ゴーン氏「脱出」や新型ウィルス拡散:日本が変わるきっかけとなるか

2020年02月02日 06:00

2010年(11月)に経産省を離れて青山社中を設立し、早くも10年目を迎えた2020年。感慨にふける間もなく、年初の1月から出張でベトナム・ホーチミンや奈良県明日香村という私にとっての「非日常空間」にどっぷり浸ったこともあり、自分の中の「文化・文明思考脳」が刺激されたような気がする。そんな背景もあって、ちょっと変わったパースペクティブから昨今世上を騒がせているニュースを見て感じた雑感を記してみたい。

ゴーン氏ツイッターより

まず、年初からいきなりの大騒ぎとなったゴーン氏脱出問題。まんまと謀られて日本の司法、ひいては日本全体が氏の思惑通りに国際世論合戦で悪者にされてしまっている感がある。日本非難では「定評」のあるニューヨーク・タイムズではあるが、明確に、脱走者であるゴーン氏の行動について「いたしかたない」という主張まで書かれている。

「日本が好きだ」と言いつつも、辛辣に日本の司法を非難するゴーン氏は、「長時間拘束された」「妻にも会わせてもらえない」「弁護士の立ち合いがない」など、日本の司法制度のあり方について、主に欧米の価値観から「非常識」だと訴え、それがまた主に欧米の世論に受け入れられている。

だが、ちょっと待ってほしい。司法制度の根幹は、公平なるジャッジをする裁判官(判事)の前で、攻撃側の検察と、防御側の弁護人が、それぞれ証拠などの「武器」を用いつつ論戦を繰り広げることにある。どちらかに過度に「武器」が与えられてしまう状態では、この制度はバランスを失して崩壊する。

欧米では、詳細は国によって異なるが、いわゆる「おとり捜査」や、違法な調査に基づいて収集された証拠ですらも証拠能力としては意味を持つことが多く、検察に強い武器が与えられている。日本はそうではない。いわば欧米に比べて手縛り状態の検察に対して、弁護側が過度に有利にならないように、バランスを持って制度が設計されているわけで、全体を見誤ってはならない。

司法・警察制度だけが原因ではないが、結果、例えば、10万人あたりの殺人件数で日本は、0.24件で、世界有数の治安の良い国となっている。ゴーン氏が国籍を持つフランスは1.27件、アメリカは5.32件(いずれも2017年のデータ)であり、乱暴に言えば、「とやかく言われる筋合いはない」との感じもする。

ゴーン氏事件に絡めて良く言われる有罪率についても、日本は起訴されると99%有罪となり、圧倒的に検察有利だと国際的な非難の的になっているが、実は、検挙されてからの有罪率だと、年にもよるが、大体3割台だとされている。諸外国と異なり、確実に「怪しい」案件のみを起訴するという姿勢がこの両数字を産んでいる。

つまり、この問題は、私に言わせれば割と根の深い文化の違いに起因する主張の違いであり、「事前チェック型の日本/慎重に事を進める日本」と「やるだけやって、何か問題があれば事後に訴訟等で争えば良いという事後型カルチャーの欧米」の違いとも言える。文化とはある人間集団の生活様式そのものであり、文明とは、一定以上の水準に発達した社会の文化だと喝破したのは、霊長類研究の泰斗の上山春平氏だが、文明化した様式同士の対立は解がなく、なかなか難しい。

私の理解では、弁護士出身の森法務大臣は、こうした問題の理解力や発信力において出色の大臣であり、英語力も駆使して、こうした日本の主張を極めて適時適切に国際社会に訴えていると思う。これが、妻の選挙に絡む疑惑で辞任した河合前法務大臣だったら…と考えると寒々とした気持ちにもなるが、とはいえ、私の認識では、残念ながら現下、ゴーン氏の主張に比べて、世界に日本の主張が受け入れられているとも思えない。

これまた文化が絡むわけだが、異なる価値観を持つ多様な人たちに自己の主張を受け入れてもらうためのPR力、という点で、我々日本人の意識は、残念ながら低いと言わざるを得ない。私見では、「真摯に正しい主張さえしていれば、やがて相手は理解してくれる」という集団の同質性を前提とした文化が主な原因だ。

仮に日本政府がレバノン政府に熾烈な働きかけをしてゴーン氏を取り戻したとしても(その可能性は低いが)、このままでは、おそらくは有力なPR会社・PR人材等を味方につけつつ強烈な発信を行い、一説によると、既に、ネット番組でのドラマ化も決まって世論に訴えかける(ついでに多額の収入も得る)予定のゴーン氏が、国際世論上は勝利してしまう可能性が高い。

「日本=加害者、ゴーン=被害者」という図式が崩れない限り、このゲームはひっくり返らないと見るべきで、PR的観点からは、素人ながら、きちんと、「ゴーン氏=加害者(対日産、対ルノーなど)」という点を主に提示しなければならないと感じる。

さて、紙幅が尽きてきたので、簡単な言及に止めるが、文化の違いということでやはり驚愕するのは、中国における新型コロナウィルス問題だ。

新型コロナウイルス の電子顕微鏡写真(国立感染症研究所サイトより)

この文章を書いている朝も、上海からの客とミーティングをしていたが、何かと触れることの多い中国人・中国関係者のやり取りなどを聞いていると、問題が顕在化してから「1週間で新しく病院が出来た」(問題があれば、とりあえず合理的にパッと対応。それで何か生じたらその時に考えれば良い)とか、「これは、中国が高度に技術国になるチャンスだ」(感染を防止するためにテレワークやオンライン授業が大いに広まる)など、日本の常識では考えられない事態、言説が飛び交っている。

我が国においても、「やあやあ我こそは」と名乗りを上げて戦をし、恩賞のためには平気で主君を裏切るかつての超個人主義的武士集団が、論語的倫理観を重視する「武士道的集団主義武士団」に変わって行ったように、文化というものは変わることもある。過度に事前チェックをして、慎重に、慎重に事を進める日本が変わるきっかけとなるだろうか。2020年は。

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朝比奈 一郎
青山社中株式会社 筆頭代表(CEO)

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