「モジュラー化」についての誤解 - 池田信夫

池田 信夫

きょうの日経新聞に竹森俊平氏の「モジュラー型生産の米国」というインタビューが出ています。ここでは先日から池尾さんの批判を浴びている「構造改革」についての彼の議論がさらに混乱しているので、問題を整理しておきます。竹森氏は

米国は機能が画一で規格化された部品を組み合わせる「モジュラー型」のモノ作りが得意だ。GMの自動車製造はその典型とされる。

と語っていますが、これは藤本隆宏氏の議論を誤解したものと思われます。藤本氏は「米国はモジュラー型のものづくりが得意だが、自動車はインテグラルなので日本に負けた」といっているのです。自動車がモジュラーなら、GMが破綻することはなかったでしょう。


さらに竹森氏はこういいます:

シティがのめり込んだ証券化もモジュラー型の金融仲介といえる。[・・・]これは短期間に大量の商品を投入し、利益を上げられる点ですぐれている。だが、パーツが規格化されているので新規参入が容易で、競争が激化し、利潤が低下する宿命にある。自動車の世界ではまさにこれが起きてGMは追い込まれた。

派生証券がモジュラー化の典型であることは、私も2001年の論文で書いたことですが、これと自動車を一緒にするのはおかしい。池尾・池田本でも書いたように、証券化商品が破綻したのは、モジュラー化に問題があったためではなく、モジュールを合成してCDOなどの仕組債にしたとき、原資産のリスクが見えなくなり、それに対して格付け会社がAAAを乱発してリスクが過小評価されたことが原因です。

金融市場で資産とリスクを分解してモジュラー化し、市場で売買する金融技術は重要なイノベーションであり、社会全体に広くリスクを分散することによって資金配分を効率化する役割を果たしました。その意義は今でも変わっておらず、証券化商品に「有意義なものが残っていない」と全面的に否定するかのような竹森氏の議論には賛成できません。

問題は、池尾・池田本でも論じたように、モジュラー型の金融商品では鞘がすぐ取り尽くされるので、投資銀行が仕組債にしてリスクを見えなくし、情報の非対称性を作り出すビジネスに転じたことです。このトリックに使われたのが、原資産を細分化して多くの資産を組み合わせただけでAAAをつける格付け会社のいい加減な審査でした。野口悠紀雄氏もいうように、金融工学が破綻したのではなく、金融工学を使わないで格付けという「目分量」で決めた部分から破綻したのです。

こうした産業アーキテクチャの問題は、経営学者には広く知られていますが、経済学者にはまだ標準装備の知識になっていないようですね。「構造改革なんてナンセンスだ」などという人は、そもそもどういう構造を問題にしているのか理解していないのではないでしょうか。