Facebookの狙い打ちアカウント停止を告発する

2020年09月28日 06:01

Facebookの愛好者の中には、理不尽なアカウント停止によって精神的打撃を受け、家族や友人との絆を切られたり、経済的損失をこうむらされたりしてきたケースがある。

私などそういう目に遭わないように細心の注意を払ってきたのだが、それでも、運用を勝手に変えられ、それを遡及的に適用されたことや、悪意をもったクレームを検証することなく不利益処分の理由とされて迷惑な目に遭ったこともある。

しかし、今回、突然にアゴラに掲載した記事を紹介した3年前の投稿と、もうひとつの4年前の注意深く書いた投稿を理由に、3ヶ月のアカウント停止を通告されたことにはあきれはてている。このような、反社会的な企業行動を許せない。

まず、最初にアカウント停止の理由とされたのは、アゴラに20171129日に掲載した「サンフランシスコ日系移民排斥が太平洋戦争の原因だ」という記事を紹介した同日付の投稿だ。

この記事は、大阪市の吉村市長がサンフランシスコとの姉妹都市提携を解消するとしたことについて、アメリカのリベラル派のもつ価値観を逆なでするようなことのないように万全の配慮が必要であるということを主張したものである。

“排日移民法案”(1924年移民法案)にサインするクーリッジ大統領(Wikipedia:編集部)

それと同時に、1906年のサンフランシスコ市における日本人児童排斥や、カリフォルニア州における移民排斥こそが日本とアメリカの関係悪化のきっかけであり、太平洋戦争の遠因になったということなどきちんと指摘して、リベラルな価値観にてらしても日本を一方的に批判するのはおかしいという攻勢防御も必要だという、むしろ、リベラルな価値観の土俵の上での対処を呼びかけたものであり、これが、ヘイトとFacebookに認定されようとは夢にも思わなかった

そうしたところ、数時間の時差でもうひとつの「攻撃」が飛んできた。これは、以下のような投稿に対するものだった。これはベトナム戦争についてNHKが普通なら放送しない残虐な映像を放送してことさらにアメリカ軍の非人道性を訴えた番組内容がアンフェアであるというものであった。

【「新・映像の世紀」の残虐場面の恣意性への疑問】ベトナム戦争でのアメリカ軍の残虐なゲリラ対策の場面を見せて、「戦争の残虐性を理解してもらえるためにあえて残酷な映像を出した」とテロップ。◆何年か前の「裸足のゲン」事件のときにも書いたことだが、戦争であれ原爆であれ交通事故であれ、その残虐性を強調するために通常の基準を超えて残虐な映像、画像を公開することを許すことは正当化できない。それは歪んだ押しつけ真実だからだ。◆見たこともない酷い死体を見たら観た人はショックを受ける。交通事故、殺人事件、災害、戦争、原爆など放送局やマスコミがこれを憎しみをかき立てたいと思う対象を恣意的に選んで公開を許したら好きなように世論を誘導できるのだ。それはおかしいのであって、客観的な基準で一律に扱うべきものだ。◆同様の問題は、たとえば、慰安婦だってそうで、売春ということについて一般的な情報を与えないで、あるいは、戦場における性的処理一般について普遍的な実態についての情報を与えずに日本軍の慰安婦だけ社会科で教えるのも「ひどい」という非難の感情の押し売りだ。

どうも慰安婦についての記述が気に入らなかったのでないかと思う。もし、誰かが慰安婦というのは自発的な売春婦にすぎないとか書いたら、それはリベラルな基準からして許せないというのは十分に承知している。

しかし、慰安婦をなんらかの強制ないし理不尽な誘導行為で売春行為を強いられた人々だという、もっともリベラルな見解と対立しないように、細心の注意を持って書いたのが、これがなぜ「ヘイト」と判断されたのか理解できない。

Facebookの理不尽な対応を許さない

今回の事件は、従来のFacebook事務局による措置とも明らかに異質である。なんらかの集団が集中的に通報したのに対して、Facebook事務局が中身をよく吟味せずに反応した可能性も強いようにも見受けられるが、こういうことが許されては言論の自由は形骸化する。

これまでも、Facebookからアカウント停止にはならないにしても、理不尽に削除を受けた投稿はいろいろある。たとえば、私は「●●人はこうだから困る」などと絶対に書かない。ただ、「●●政府はいつもこうだ」と書いて削除されたときにはあきれた。

私は「支那という言葉は差別用語でないが、相手の嫌がる呼称をわざわざ使うこともあるまい」という意見で、wikiにも中立的な意見として載っているくらいだし自分では使わないが、「支那」と書いた人が続々とアカウント停止になっているのもおかしいことだ。

Facebookのアカウント停止や記事削除については、具体的な基準が明確でない、異議を申し立てるについてイエスかノーかだけで、言い分を添えることを受け付けてくれない、何年も前の投稿を基準を変更して遡及的に排除するなど理不尽なことは山ほどある。

日本法人に内容証明をつけて訴えても「日本法人にはなんの権限もない。デラウェア法に基づく法人だ」といって逃げるが、Facebookの判断基準が国際的なリベラルの価値観にそっているかといえば、そうでもないから、アメリカで判断しているなどと到底云えたものでないのだが。

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八幡 和郎
評論家、歴史作家、徳島文理大学教授

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