青山社中10周年 〜 果し得たい約束/三島由紀夫の誤算

青山エリアからの東京を眺む(TAGSTOCK1/iStock)

こんぶの日であり、かまぼこの日であり、また、着物の日でもある11月15日。そんなことは露知らず、10年前の2010年の同日、坂本龍馬の誕生日であることだけを意識して、日本活性化のための株式会社である青山社中を立ち上げました。

10年間の悪戦苦闘を振り返って

社名は龍馬が設立した亀山社中を模し、結果、創業の地として東京青山を選びました。 当時所属していた経済産業省で頑張り続けること、政治に打って出ることなど、色々と検討し、逡巡し、政治は出馬の一歩手前くらいまで行きましたが、代表を務めていた新しい霞ヶ関を創る若手の会(プロジェクトK)の仲間との真剣な語り合いの中で、この道を選びました。

日本の根本からの活性化のためには、普通の道では無理だと感じたからです。 創業当時の資料を見返してみると、具体的な事業としては、① 政治家や政党をサポートする政策シンクタンク事業、② 人材育成事業、③ NPO・自治体等の組織づくり支援のコンサル事業、という3本柱を掲げていました。

10年経って振り返ってみるに、大きな軸は変わっていないと思います。とはいえ、やはり物事は実際にやってみないと良く分からないもので、いわゆるピボットと言いますか、①は、国政のみならず地方議会支援という形にも発展させていただき(これまで10近い区議会や市議会や県議会での政策づくりをサポートをしています)、②「始動者」(=リーダー)という概念を打ち出してリーダーシップ教育を中心に進展し、③は、地域の活性が日本活性の要ということで、自治体支援などに取り組んでおり、主に組織作りの支援というよりは、地域の食い扶持をどう作るか、というところが中心です。

想定とは若干異なる歩みとなりました。 特に③では、1)地域のひとづくり、2)地域のまちづくり、3)地域と世界の接点づくり、ということで、まちづくりの常識を変えようとしたり、官民連携を進めたり、自治体外交のサポートをしたりと、悪戦苦闘しつつ、道なき道を切り拓かせて頂いています。

この10年間、上り坂も、下り坂も、そして「まさか」も含め、本当に色々なことがありましたが、お陰様で、現在、専属・副業・インターンを含めて20名近くの仲間と日本活性の道を歩むことが出来ており、感謝しかありません。 多くのクライアントの皆さまに弊社をご愛顧いただき、150名を超すリーダー塾生・卒塾生、300名を超すリーダーシップ公共政策学校その他の私が主宰する学校・講座の受講生、その他、各地での私の講演を聞いてくださった皆様、著書や連載記事の愛読者の皆さまと繋がらせて頂き、忙しくも充実した幸せな日々を過ごさせて頂いています。 心から御礼申し上げます。

よく、他の経営者などが周年記念の際に「皆様のおかげで…」などと書いたり言ったりしておられると、「どうせ、あまり心からは思っていないんだろう」と、どこか斜めに見ていた自分がいますが、自らがその立場にたってみると、皆様の支えを本当に感じます。心からの感謝をここで申し上げたいと思います。

果たし得なかった日本の活性化

唯一のそして最大の反省は、設立時からの目的・目標である日本の活性化が未だに達成できておらず、その道筋も見えないということです。丁度半世紀前、50年前の11月25日に自決した官僚出身の作家である三島由紀夫流に言えば、「果し得ていない約束」というところでしょうか。

この10年、がむしゃらに走っては来ましたが、一体どれくらい日本は活性化したのかと考えると内心、忸怩たる思いしかありません。 私見では、明治維新も戦後の復興も、凄まじいまでの精神力とスケールの大きな視野を持った先人たちが、大局観をもって命がけで国内の既得権益に、或いは世界に、挑んでくれたから達成できたのだと思います。

「和魂洋才」という言葉がありますが、日本で育まれた家業道徳的倫理観や武士道、国内でアレンジされつつ定着した儒教などの英知をもって、先人たちは、先端の技術・文明を積極的に取り込み、世界に冠たる国を築いてくれました。

どんなに世界のライバルたちが強大でも、単にそれらを輸入するだけでなく、「自分たちの手で咀嚼して自らそれらを築き上げる」と決意し、近代的な政治・行政の体制はもちろん、常識的には決して敵うはずのない強大な外国企業(当時で言えば、GMやフォードやGE)が市場を席捲する自動車産業・家電産業などについても、豊田家、松下幸之助、本田宗一郎などのチャレンジャーが、全くのゼロから時に真似、時に先を行く気宇壮大な構想で自らプラットフォームを築き上げ、世界の中核になりました。

アップル創業者のスティーブ・ジョブズが憧れた盛田昭夫、映画監督のジョージ・ルーカスが心酔した黒沢明(銃よりライトセーバーという剣が強く、人工知能よりフォースが強いスター・ウォーズは、ある意味黒沢映画へのオマージュと言えるでしょう)など、世界が驚嘆したのは、日本そのものというより、戦前も戦後も、驚異的なパワーを発揮する日本人でした。彼らを入り口に、世界は日本そのものに関心を持ったと言えましょう。

