Winny栄光なき天才:金子勇の悲劇を繰り返さないために(下)②

2020年05月20日 06:00

提言4:裁判所に対する提言

1994年にアメリカで起きたラマッキア事件は、時代は異なるもののWinny 事件と多くの共通点がある。被告が有名大学に所属する優秀なソフトウェア技術者であること、著作権侵害に使われるおそれのあるソフトを開発し、刑事責任を問われたこと、検挙に反対する支援者達が裁判費用を支援するための基金をつくったこと、などである。

相違はラマッキア事件では地裁で無罪判決が下り、検察が上訴しなかったため、起訴から8ヶ月で無罪が確定した。これに対して、Winny事件では地裁で有罪とされ、高裁で覆ったが、最高裁まで争われたため、無罪が確定するまでに7年半を要した点である。

MITの学生新聞Techのオンライン版より

マサチューセッツ工科大学(MIT)の学生で、コンピューター・ハッカーでもあったディビッド・ラマッキアは、意図的にコンピュータ上の偽名を使ってMITのワークステーションの電子掲示板機能(BBS)を使い、国際的な規模で、著作権のあるソフトウェアを「ライセンス料や購入代金を払わずに違法にコピーし配布できるようなシステムを構築した。 

著作権侵害に刑事罰を科すのは慎重な米最高裁

通信詐欺罪違反の容疑で起訴されたラマッキアは1985年のダウリング事件最高裁判決にもとづいて反論した。ダウリングらはエルビス・プレスリーのレコードの海賊版を通信販売した容疑で逮捕され、盗品の州際輸送法(以下、「盗品法)違反、著作権法違反、郵便詐欺罪で起訴され有罪とされたため、連邦最高裁に上訴した。最高裁は、盗品法違反についての上訴を受理。海賊版のレコードに録音された音楽は、盗品法が定めるところの「盗まれたり、横領されたり、騙し取られる『有体物』」ではないので、盗品法は適用されないとした。

以下、判決のポイントを抜粋する。

著作権は、排他的支配を取得できない点で通常の動産と異なる。著作権の制約は、法律に優位する憲法上の権利に由来する。憲法修正1条は思想の自由な流通を保障しているからである。著作権の主たる目的は著者の労苦に報いるのではなく、科学・芸術の進歩に貢献することにある(著作権法1条)。著作権侵害は盗み、横領、詐欺に匹敵するものではない。

ダウリングが許諾なしに海賊版を作成したことは著作権法違反であることに議論の余地はない。しかし、著作権者からその使用を奪っているわけではないから、盗品法のいう物理的移転を著作権に対して物理的なコントロールをしたとみなすことはできない。

盗品法を拡大解釈することは、歴史的に私法で規制してきた著作権など知的財産権の分野の広範な行為を刑事罰化する効果があると指摘し、議会がこの分野に刑事罰を科すことに慎重だった事実は、犯罪を定義し、刑罰を科すことは立法府にまかせるという英知を示すものといえる。

米国版Winny事件を無罪とした米連邦地裁

ラマッキアはダウリング判決で示されたように著作権違反の物品を輸送したことが罪に問えないならば、自分の通信に関わる行為も著作権法違反の罪に問えないと主張した。1994年、マサチューセッツ連邦地裁は判決の冒頭で、この事件が「新しい酒を古い革袋に入れることができるか」の問題を提起していると指摘した上で、ダウリング事件における最高裁判決が、ラマッキアの著作権法違反を排除するとして、以下のように判示した。

ダウリング判決が指摘するように、著作権は議会が注意深く取り扱ってきた分野で、著作権者を侵害から守るためには種々の民事責任を用意するとともに議会が刑事罰による抑止効果が必要と認めた時には法律によって段階的な刑罰を科してきた。このステップバイステップの注意深いアプロ―チは、著作権法が示唆する懸念に対する議会の伝統的なあ配慮とも合致する。新技術が著作権法に与えるインパクトに対する議会の敏感さはダウリング判決で最高裁が犯罪を定義し、刑罰を科すことを立法府にまかせた英知とも一致する。

