役人に言論の自由はない! - 北村隆司

2009年10月22日 10:00

福島社民党首は「官僚の答弁を禁止する国会法改正」に反対して「役人の答弁禁止は表現の自由や国会審議を侵害する。内閣法制局の答弁を制限するということもあってはならない」と主張されました。

呆れた主張です。「自衛隊」の合憲性を巡って「内閣法制局」には永年に亘り誤魔化され、「核持込密約」「薬害事件」「社保庁問題」など社民党の看板政策で役人には騙され続けながら、今でもその答弁を聞きたがる福島党首の心理状態は想像も出来ません。

法律にど素人の私が、弁護士の福島氏に法律解釈で挑戦する事は無謀ですが、憲法をないがしろにした福島発言を看過する事は出来ません。


そもそも憲法というのは、公権力が守るべき法規範(日本国憲法99条)で、「自由」というのは、公権力が干渉できない領域です。その意味で、好き勝手という意味の「自由」と憲法上の「自由」を混同されているのは悲しい事です。公権力を有する者が、公権力の行使の過程で「自由」を主張するのは、法的にはナンセンスで、福島氏の大きな誤解はこの混同にあります。

「言論の自由」と「表現の自由」とでは微妙に異なりますが、共に公権力の行き過ぎから市民を守る為の国民の基本的権利に属します。従って、公権力を遂行する過程の言論はその対象ではありません。

憲法には「公務員の権利」を定めた条項は無く、「すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない」(第15条第2項)「内閣は法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること」(第73条)など、公務員が自己や省の利益を優先する事を禁じ「信義誠実の原則」(Fiduciary Duty)を守り、勝手気ままな言動をしない事を求めています。

なにやら小むずかしい話になりましたが、要するに、官僚の記者会見禁止や国会法の改正は、役人や法制局に記者会見や答弁を求めるなら、事前に大臣の許可をとりなさいと言うだけの話で、言論や表現の自由とは関係ない常識的な考えです。

内閣法制局が法案や条約の整合性を審査し、その見解を政府や国会に進言する事は賛成ですが、政府の統一見解は閣僚が責任を持って発表すべきもので、結果責任を問われない官僚や法制局長官が、勝手に見解を公表したり質疑に応ずるべき性質のものではありません。
「政治家が憲法解釈を行えば、政府見解が度々変更される可能性があり、一貫性を保とうとすれば、法解釈は結局、官僚に頼らざるを得ない」という意見もありますが、政権が交代しても一貫性を重要視するようでは、政権交代の意味がなく、これは民主主義の原理に反する本末転倒の論議です。

憲法解釈に対する政府見解に疑義があれば、憲法第6章、第81条の規定に従い、司法にその判断を仰ぐべき性格のもので、行政官である官僚はその立場にはありません。又、論議に耐える内容が大切なのであって、一貫性などは本質に拘る問題ではありません。

野中一ツ橋大学名誉教授は「人間関係や過去の慣習など、本質に関係の無い事を拠り所にして重大な物事の判断をする慣行をやめて、何が物事の本質かを議論し、徹底的に突き詰める組織風土の追求が大切だ」と述べられました。今回の国会法改正を機に、政治家が本質論を徹底的に戦わす国に変えていきたいものです。

日本は終戦を機に、「新憲法」という設計図を書いて「議会制民主主義」の新しい国家の建設に着手しました。ところが、「設計図」に沿って家を建てる習慣をもたない日本は、図面通りの材料がないと拙速を重んじて、官僚と言う現場の大工さんに急ぐよう頼み、官僚は身の回りにある材料を工面してバラックを提供する事で国民を満足させてきました。物資が豊富になった後も、同じやり方で増改築を繰り返すうちに、この悪しき慣行が当たり前になり、現在の官僚制度が出来上がったのだと思っています。

こうして、基本設計を無視して増改築を続けてきた日本の国家構造は、明らかに構造疲労を起こしています。この辺で、設計図に忠実に従う正道に戻るべきです。

建築家である政治家が、施主である国民の意を汲んで書いた図面に従って、忠実に建築作業をする事が、新しい「日本」の官僚に求められる役割です。

国会法とは別に、松本さんから『「官僚は記者発表をやってはならない」という禁止令まで出すことには、疑問を持っています。』と言う意見が出されました。

私は、そもそも論として、官僚には政府の公式見解を発表する憲法上の資格がないと考えています。ましてや政府見解と異なる意見を差し挟む事は「信義誠実」の原則に違反しますから、公務員の身分を離れ、一国民として発言すべきものです。民間会社で社員が経営者と異なる意見を発表したり、経営者を補うために経営者と別に会見したら、どう思うでしょうか?官僚は例外と考える事が、悪しき慣行なのです。

それにしても『「禁止」は行き過ぎだ』という意見に賛成する人は多いでしょう。

合理的な理由も無く、永い間受け入れられてきた偏見同様の悪しき慣行は、簡単には無くせません。これを排除する方法として、単に禁止するのみならず、悪習に手をだした人間を厳罰に処してでも過去の慣行をなくす手段は、多くの国で採用され成果をあげてきました。

具体例を挙げれば、言論の自由を事のほか大切にする欧州でも、10カ国以上が「ナチスの犯罪を否認もしくは矮小化する」事を違法と定め、中でもフランス、ドイツ、オーストリアでは違反者に対して刑事罰を適用しています。日本であれば、「言論弾圧」「全体主義復活」などの論議が沸騰した事でしょう。

米国でも、永年続いた人種や宗教による差別を禁止した市民権法は、違反者には罰則条項を適用して、例外なく処罰しています。

政治家より官僚を信頼する日本のマスコミや国民の慣習は「コンパスの針は南向き」と信じている様なもので、この修正に例外を許せば世の中は混乱します。そういう意味で、私は「禁止」と言う明快な方針が必要だと思っています。

「官僚を使いこなせるか?」も、良く聞くセリフですが、これは官僚が考え出した保身用のセリフです。

使いこなす云々の前に、先ずは官僚が憲法の原則に従って職務に励むべきです。監督者である内閣は、その働きを評定し、それに似合った処遇をすればよい話です。そのためにも、結果責任を問われない現行の公務員法は早急に改正する必要があります。この点では、「みんなの党」の提案する公務員法の改正案は大変よく出来ているとおもいます。

「表現の自由」を履き違えた公務員の発言は数多くあります。例えば :

田母神前航空幕僚長の政府見解に反する論文発表事件は、諸外国であれば即刻解雇、場合によっては規律違反で軍法会議ものです。あの粗末な内容の論文を書いて、恥じも外聞も無く公表するくらいですから、「使いこなす」術もありません。この様な人が航空幕僚長になる任用制度も再点検すべきでしょう。

又、農林水産省の井出道雄次官が、選挙直前に民主党の基本政策の一つである「農業者の戸別所得補償制度法案」を厳しく批判した事件も問題です。現政権下でも事務次官を続ける井出氏に記者会見が許されたら、どのような一貫した答弁をされるのでしょうか?

以上の様な理由で、「信義誠実」の原則を守らず、憲法第15条に違反してまでも「自己や省の利益」を優先させる官僚の答弁を、抵抗も無く受け入れがちなマスコミや国民が存在する限り、国会法改正は必要だと考える次第です。

    ニューヨークにて               北村隆司

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