プラットフォームを取りに行く気概が欠如

ところが今は、インターネットやAIの世界は、米国やそれを追い上げている中国にはどうせ全くかなわないということで、ある意味で皆諦めており、製造業も中国の追い上げで青息吐息な感じです。若い世代や世論に大きな影響を与えるエンターテインメントの世界も米国はもちろん、最近では韓国に太刀打ちする気力すらありません。

GAFAや韓国系のLINEに日本人のデータが全部取られても逆転の気概もありません。和魂なく、洋才を入れて勝つ気迫は潰えつつあるようにも見えます。 ユニバーサルスタジオジャパン(USJ)にプラットフォームを取られつつアトラクションにはコナンやプリキュア、マリオなどが並び、韓国の会社がプロデュースするプラットフォームに日本人がアイドルとして乗っかったり混ぜ込まれたりして、狂喜乱舞して満足しています。

自省も込めてですが、プラットフォーム取られての悔しさやそれをバネにしての勝ちに行く気持ちもなく、死ぬ気で働いて、闘ってそれを取りに行った先人たちに申し訳ない気持ちで一杯です。 より正確に言えば、先人たちよりも、子供たちや次の世代に済まないという気持ちの方が強いかも知れません。おそらく、中長期的には日本の食い扶持というのは次第になくなって行き、次の世代はどんどん苦しんでいくでしょう。

Johnson/flickr

一般論として、今の日本はとてもいい国・住みやすいところだとは思います。民主的で、食い扶持もあって、治安も良い。ただ、現状は、ある意味「親の遺産」を食いつぶしている育ちも性格もいいドラ息子みたいなもので、「日本を世界に誇れ、世界で戦える国・社会にしよう」という気迫がなければ、この状態が永遠に続くとは思えません。

このままでは明るくない未来に

私はここで、何も、偏狭なナショナリズムに陥れ、と言っているわけではありません。文明史を少し学べば明白なように、こうした時代のセンターピン的食い扶持・戦略物資やサービス・プラットフォームの取り合いというのは、木綿や石油や茶などの過去を見るまでもなく、厳然としてあるわけで、これを取れれば栄え、これが取れなければ、いくら栄えていようとも、かつてのインカ帝国からポルトガルに至るまで、滅んでいくのが自明です。

そうしたものを自国で賄おうと努力して育成し(輸入代替)、それを逆に強みにして世界に出す(外貨を稼ぐ輸出産業化)、これが、国民が安んじて暮らせる国の足腰を作る不変の原理です。 今はまだ、世界の中でそれなりに大きい規模の日本マーケットですが、今後アジア諸国等が人口面でも経済面でも台頭する中、人口減や高齢化で絶対的にも相対的にも縮小を続けます。このままだと、世界のプラットフォーマーたちに、ほとんど見向きもされなくなって行くでしょう。

そんな明るくない未来を、私を含む大人たちは、何となく知ってはいるのに、ある意味、見て見ぬふりをしています。目の前の仕事だけに没頭し(それはそれで大事ではあるのですが)、プラットフォームを取りに行くべく思い切って戦いに行く気概もなく、下手に働きすぎずに極力自分の幸せを求めて、とりあえず食べられるご飯を貪る、という感じです。

せめて次世代に真の教育・戦う力を授けるかといえば、せいぜい「いい大学に行けるように」とか「とりあえず英語を話せるようにする」的なテクニック教育、偏差値の高い学校やそのための塾探ししかできない親や家庭が大半です。

先述のとおり、今から半世紀前、丁度50年前の11月25日、敗戦から四半世紀の節目に自決した三島由紀夫は、死の少し前に出したエッセイ(「果し得ていない約束」)の中で、こう述べています。

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。

三島由紀夫の予見と2つの誤算

自決前に演説する三島(ANP scans 8ANP 222)/WIkipedia)

私見では、三島の読みは、50年経ってみて概ね当たったのではないかと思うとともに、実は、2つの誤算があったと感じています。

一つは、ここまで書いてきているとおり、日本は、もはや、「富裕な、抜け目がない、ある経済大国」ですらなくなってきているということです。

そして、もう一つは、我々青山社中のような現時点では「ごまめの歯ぎしり」のような取り組みが、しかし、日本を広く見渡してみると、それこそ各分野・各地で生まれて来ており、一つ一つは小さくとも、それがうねりになって勢いをつけた様相、あたかも維新前夜のように見えなくもない、ということにほかなりません。その多くに、「無機質で空っぽ」ではない実・真心を感じています。

三島のようなイデオロギー対立からのアウフヘーベンのみが「進化」ではないと思います。むしろ、イデオロギーでは整理出来ない「神も仏もあるものか」的現実主義こそが日本の強みかもしれない、などと思い始めている自分がいます。司馬遼太郎が喝破した「リアリズム」ではないですが、「和魂洋才」などは、その最たるものでしょう。

これからの青山社中は、現事業を発展させていきつつ、社員や塾生などの仲間たちと、次世代に食い扶持を残していけるような、そんな旅を続けられればと思っています。そのために必死に考え、何かを創り出すべく思い切って挑戦していきたいと考えています。我が国が、10年前の青山社中設立時に掲げた社是「世界に誇れ、世界で戦える日本」になれ、三島の誤算が現実になるように。