準備が必要だし、被害想定が大きすぎて対策がとれないとか、観光に風評被害があるとかいって対策がこれまで遅れてきたが、もはやそういう対応は許されないはずだ。

上杉隆さんが、山梨県では貞観噴火のことを語ることは(観光に影響するので)タブーなんて仰っていたのを聞いたこともある。

八幡 和郎
八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授