8月4日に「止まらなかった陽性者拡大~ 日本モデル vs.西浦モデル2.0の正念場④」という文章を書いておいた。7月上旬をピークに東京の新規陽性者数の拡大ペースは鈍化をしていたが、4連休の際に跳ね上がったように見えたので、それを記録しておきたかったからだ。もちろん本当に重要なのは、その後のトレンドだ。
新型コロナの感染発症者のほとんどは、5日以内に発症すると言われる。他方、2週間程度の間は発症の可能性があるともされる。4連休中の影響が出尽くしてくるのが、2週間を経過してしばらくしてからの8月10日からの週であろう。
すでに先週から、新規陽性者数の増加に再び鈍化の傾向が見られている。週ごとの大きなトレンドを見てみよう。
新規陽性者数
(7日移動平均) |
増加率
(前の7日間との比較) |
|
8月4日~10日 | 335人 | 0.99 |
7月28日~8月3日 | 338人 | 1.34 |
7月21日~27日 | 252人 | 1.15 |
7月14日~20日 | 219人 | 1.30 |
7月7日~13日 | 168人 | 1.69 |
6月30日~7月6日 | 99人 | 1.94 |
これを日ごとの7日移動平均値をとったグラフで見るとこうなる(参照:東洋経済オンライン特設ページ)。
4連休後の週に新規陽性者の拡大がスピードの変動は、実効再生産数の推移でも見ることができる。
“陸上競技会”のような感染拡大報道からの脱却
こうした言い方は、連日のメディアの報道では採用されていない。だがそれは単純に、メディアの「ただ目の前の視聴率の向上だけを考えたい」という徹底して無責任な煽り報道の方針のためである。「テレビに出ているのだから偉い人なのだろう」という根拠がないどころが、今や単純に事実に反する思い込みをもった視聴者層に煽り報道を売りつけるだけのビジネスモデルで、私のような言い方が採用されないだけだ。
もう少し具体的に言うと、二つの点に留意する必要がある。
第一に、感染拡大を、陸上競技の記録会のように報道するのが、端的に間違いである。「〇〇日ぶりに〇〇人台」といった報道の仕方は、あたかも百メートル競走の実況中継をしているかのような臨場感のあるやり方なのだろうが、間違いである。毎日の新規陽性者数は、あたかも陸上競技者がスタートラインに戻って一から始めるようなものではない。前日までの陽性者の数が違うということは、日々の新規陽性者数は、異なるスタートラインから始めているということだ。
新規陽性者数が同じ1,000人だった二つの異なる週の場合のことを考えてみよう。仮にそれぞれの前の週の陽性者数が100人だったら、当該週は陽性者数が10倍になった急速拡大の週である。
ところが前の週にすでに1,200人の陽性者が出ていたとしたら、当該週はむしろ拡大スピードが減少していることになる。新規陽性者を拡大させる人の数が違うところからスタートしているので、絶対数では拡大のスピードを見ることができない。
第二に、それでは絶対数はどのように評価すればいいのかといえば、日本政府はこれまで一貫して「医療崩壊を防ぐ」ことを目標に掲げているので、それが危うくなる水準が、危険領域である。4月よりも数が多いとか少ないとかということは、関係がない。「日本モデル」では一貫して「重症者中心主義」というべきアプローチをとってきているが、新規陽性者の中から重症者が生まれるわけなので、医療崩壊が懸念される程度にまで重症者数が増える可能性が見えてきた新規陽性者数が、懸念すべき絶対数である。
8月までもつれ込んだ「正念場」
私はこのところ「日本モデルvs.西浦モデル2.0」という視点で文章を書いてきているが、「日本モデル」と「西浦モデル」は、重症者中心主義であるか、感染者中心主義であるかという着眼点において、鋭く対立する。
参照拙稿:山場が近づいている ~日本モデルvs.西浦モデル2.0 正念場③
尾身茂会長をはじめとする旧専門家会議=現在の「分科会」メンバーは、7月の新規陽性者の拡大に落ち着いた対応を見せた。それは、検査数の増大に伴う確定新規陽性者数の絶対数の増加と感染拡大傾向のあぶりだしは、重症者数が医療崩壊を懸念させる水準に達するまでは深刻にとらえすぎる必要はない、と考えているためだろう。新規陽性者数の拡大は、鈍化し続ければ良好な傾向であり、深刻になる前に拡大が止まれば、それで良い指標だ。
そこで「日本モデルvs.西浦モデル」の対決ポイントは、行動変容等を通じて感染拡大は止まる可能性を模索するか、あるいはロックダウンのような措置が導入されなければ果てしなく指数関数的拡大が続くと仮定するかの違いになってくる。
「西浦モデル」では、現状は際限のない指数関数的拡大の真っただ中ということになる。
5月3日に西村大臣が日本の政策の説明で用いた「ハンマーとダンス」の表現を用いると、「日本モデル」の観点からは、一つのダンスの形を模索している最中である。
緊急事態宣言延長の背景 その① 感染症対策の常道「ハンマー・アンド・ダンス」とは
~ #新型コロナウイルス感染症対策 担当 #西村大臣 のメッセージ~ pic.twitter.com/0xrUgborYA— 西村やすとし #不要不急の外出自粛を NISHIMURA Yasutoshi (@nishy03) May 4, 2020
私は7月末に「正念場」が来ると書いたことがあるが、4連休の影響で微妙なせめぎあいが発生したため、8月に「正念場」がもつれこんでいるような様相になっている。
