事実確認しない論評はやはり害悪

山田 肇

人間には感情があるから情緒に訴える発言は国民に突き刺さる。しかし、意見が事実に基づかない場合には世論を間違った方向に誘導してしまう危険がある。

原英史さんが「情報検証研究所」を組織し、フェイク・ニュースをチェックする活動を始めた。事実に基づかないフェイク・ニュースを俎上に載せ、誤情報の拡散・被害に対処し、併せて、正しい情報の伝達を通じ民主主義の機能を支えることを目指している。

Marco Verch/flickr

事実を確認しないで論評する伝統芸」という記事を書いたのも、情報検証研究所の志に同感し、有識者には事実を基に論評して欲しいと願うからだ。

その記事の中で、クレジットカードの使用状況をマイナンバーで収集されたら困るという情緒的な意見を批判した。事実はこうだ。

マイナンバー法(行政手続における特定の個人を識別するための番号の利用等に関する法律)は、第9条(利用範囲)で、「別表第一の上欄に掲げる行政機関(等)……は、同表の下欄に掲げる事務の処理に関して……必要な限度で個人番号を利用することができる。」と定めている。別表第一にはクレジットカードの使用状況を収集する事務は含まれていない。

法律にあれば政府は好きにできるという情緒的な意見もあるが、法律にあっても政府は人権にかかわる場合には抑制的に動くことが多い。一つ実例を示そう。

個人情報保護法は第16条3の三で「公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき。」には個人情報の目的外利用ができると定めている。しかし、同規定を理由に、公衆衛生の向上を目的に、新型感染症感染者の行動履歴をトレースする手法を政府は採用していない。同手法が現行法で実施できるかできないか、個人情報保護法関係者の間で議論が始まった段階である。

法律を超えた超法規的処置もありえるという情緒的な意見もある。

新型インフルエンザ等対策特別措置法は外出禁止命令を許していないため、外出自粛を呼びかけるにとどまっている。超法規的に外出禁止を命令しても国民の支持を得られたかもしれないが、政府はそのようには動いていない。

結局のところ「今の政府は信用できない」という感情から情緒的意見が表明されているように思われる。しかし、民主主義の原則からそれには同意できない。

国民は国政選挙で投票権を行使し、選出された国会議員が法律を制改定する権利を行使している。国会議員が総理大臣を指名し、政府が組織されている。「今の政府は信用できない」と個人として考えるのは自由だが、有識者として声高に主張するのは国政選挙で投票権を行使した国民の意思を否定するものだ。