バブル崩壊後の1990年代に「第二の敗戦」といった表現が使われたことがある。これは、バブルの崩壊によって失われたキャピタル・ロスの大きさが、敗戦によって失われた国富の大きさに匹敵するという理由からであった。しかし、構造的には、現在の方が「第二の敗戦」を迎えつつあるといえるのではないかと危惧される。
NHKスペシャル風にいうと、通商による繁栄を目指した「殖産興業」路線が行き詰まった戦前日本が、日清・日露の「成功体験」から、再び「軍事力」に頼る「富国強兵」路線を突き進んだ結果が、第二次世界大戦における完膚無きまでの敗北であった。いままた、情報化や脱産業化といった潮流に対応できないままに閉塞状況に陥った日本は、1980年代の成功体験から「ものづくり力」に頼ろうとしている。
戦前に頼った「軍事力」は実は量的のみならず、質的にも英米に劣ったものだった。これに対して、いまさらに頼ろうとしている「ものつくり力」は、果たして盤石なものなのであろうか。
NHKスペシャル風にいうと、通商による繁栄を目指した「殖産興業」路線が行き詰まった戦前日本が、日清・日露の「成功体験」から、再び「軍事力」に頼る「富国強兵」路線を突き進んだ結果が、第二次世界大戦における完膚無きまでの敗北であった。いままた、情報化や脱産業化といった潮流に対応できないままに閉塞状況に陥った日本は、1980年代の成功体験から「ものづくり力」に頼ろうとしている。
戦前に頼った「軍事力」は実は量的のみならず、質的にも英米に劣ったものだった。これに対して、いまさらに頼ろうとしている「ものつくり力」は、果たして盤石なものなのであろうか。
日本が得意なのは、製造業の中でも組立加工の分野である。換言すると、他の分野においてはそれほど強いわけでもない。
家電製品であれば、千点のオーダーの部品を組み上げる必要があり、乗用車であれば、三万点もの部品を組み上げなければならない。これだけの点数の部品を種々の制約条件を満たしながら、きっちりと組み上げるには、数十点ほどの部品を組み上げるのとは質的に異なる、高度な量産技術が必要になる。日本は、こうしたいわゆる「すりあわせ」型の組立加工技術を得意としている。
ただし、部品の点数というのは、数え方によるところがある。いくつかの部品が既に組み合わされたモジュラー部品というのもあるからである。細かく数えれば、1000点ということになっても、50点ずつの部品が組み合わされたモジュラー部品から構成されているのであれば、実質的には20の部品を組み上げればよいということになる。
日本の家電メーカーがデジタル家電の分野で苦戦するようになったのは、こうしたモジュラー化が進展するようになったからである。例えば、薄型テレビでも、液晶パネルや画像データの処理回路等の主要部品がパーツとして供給されるようになり、それらを買ってきて組み立てれば、誰でも薄型テレビを作れるようになってしまった。要するに、すりあわせを行う余地は少なくなり、すりあわせ技術に優れていても、それが競争上の優位性につながるものではなくなってしまった。
こうなると、水平的分業体制に対応してパーツを大量生産するメーカー(例えば、液晶パネルに関する韓国のサムソン)と、そうしたメーカーからパーツを購入して組立を行う(台湾などの)メーカー群に、丸抱え的に部品製造から組立までを行う日本の「総合」家電メーカーは劣勢に立たされることになってしまった。
自動車に関しては、いまのところまだ、部品点数の桁が違うことや環境制約への対応などのハードルが高いことから、すりあわせ技術における優位性が競争上の優位性につながる状況にある。自動車は、日本の輸出型製造業における最後の砦になっている感がある。しかし、自動車に関しては「百年に一度」の変化が起こりつつあり、こうした状況が根底から覆される可能性が生まれている。いうまでもなく、それはガソリンエンジン車から電気自動車(EV)への移行である。
ガソリンエンジン車からEVへの移行がどのような意味をもっているかについては、本年6月10日付け日経新聞「経済教室」、村沢義久氏の「多数のVB、異業種主役に」が簡潔に要点を指摘しており、大変参考になる。要点は、「電気自動車の構造が、ガソリンエンジン車と比べはるかに簡単だ」というところにある。
ガソリンエンジン車はもともと複雑であることに加えて、近年は対応しなければならない制約条件が増えたことから、日本の強みが最大限に生かせる製品であった。また、トヨタのハイブリッド車もより複雑な構造を採用したものであり、日本の優位を引き継ぐものであった。しかし、村沢氏によれば、「進化の行き着く先である電気自動車の時代には、状況は一変する。極端にいえば、モーターとバッテリーさえあれば走れるために部品点数が大幅に減少し、開発コストも削減される。モーターとバッテリーは汎用性が高いため調達は難しくない。これらの要因のため、新規参入がはるかに容易になるのだ。」