現時点で結論を出すのは早いが、「日本モデル」の観点からは、新規陽性者数は拡大が止まればそれでいい。メディアのただ「今日の視聴率が上がればそれでいい」方針の煽り報道のトーンとは異なり、「日本モデル」はまだそれほど劣勢にはなっていない。
なぜ日本モデルが押谷モデルか
なお私自身は、尾身会長をはじめとする「旧専門家会議」「分科会」メンバーのこれまでの貢献を高く評価し、現在も強く支持し続けている。特に押谷仁教授の役割は、大絶賛をし続けてきている。最近いささか世間での「分科会」に対する風当たりが強くなってきたことをふまえて、Twitterに「尾身先生・押谷先生を守る会を作りたいくらいだ」と書いたところ、多くの方々の賛同を得た。
実際には、私はそうした運動系のことを自分自身で主導するのは苦手なので、代わりに「日本モデル」がなぜ「押谷モデル」であるのかについて、今後数回にわたって書いていくことにする。そしてそれをもって私の熱烈な押谷先生への称賛の証としたい。
現在でもポイントとなっている「日本モデル」の重症者中心主義は、2月下旬ころからはっきりと形になってきた。尾身先生・押谷先生らが構成した「専門家会議」が2月中旬に招集されたからだ。
2月25日に決定された新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本方針」では、次のような考え方が示されていた。
・感染拡大防止策で、まずは流行の早期終息を目指しつつ、 患者の増加のスピードを可能な限り抑制し、流行の規模を抑える。
・重症者の発生を最小限に食い止めるべく万全を尽くす。
・社会・経済へのインパクトを最小限にとどめる。
日本は当初から、感染の流行の終息の可能性を求めるものの、現実には「重症者対策を中心とした医療提供体制等の必要な体制を整え」ながら、「患者の増加のスピードを抑制すること」を目標としてきた。
1日あたりの新規陽性者数を〇〇人以下にする、などといった思慮のない目標は、一度たりとも立てたことがない。マスコミが勝手に言っているだけの事柄である。
結局、マスコミが新型コロナでやっているのは、自衛隊を中心とした防衛政策をとって日本を守っている政府に対して、自衛隊を違憲として廃止したうえで完全な日本の安全を達成していないから政府はダメだ、とキャンペーンして糾弾しているような無責任かつ非現実的なことである。
「封じ込めは不可能」欧米より先んじていた押谷氏らの判断
前回の文章でも書いたように、この背景には、2月中旬の段階で、感染の封じ込めは事実上は不可能と厳しい判断をしたうえで、新型コロナは感染力は高いが重症化率は低い(危険なのは高齢者と基礎疾患保持者)という的確な洞察にもとづき、重症者(死者)の抑制に優先的に資源配分できる体制をとるべきだと考えた押谷教授らの英断があった。
SARSやMERSの被害経験があった諸国では、早期の中国からの入国制限などの水際対策措置が取られていた。台湾、韓国、シンガポール、ベトナムなどの超優良成績の諸国は、経験を生かして早期に動き、その後も封じ込め政策をとり続けている国々である。
これに対して3月になってから短期間で慌てて強力なロックダウン措置をとりながら医療機関の負担を考えずに指針なき盲目的な検査などを行い続けた欧米諸国では、医療崩壊現象が起こり、膨大な数の死者が生まれてしまった。当時はそれが標準的な新型コロナの被害想定だとみなす「西浦モデル」的な理解もあったが、それから数カ月たち、世界各地の感染状況も見るならば、単純に当時の欧米諸国の致死率が異常であったことが明らかである。
現在の欧米諸国は、もはや封じ込めは目指さず緩やかな感染速度の管理を目指す政策に転換している。結果は、致死率の大幅な改善が果たされている。
「日本モデル」の過大評価は、3月の欧米諸国の経験とのみ比較して、日本の成績を過度に良いものとみなしすぎる態度である。逆に「日本モデル」の過小評価は、早期対応で封じ込め政策をとることが可能となったアジア諸国とのみ比較して、日本の成績を過度に悪いものとみなしすぎる態度である。
「日本モデル」は、封じ込めが不可能になった諸国(SARS/MERSの直撃を受けなかった諸国)の中で、極めて良好な成績を保っている。なぜなら早期対応で封じ込めを狙った諸国に後れを取ったため、もはや封じ込めは不可能だと判断することになった諸国の間においては、最も早くその判断を行ったのが、日本だったからだ。
すべては押谷教授ら真正な専門家たちの素晴らしい状況判断が2月中旬に行われたからである。
全国民毎週PCR検査運動の罪深さ
今頃になって、国民自己負担も課して数十兆円を投入し、経営悪化した病院関係者を片っ端から検査技師に作り替え、管理費なども上手く業務委託して、全国民毎週PCR検査を行って新型コロナを撲滅する国民運動を起こそう、といったことを厚顔無恥にもテレビで主張している人たちがいる。
罪深いことだ。
ロックダウン解除になったばかりの時期のニューヨークを都合よく脚色して宣伝に使っているようだ。それで、もしニューヨークだけは絶対に今後も感染者の増加することはありえないという大胆な主張が外れた場合には、丸坊主にでもなってテレビに出て謝罪して「自分の学者声明は終わりました」と宣言してくれる覚悟だというのだから、すごい話である。
私自身は、謙虚に押谷先生らの功績を認めることが本当に大事であると考えている。そして、今後も引き続き国民の英雄と呼ぶべき尾身先生・押谷先生らを強く支持していきたいと思っている。