平和ボケという伝統 - 池田信夫

2009年08月13日 11:55

党首討論は、麻生氏の迫力勝ちでしたね。野党になったら、かなりいい「斬り込み隊長」になるのではないでしょうか。経済政策がだめなのはどっちもどっちですが、外交・軍事では民主党の政策は支離滅裂です。これは社民党との選挙協力という制約もあるのでしょうが、党内にも社民党の残党が多いので、政権を取ったら迷走しそうです。こういう「平和ボケ」が戦後60年以上も続くのは、日教組の教育とか「反日マスコミ」のせいばかりではなく、日本が世界にもまれな平和な国だったためだと思います。


世界の文明国で、歴史上一度も外国に征服されなかった国というのは、他にありません。梅棹忠夫氏もいうように、このような侵略にそなえる中央集権国家が発達しなかったため、コミュニティの自律性が高く、社会的規範が安定していたことが、日本が非西欧圏で唯一、自力で近代化できた原因でしょう。もちろん戦国時代のような内戦はありましたが、これは武士どうしの陣取りで、農民にはあまり関係なかった。特に徳川時代に300年近く内戦もなかったのは、世界記録に近い。その後も、対外的に侵略したことはあるが、他国に支配されたのは戦後の占領時代だけです。

この伝統が、日本の「国のかたち」に強い影響を及ぼしています。古来、国家とは軍事共同体であり、都市は城でした。だから欧州でも中国でも、都市は城壁に囲まれ、整然と区画整理されています。東京のように城壁もなく、田んぼの中に首都ができることは普通の国ではありえない。そして皇居に象徴される中心のない構造は、「強いリーダー」を必要としない日本の政治システムの象徴です。

こういう平和な構造は、軍事的な負担を負わないで経済発展を遂げる上では便利でしたが、「有事」には弱い。戦争になると、全体最適を考える「システム思考」が欠落しているために、ゼロ戦や戦艦大和のような部分最適にはまり込み、兵士は優秀なのに戦争にはぼろ負けしてしまう。

日本企業も80年代までは日清・日露のようなまぐれ当たりで勝ちましたが、90年代以降、戦局が不利になると、撤退の戦略を知らないのでボロボロになるまで問題を先送りして、壊滅しました。それを転換しないと未来はないと現場は思っているのに、経営者も役所も要素技術しか評価しないので、補助金も科研費も要素技術にしか出ない。だから特許の数は世界一なのに、ちっとももうからない。

こうした戦略の欠如の典型が日本軍にあるとよく指摘されますが、その原型はもっと古く、天皇制という無責任体制に象徴されています。千数百年に及ぶ平和ボケの伝統が、数年で変わるとは思えない。その原因が、世界でもまれな平和を享受してきた日本の幸福な歴史にあるとすれば、このままゆっくり成熟して、貧しいけど平和な小国になるのも一つの国家戦略でしょう。自民・民主とも(意識せずに)そういう路線をとっているように見えます。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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