『東大闘争の天王山ー確認書をめぐる攻防』という貴重な書物を拝受

あれから50年になるのか。

半ばまだ夢の中にいるような気分である。

私の中では一連の事件を「東大紛争」という言葉で小さな事象のようにして自分の記憶の中に封じ込めようとする力が無意識に働いているが、戦後の教育史を紐解けばたしかにあの時が時代の大きな転換点であった、という気になってくる。

うん、やはりあれは「東大闘争」だったのだな、と改めて得心している。

東大闘争の舞台となった安田講堂(写真AC:編集部)

私は、河内謙策という方を個人的には存じ上げないで今日まで来た。

『東大闘争の天王山ー確認書をめぐる攻防』は、東大法学部の学生であった河内弁護士が法学部の学生代表の一人として当時見聞した様々な出来事などを、その後収集した膨大な資料や関係者からのヒヤリング等を基にして、出来るだけ客観的に、かつ出来るだけ総合的に分類・整理して叙述されたものである。

貴重な資料が満載されている上下2巻にわたる大著である。

事件の渦中にいた私には当時見えなかったことが、この書でようやく見えてきた。
多分、この書は一般には市販されず、当時を知る関係者の間で秘蔵されて終わってしまうのではないかと思うが、東大闘争の全容を研究されたい方にとっては好個の第一級の資料になるだろうことは明らかである。

経済学部の代表として七学部代表団交に議長として参加した元衆議院議長・元文部大臣の町村信孝氏は既に鬼籍に入っており、当時を知るものがこれから年を経るごとに少なくなっていくはずの本年にこの書の下巻が刊行されたということにはそれなりの意味があるのだろうと思っている。

当時の政府内に東大閉鎖の動きがあったとか、学部中心の大学教育が大学院中心の教育に転換する教育改革の根っこが東大闘争にあった、ということなど、知れば知るほど当時の東大闘争が日本の社会に如何に大きな変革をもたらしたか確認出来る。

後日のために、あえて河内謙策弁護士の名前を記して、この一文を書いておく。


編集部より:この記事は、弁護士・元衆議院議員、早川忠孝氏のブログ 2019年10月23日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は早川氏の公式ブログ「早川忠孝の一念発起・日々新たに」をご覧ください。