すなわち、EVの時代になると、現在日本の家電メーカーが直面しているような状況に、日本の自動車メーカーも直面することになる。すりあわせ技術に優れていても、それが競争上の優位性につながるとはいえなくなる。しかも、そうした時代を迎えるのは、遠い未来ではない。「ここに、大手メーカーにとってのジレンマがある。シリーズ・ハイブリッドの採用も電気自動車の導入も難しいことではないが、それは、自らが長年にわたって培ってきたガソリンエンジン技術の放棄を意味するからだ。しかし、方向は決まっている。問題はいつ決心するかである。」
もちろん、バッテリーなどの要素技術では、いまは日本のメーカーが優位性をもっている。けれども、要素技術における優位性だけで競争を勝ち抜ける保証がない時代に突入することも確かである。素朴な「ものつくり力」への信仰は、戦前の「軍事力」への信仰と同じように、悲惨な結果を招きかねない。
家電製品であれば、千点のオーダーの部品を組み上げる必要があり、乗用車であれば、三万点もの部品を組み上げなければならない。これだけの点数の部品を種々の制約条件を満たしながら、きっちりと組み上げるには、数十点ほどの部品を組み上げるのとは質的に異なる、高度な量産技術が必要になる。日本は、こうしたいわゆる「すりあわせ」型の組立加工技術を得意としている。
ただし、部品の点数というのは、数え方によるところがある。いくつかの部品が既に組み合わされたモジュラー部品というのもあるからである。細かく数えれば、1000点ということになっても、50点ずつの部品が組み合わされたモジュラー部品から構成されているのであれば、実質的には20の部品を組み上げればよいということになる。
日本の家電メーカーがデジタル家電の分野で苦戦するようになったのは、こうしたモジュラー化が進展するようになったからである。例えば、薄型テレビでも、液晶パネルや画像データの処理回路等の主要部品がパーツとして供給されるようになり、それらを買ってきて組み立てれば、誰でも薄型テレビを作れるようになってしまった。要するに、すりあわせを行う余地は少なくなり、すりあわせ技術に優れていても、それが競争上の優位性につながるものではなくなってしまった。
こうなると、水平的分業体制に対応してパーツを大量生産するメーカー(例えば、液晶パネルに関する韓国のサムソン)と、そうしたメーカーからパーツを購入して組立を行う(台湾などの)メーカー群に、丸抱え的に部品製造から組立までを行う日本の「総合」家電メーカーは劣勢に立たされることになってしまった。
自動車に関しては、いまのところまだ、部品点数の桁が違うことや環境制約への対応などのハードルが高いことから、すりあわせ技術における優位性が競争上の優位性につながる状況にある。自動車は、日本の輸出型製造業における最後の砦になっている感がある。しかし、自動車に関しては「百年に一度」の変化が起こりつつあり、こうした状況が根底から覆される可能性が生まれている。いうまでもなく、それはガソリンエンジン車から電気自動車(EV)への移行である。
ガソリンエンジン車からEVへの移行がどのような意味をもっているかについては、本年6月10日付け日経新聞「経済教室」、村沢義久氏の「多数のVB、異業種主役に」が簡潔に要点を指摘しており、大変参考になる。要点は、「電気自動車の構造が、ガソリンエンジン車と比べはるかに簡単だ」というところにある。
ガソリンエンジン車はもともと複雑であることに加えて、近年は対応しなければならない制約条件が増えたことから、日本の強みが最大限に生かせる製品であった。また、トヨタのハイブリッド車もより複雑な構造を採用したものであり、日本の優位を引き継ぐものであった。しかし、村沢氏によれば、「進化の行き着く先である電気自動車の時代には、状況は一変する。極端にいえば、モーターとバッテリーさえあれば走れるために部品点数が大幅に減少し、開発コストも削減される。モーターとバッテリーは汎用性が高いため調達は難しくない。これらの要因のため、新規参入がはるかに容易になるのだ。」
すなわち、EVの時代になると、現在日本の家電メーカーが直面しているような状況に、日本の自動車メーカーも直面することになる。すりあわせ技術に優れていても、それが競争上の優位性につながるとはいえなくなる。しかも、そうした時代を迎えるのは、遠い未来ではない。「ここに、大手メーカーにとってのジレンマがある。シリーズ・ハイブリッドの採用も電気自動車の導入も難しいことではないが、それは、自らが長年にわたって培ってきたガソリンエンジン技術の放棄を意味するからだ。しかし、方向は決まっている。問題はいつ決心するかである。」
もちろん、バッテリーなどの要素技術では、いまは日本のメーカーが優位性をもっている。けれども、要素技術における優位性だけで競争を勝ち抜ける保証がない時代に突入することも確かである。素朴な「ものつくり力」への信仰は、戦前の「軍事力」への信仰と同じように、悲惨な結果を招きかねない。





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