森ゆうこ・柚木・今井、野党の“三バ〇トリオ”は若者に魅力的か?

若者は投票の仕方を知らない?

参院選の18歳投票率は51%に達した(豊島区の模擬投票より;編集部引用)

若者の政治的無関心は深刻である。若者の政治的無関心が日本にとって有害であることは論を待たない。この若者の政治的無関心への対策として昨今、「主権者教育」の徹底が主張されている。主権者教育の中身は色々あるがマスコミでよく紹介されるのが選挙の模擬投票である。

高校生「わたしも主権者」 模擬投票で政治を身近に(朝日新聞デジタル)

模擬投票の授業の意義を否定するつもりはないが、これはそんなに凄い授業なのだろうか。今の若者は投票の仕方を知らないのだろうか。そんなことあるまい。主権者教育を徹底すれば若者の政治意識が高まるというのは少し安直過ぎないか。

そしてこの主権者教育にように学校教育を通じて若者の政治意識を高めようという発想は若者の政治への知識や経験の「不足」に着目したものである。誤りではないが一面に過ぎない。若者の「不足」に着目した手法はある意味、若者を見下しているとも言えるし、バランスを欠いている。

若者と政治との関係を語るうえで格好の材料となると思われるのが若者の学習時間である。

若者の学習時間について調査すると大学生の学習時間が極端に少ないことがわかる。

ベネッセ総合教育研究所の調査によると「大学生の学習時間は小学生の半分」という。

大学生は学習をすることを期待されているのだが、日本の大学生は学習をしない。特に文系学部に所属する学生は学習しないと言われる。そのためだろうか。時々、「大学のサークル」は非常に低俗かつ凶悪な不祥事を起こす。筆者の世代(1983年生まれ)なら「スーパーフリー事件」という言葉を一度は聞いたことはあるのではないか。

スーパーフリー事件はまさに「大学はなんのために存在しているのか」と考えさせるほど衝撃的であった。

写真AC

論を戻そう。若者にとって大学は「学習の場」ではなく「学歴の場」である。小中高生が学習するのはあくまで学歴を獲得するためである。

学歴の影響力はかつてほどではないかもしれないが、依然、強い。学歴が無関係になる社会はまだ見えないし見えそうもない。学歴は今後も立身出世の有力なカードであり続けるだろう。そして小中高生はそのことをよく知っているのである。

ここで日本社会における学歴の影響力についてあれこれ語るのは生産的ではない。

重要なのは目的はなんであれ若者は自分の将来に関わる事柄ならば積極的に取り組むということである。勉強熱心だった高校生が大学に入学した途端、勉強しなくなるのは大学の学習と自分の将来の関係性が明確に意識出来ないからである。

今、自分がやっている作業が自分の将来になんら影響を与えないならばその作業に従事する意欲が低調になるのは当然だろう。

若者の政治的無関心を語るうえで重要なのはこの視点である。若者が政治に無関心なのは彼(女)らの知識や経験の「不足」というよりも政治に参加しても自分の将来の利益にならないと考えているからではないか。

実際、いくら若者に知識を注入したり経験を積ませても、当人がそれを活かす利益を感じなければ全く意味がないだろう。

免責特権の悪用は「立憲主義に反する」 

若者が何かの拍子で政治に関心を示した場合、その視界には国会議員が映るだろう。若者の視界に映る国会議員はどうだろうか。今、日本の政界を見ると思わず目を背けたくなる国会議員が多いのではないか。特に野党議員はまさに「正視に耐えない」議員が多い。

国会中継(YouTubeより)

最近の「正視に耐えない」議員と言えばもちろん森ゆうこ議員である。国会議員の免責特権を悪用し私人である原英史氏を攻撃している。彼女に同調し原氏を攻撃している柚木道義・今井雅人の両議員も同様である。

彼(女)らの発言・振る舞いについてはこのアゴラでも繰り返しに取り上げられているので重複を避けるためここでは必要最小限なことしか言わない。今回の騒動で注目したいのは森ゆうこ議員らの憲法観である。

免責特権の悪用の事実は森ゆうこ議員らにとって、日本国憲法は「国民を攻撃する手段」という意識の表れであり、これは「立憲主義に反する」行為に他ならない。憲法は国民のためにあるのではなかったか。

現在進行形で「立憲主義に反する」行為がなされていることに立憲民主党の枝野代表は何も思わないのだろうか。今回の騒動で傍観者的態度を取っている枝野氏の「立憲主義」への態度が問われよう。

今の政界を見る限り若者の視界に映る国会議員とは根拠なく他人を平然と攻撃し、それこそが政治家の役割だと言わんばかりの者が実に多い。若者からすれば政治に関心を持てば理不尽な攻撃を受け人生を棒に振ると思うだけではないか。

国会中継サイト等より

野党の“三バ○トリオ”

若者の政治的関心を高めるために必要なことは学校教育の充実ではなく政治自体が魅力的になることである。政治の魅力を高める手法は色々あるが最も効果的なのは政治家が魅力的になることである。

魅力的な政治家とは容姿・服装・声色が優れていることではなく魅力的な政策を提案出来る政治家に他ならない。政治家に限らず容姿・服装・声色がどんなに優れた者でも発言内容が貧弱ならば、その魅力はいずれ消滅するだろう。

そして今回の騒動を引き起こした森ゆうこ・柚木道義・今井雅人の三議員が若者に魅力的に映るだろうか。今回の騒動はあまりにも醜悪であるためこのアゴラでも「ク〇B〇〇」とか「ゴロツキ」という表現を使わざるを得なくなっている。

森裕子と熊谷裕人のせいで、私は野党再建に絶望しました

霞ヶ関を「ブラック職場」にするゴロツキ野党議員

好ましい表現ではないが議論の深めるためにはやむを得まい。そして最後に筆者もこれに便乗したい。

筆者は森ゆうこ・柚木道義・今井雅人の三議員を表す言葉として「三バ〇」を使用したい。上記で「正視に耐えない」という言葉を使ったが、この言葉すら上等過ぎる。

だから森ゆうこ・柚木道義・今井雅人の三議員に対しては「三バ〇」で十分である。

本稿の趣旨を踏まえるならば「森ゆうこ・柚木道義・今井雅人、野党の“三バ〇トリオ”は若者に魅力的か?」という言葉で筆を置きたい。

高山 貴男(たかやま たかお)地方公務員