経済は複雑系--池尾和人

2009年05月26日 12:11

先週の5月20日(水)に、自由民主党政務調査会の「経済物価調査会」というのの勉強会に呼ばれて、「これからの経済政策と経済思想について」という(向こうが希望したテーマで)話をしてきました。政治家相手の勉強会は基本的には遠慮しているのだけれども、この会は柳沢伯夫氏が会長で、私は柳沢氏が(竹中平蔵氏の前に)金融担当大臣だったときに面識があって柳沢氏を尊敬しているので、例外的に引き受けることにしました。

それで話した内容は、このブログでも書いたことの繰り返しなのだけれども、冒頭で池田さんがブログで書いている懐疑主義の立場をやはり表明しているので、ご参考までにそのときのレジュメの内容を以下に載せておきます。

[追記]
今日、時事通信でこのときの様子が配信されていることを教えてもらいました。


これからの経済政策と経済思想について

池尾 和人(慶應義塾大学経済学部)

私は自由主義者で、「経済は、いうまでもなく複雑系であり、社会というより巨大な複雑系の一側面に過ぎない。やや開き直っていえば、そうした複雑系の動きを正確に予想したり、政策的に思うように制御できると考える方がどうかしている」(拙著『銀行はなぜ変われないのか』中央公論新社、2003年の「はしがき」から引用)と考えている。

経済を政策で人為的にコントロールできるというのは、社会主義的発想。しかし、世の中には社会主義者が多くて、例えば「物価は金融政策によってコントロールできるはずだ(●前提)。したがって、デフレが止まらないのは、金融緩和が不十分だからだ」といった議論がなされたりする。しかし、ここでの●前提は、全く証明されたものではない。

もちろん政策担当者は、このように諦観しているわけにはいかず、最善を尽くさざるを得ない。ただし、その際にも、経済政策の有効性には限界があることを認識しているか否かは重要である。

マクロ経済政策に関する標準的見解
財政の資源配分機能(政府がどのような活動を行うか、行わないか)はとても大切である。したがって、中長期的な観点から財政運営は行われるべきで、裁量的に財政運営を行うことは、むしろ財政の資源配分機能の劣化につながりがちであって望ましくない。換言すると、景気変動への対処は、第1には金融政策によって行われるべきで、第2には財政の自動安定化装置としての働きによるべき。 ← 近年における国際的にみたときの経済学者の標準的見解。

しかし、直近では、財政刺激策への支持を表明する経済学者が相当数みられるようになっている。

もっとも、反対あるいは疑問を呈している経済学者も劣らず多い。オールド・ケインジアン的な不況対策が欧米でも一様に支持されるようになっているというのは正しくない。先日の2回目のG20における独仏の対応についても、日本のマスコミでは財政悪化を懸念したといった報道のされ方しかされていないけれども、背景には経済思想の違い[注1]があるとみられる(欧州において、ケインズ的な政策は社会民主党が主張してきたもので、保守主義の支持するところではない)。

[注1]メルケル独首相は、FT紙のインタビューで、“This crisis did not come about because we issued too little money but because we created economic growth with too much money, and it was not sustainable growth, If we want to learn from that, the answer is not to repeat the mistakes of the past.”と述べている。

日本経済の抱える課題
日本経済は、長らく2部門経済の様相を呈してきた。1つの部門は輸出型の製造業であり、もう1つの部門は国内市場向けの製造業と非製造業である。前者は国際的にみても生産性が高いが、後者は低生産性にとどまっている。後者については、2002年以降も生産性の伸び率が回復したという事実はなく、停滞が続いている。2002年以降、前者が世界的な不均衡の拡大に乗るかたちで躍進したことから、日本経済全体が回復したかのような錯覚に陥っていただけである。その環境が失われたことで、われわれが1980年代以来の課題をなんら解決できていないことが露呈してきたといえる。要するに、日本の抱える問題は、一過性の経済危機ではなく、構造的な問題(潜在成長率の低下)であるとみられる。

今回の金融・経済危機の前後で、「生産能力は衰えていない」というのは物理的な意味では正しい。しかし、物理的減耗(physical depreciation)が起こっていないからといって、非物理的減耗(moral depreciation)が起きていないということにはならない。非物理的減耗は、技術進歩によってももたらされるし、需要構造の変化によっても引き起こされる。

今回の危機の場合、国際的な経常収支不均衡の拡大の過程で、米国では過剰消費が生じていた。そして、この過剰消費構造に対応するかたちで生産能力の形成が行われてきた。ところが、危機の発生とともに、過剰消費構造の強制的な是正が起こり、とくに自動車をはじめとした耐久消費財需要が急減することになった。

国際的な経常収支の不均衡の拡大を伴うかたちで行われていた米国の消費水準は持続可能なものではなく、インバランスが強制的に解消された後に実現可能な消費水準は、従来よりも低位なものでしかあり得ない。そうであれば、従来の消費水準を前提にして形成された生産能力の一部は、物理的には全く毀損されていなくても、経済的には過剰なものになっていると判断される。 → こうした資本の非物理的減耗を考慮に入れないかたちのGDPギャップの推計は、過大になる。

経済成長率=労働生産性上昇率+労働力の増加率 、労働力の増加率は、0.7%のマイナスが今後想定される。

労働生産性を引き上げるためには、(1)資本装備率の向上(資本蓄積)、(2)イノベーション、(3)資源の再配分(reallocation)が必要。とくにわが国においては、(3)が求められているのではないか。

政治の利害調整機能が問われている
輸出型の製造業は、国際的インバランスが是正された以後の世界需要に見合う規模に調整するしかない。その影響を緩和するためには、アジア経済との連関を拡大する(そのためには、EPA・FTAの推進が求められる)、建設業を雇用の受け皿とするのではなく、労働力を医療・介護といった分野に移動させる(そのためには、社会保障制度の見直しと規制改革が不可欠)、サービス産業の生産性改善を図る等々といったことが必要。 ← すべて利害調整が必要。

政治の利害調整機能の低下が、日本経済の新陳代謝を阻害し、低迷を招来している。利害調整ができない付けがマクロ経済政策に回されていると感じる。しかし、マクロ経済政策によって、構造調整の過程に伴う痛みを緩和することはできても、構造調整の必要性そのものをなくしてしまうことはできない。経済を実力通りの姿にもっていく(振れの縮小)のが、金融政策をはじめとしたマクロ経済政策の役割(だから安定化政策という)。経済の実力そのもの(水準)を向上させるのは、構造改革の課題。水準の向上を金融政策等に期待するのは、政策の割り当てとして基本的に間違っている。

また、財政支出や減税にはコストがかかるが、そのコストはすべて将来世代に付け回ししているのが現状。巨大な世代間不公平が既に発生している。いまが大変だというだけで、これ以上、将来世代に付け回しをすることで本当にいいのか。まだ生まれていない世代に対してもマイナスの年金を押し付けるような制度をとっている国で、さらに負担を将来世代にかけるに値するだけの財政支出の内容なのかの吟味が、不可欠。 → レガシーコスト(過去の従業員に約束した年金・健康保険債務などの負担)に苦しむGMを嗤うことはできないのではないか。

以上。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