コロナ雑感 後編:Your Generation

コロナ巣ごもりで超ヒマなので、デビッド・バッティ監督「My Generation」をみた。
1960年代は、若い世代が旧体制をぶっとばした時代だった。ロンドンだけでなく、世界各地で。音楽だけでなく、映画も、ファッションも、政治も。そうだ、大学もだ。何がそうさせたのか。経済成長、人口爆発、都市集中、工業化、メディア進化、民主化。少なくとも、疫病のせいではない。

(公式サイトから:編集部)

(公式サイトから:編集部)

コロナ後は、コロナ前と何が変わるのか。まずは分散とバーチャルだろう。社会の不可逆な化学変化となり、コロナ前には戻るまい。それはコミュニティとコミュニケーションを再構築することでもある。

数千年かけて人類は都市化を進めてきた。文明は都市の歴史だ。集中・集積がテーマだった。住民は城壁で身を守った。ところが、だから壁の中でペストは蔓延し、14世紀には世界の2割が死んだ。戦争も核兵器も、対立を引き起こす宗教も、経済の恐慌も、みな文明が生む。それで死ぬのは自業自得。人類にとっての敵は自然災害であり、病原菌だ。いずれも都市に集中することで、自らの命を縮める可能性がある。都市は病原菌のクラスターとなることは学んでいた。

アナザー文明を描く「進撃の巨人」は、コロナの予兆だったのかもしれない。城壁内で保つ未開文明は不気味な巨人どもに食い荒らされる。外の荒野も知性のない巨人や知性の高い巨人や得体の知れない神話の領土だ。壁の内側の住民は、うろたえ、戦うしかない。

都市集中をパンクにひっくり返す手段がITと交通だった。20世紀後半から今世紀にかけて、高度情報社会と高度移動社会が構築された。いつでもどこでもコミュニケーションがとれ、いつどこにいてもどこへでも移動できる手段を手にした。都市を離れ田園で優雅に過ごす展望を得た。

それでどうなった? 都市集中はますます進む。東京は1980年から36年で200万人増を見せ、特に中心部に集まっている。ITと交通が発達したら、コミュニティはより濃いコミュニケーションを求め、みんな接近したがった。高度情報社会と高度移動社会は否定され、その展望とうらはらに、高密度な経済社会を形成した。地方分散だと?テクノロジーは逆方向に作用した。

コロナはそれに対する鉄槌だ。お前ら、離れろ。疫病は繰り返す。テクノロジーで身を守れ。わかっているのに、なぜやらん。分散しろ。距離を取れ。クラスターを小さくしろ。ITと交通で世界はつながっているのだから、今回はローカルではなく全地球的に警鐘を鳴らす。という天の声が聞こえる。

ハッと我に返り、見回してみる。周りがテレワークでバーチャルに働き始めた。家で働く。都市化で職住接近を実現したが、そうじゃない、職住一致でいいじゃないか。なぜ通勤地獄に身を置いていたんだろう。なぜつまんない上司の飲み会に付き合ってたんだろうネット飲み会でいいじゃないか。紙もハンコも要らなかったんだよね。会議室で冗長な時間を過ごしてたのバカみたいだね、端末いくつか置いときゃ会議も飲み会も同時にかけもちできるね。もうコロナ前に戻れない。

コロナで失うものもあるだろう。インバウンドを頼りに経済成長を期待していたけど、しばらく戻らないかもしれない。都市型のライブイベントを成長させようとしていたけれど、しばらく戻らないかもしれない。コロナ後の新設計が必要だ。

自分の話をしておこう。大学のことだ。コロナで大学は壊滅するのではないか。大学を作ったばかりでこーゆーことを言うのもなんだが、壊滅したっていいのではないか。

いま世界中でオンライン教育、オンライン教材が続々と提示されている。著名大学の著名教授もどしどし上げている。日本も地域の小中学校の先生方(世界に誇る優秀な先生方)が授業をアップしている。従来型の授業は、それでいいじゃないか。

個々の先生が一つの教科書を使って個々にそれを生徒の頭ん中にコピーする作業は、もうなくていい。それより、世界の優れた先生がネットで公開する映像を見ればいい。だけど現場の先生は大事だ。それをもとにみんなで考え、みんなで議論し、みんなでつくる。先生は教える係、情報を伝える係じゃなくて、ファシリテーターになる。教育IT化が目指した世界がやっと実現する。

すると、大学の卒業証書より、あちこちのネット講座を修了した証明リストのほうが値打ちをもつ。ネット上の学習履歴が教室での世間より重みを持つ。学校は「つくる」場になる。
そんな世界は5年後に来ているはずだ。早く来い。ぼくはiUをそのためのプラットフォームにしたい。バーチャルな学校連合「超学校」を作って、対応を加速したい。

コロナ後は、全ての領域で景色が変わっているはずだ。元に戻すのがよい分野もあるだろう。けれど、元に戻さず一気に進む分野も多いはずだ。後者が社会の枢要を占めるのではないか、という予感がする。ぼくはそれを是認したい。

となると、それを見据えてすべきことは、その化学変化についていけない世代を退場させることと、コロナ後の世界を若者へ移譲することだ。コロナ後、つまり令和をどう設計するのか。それは平成生まれの任務だと思う。ぼくは従うので、スゴい設計図の提案を期待する。

超ヒマで、My Generationを見た感想まで。


編集部より:このブログは「中村伊知哉氏のブログ」2020年4月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はIchiya Nakamuraをご覧ください。