すべての政治家必読。今こそすすめたい安岡正篤『活眼 活学』

2020年12月03日 06:00

議会130年の節目を迎えはしたものの

先月29日、コロナ禍の中、参議院本会議場で議会開設130年の記念式典が厳粛に執り行われました。

議会開設130年記念式典(衆議院サイトより)

外野ながらも尾崎財団の端くれとして列席された皆さんにエールを贈りたいと思いつつも、内政においては桜を観る会の前日祭が再燃し、また外交においても中国・王毅外相を迎えてのやり取りにいら立ちを覚え、また式典当日は共産党が式典をボイコットする始末。

日本維新の会の音喜多議員が報じてくれた当日の様子には、落胆と同時に「しょうがない、どうせ共産党だし」という半ばあきらめも浮かびました。

(参考)議会開設130年記念式典、共産党は欠席。暴力革命の歴史と危険性とは?

記念すべき節目を迎えても、コロナの猛威は今もなお続きます。

そうこうしている内に、今期の第203回国会もまもなく終わりを迎えるわけですが、どうして政治家の方々は有権者の期待に応えてくれない(人によっては、裏切りを重ねる)のか。

130年の歴史を私なりに振り返ると、ひとつ思い浮かんだ違いがあります。それが今回のテーマでもある「学び」ですが、かつての政治家は勉強熱心でした。

たとえば伊藤博文と三条実美が初代内閣総理大臣の座を争った際の決め手は「赤電」、つまりは英語の読解力でした。

立憲改進党を率いた大隈重信が栄達を遂げるきっかけとなったのも、宣教師フルベッキから学んだ英語を武器にイギリスの駐日公使・パークスと渡り合ったことでした。

もっとも単に外国語が話せるなら今の議員の方々のほうが多いかもしれませんが、先人たちは英語以上に大事なものを学んでいました。他ならぬ古文や漢籍などの明治以前から続く学問であり、またそれらを著した人物から学ぶ「人間学」です。

人間学の泰斗・安岡正篤師の『活眼 活学』

改めてそう思うに至った理由は、最近読んだこの一冊にあります。

安岡正篤『活眼 活学

安岡師といえば「終戦の詔勅」を起草され、先の元号「平成」の起案をめぐって山本達郎・東京大学名誉教授とならび名の挙がった人物でもあります。

戦後政治においては、自民党の名門派閥「宏池会」を命名し、吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳など歴代宰相の指南役とも言われました。

なぜ、かつての総理たちは安岡師を頼ったのか。同書を読むと、実に多くの示唆が得られます。たとえばこんな一説があります。

嗜欲(しよく)を以って身を殺す無かれ
貨財(かざい)を以って身を殺す無かれ
政事(まつりごと)を持って民を殺す無かれ
学術(がくじゅつ)を以って天下を殺す無かれ  (同書144頁)

後漢の学者、崔子玉の言葉を引用し説いているわけですが、民や為政者を等しく諫めるとともに、学術が行き過ぎることへの警鐘も古代中国の古典から読み取っているわけです。特に日本学術会議を巡る騒動を思いながら読むと、慧眼というよりありません。

発祥の「容易ならざる国」中国に目を向けてみる

先日の中国・王毅外相の来日では政府の穏やかな姿勢が非難を集めましたが、こうした学びは外交の場面で「瞬発力」を発揮するのにも必要不可欠と思われます。一筋縄ではいかない「容易ならざる国」を相手にするからこそ、その国発祥の叡智を学び、相手以上に理解する。立会いで機先を制するには、そういう事がどうしても必要なのです。

大陸のある知人に言われた中で、今も忘れられない言葉があります。

「中国人は、日本の政治家が東大を出ていてもハーバードを出ていても尊敬しない。けれど私たち以上に中国の文化や古典、それこそ四書五経に通じている人は一目置かれる。『史記』まで読んでいたら、そこには尊敬と脅威が入り混じる」

知人いわく、中国でも今なお一目置かれる歴代総理は大平正芳総理だそうです。政界に転じる前は大蔵官僚として中国大陸の空気に触れ、現在よりも微妙な緊張下にあった日中両国を、互いに引っ越すことのできない「大晦日と正月」の関係に例えるなど、機智にも富んでいました。

また大平総理は政界随一の読書家としても有名でしたが、誰もが大平総理を目指せるわけではありません。それでも、限られた執務時間で最大の学びを得るためには、安岡師が学んだものに触れ、そのエッセンスを吸収するだけでも、得るものは大きい。衆参両院をあずかる議員の方々、また自治体議会においてもすべての皆様に有益であると確信しています。

中国古典に限らずとも、改めてかの国とわが国の文化の相違や共通点に通じることで、日々発する言葉にも重みが増すのではないか。そうした期待も入り混じります。

政治家に求められる「言葉の錬磨」

直近ならば香港の民主化運動をめぐって、あるいは相次ぐ領海侵犯に対しても、日本の政治家は指をくわえて傍観するしかないのか。そう思うと情けなく、同時に暗澹(あんたん)たる気持ちになります。

こんな時だからこそ、総理でも外務大臣でも、いや無役でもいい。隣国の痛いところを、正々堂々と衝けることが自然の所作になっていただきたいのです。なにも、露骨な挑発は必要ありません。

「庭を重んずは大国の、軽んずは小国の所業なり」

せめて、これぐらいのメッセージをぴしゃりと発していただきたい。庭の意味するところは、なにも一般的なものばかりではありません。海洋においては領海にも置き換えられるし、かの地においては「未来ある世代」のシンボルでもありましょう。

前述の一文は古典の引用ではなく、私の即興です。ちょっと本書の頁をめくっただけでも、これぐらいの想は得られるのです。だからこそ、言葉こそが一番の武器であろう政治家の方には、いや政治家の方にこそ。

安岡師のメッセージに触れていただき、各々の言葉を錬磨していただきたいと願います。

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