司法府は、立法府の明確なガイダンスなしに著作権の保護を拡張するのに慎重な姿勢を貫いてきた。これまで司法府は、大きな技術イノベーションが著作物の市場を変えるような時には議会に敬意を表してきた。議会はそうした新技術に避けられない様々な対立する利害を調整する権限と能力を持っているからである。

司法府の立場をわきまえた慎重な姿勢、特にイノベーションが著作物市場を変えるようなケースでは、対立する利害を調整する権限と能力を持つ立法府の判断に委ねる姿勢は、後述するWinny事件の京都地裁判決と対照的である。

原告の通信詐欺法の解釈にもとづけば、ラマッキアの行為だけでなく、私的目的で1本のソフトをコピーする誘惑に負けた無数のパソコンユーザーまで犯罪人にしてしまう。それはソフトウェア業界も望んでいるかどうかわからない。

よって、ダウリング 対 合衆国判決が、ラマッキアを通信詐欺法にもとづく著作権侵害で起訴することを妨げる。

もちろんこれは、ラマッキアがやったとされる行為を啓発するものではない。起訴状のとおりとすれば、彼の行為は無責任で、ニヒリスティックかつ自己陶酔的で、基本的な価値観も欠如している。違反者の側にたとえ営利的な動機がない場合でも、著作権のあるソフトウェアを意図的に数多く侵害したことは、おそらく民事罰とともに刑事罰も伴うべきであろう。著作権法はそのような起訴ができるように修正される必要があるとも考えられる。しかし、犯罪を規定し、罰則を科するのは立法府であって、法廷ではない。

現行法では罪に問えないので、立法論の問題であるとしたのである。

金子氏を有罪とした京都地裁の勇み足判決

このように著作権侵害に刑事罰を科すことに慎重な米国の裁判所と対照的に、金子氏を有罪とした京都地裁の判決は『Winny天才プログラマー金子勇との7年半』を読む③で紹介したとおり、検察官が有罪の中核に据えていた事実を裁判所が否定しながら、弁護人も検察も主張していない基準と事実認定によって有罪とした。具体的には

  • ファイル共有ソフトの92%が著作権侵害に使われている
  • Winny もファイル共有ソフトである
  • だからWinny も著作権侵害をほう助している

という三段論法で著作権侵害を認めた。

京都地方裁判所庁舎(Wikipedia)

ほう助で開発者を処罰することは、殺人に使われるとの理由で包丁や自動車の開発者を罰するようなものだが、京都地裁はこうした三段論法で幇助を認めた。

しかも、Winny事件で問題となったネット上のソフト提供で不特定多数に対する「幇助犯」はこれまでにない新しい類型である。罪刑法定主義の原則からすれば、反社会的行為が既存の刑罰法規の予定する類型にあたるかどうか疑わしい場合は、裁判所はラマッキア判決のようにその適用を見合わせ、判断を立法府に委ねるべきである。にもかかわらず、幇助犯の成立を認めた。

ラマッキアが数多くのソフトウェアの著作権侵害を引き起こしたことはもちろん問題である。MITもただちに処分した。しかし、処罰する法律がないのに処罰することはできない。倫理の問題と法律の問題は別である。特に刑法には罪刑法定主義という大原則がある。

米国議会も1997年に著作権法を改正し、ラマッキアの行為を処罰できるようにした。法の未整備は、特に罪刑法定主義のある刑法では、このように立法で対応するのが、正攻法ではないか。

開発者の逮捕、訴追は金子氏個人にとっても不幸だったが、社会にとっても大きな損失だった。技術開発への委縮効果を招かないためにも、わが国の司法に求められるのは、米国の裁判所のような司法府の役割を十分わきまえた対応である。具体的には新技術に対して、罪刑法定主義の観点からだけではなく、イノベーションが著作物の市場を変えることも想定して、判断を立法府にまかせた対応である。

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国際大学GLOCOM客員教授、米国弁護士(ニューヨーク州・首都ワシントン)

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