民主党のマニフェストに掲げられている政策の中には、「まさか」と思うようなものが数多いのですが、その最たるものは「高速道路の無料化」と「公立高校の無料化」ではないでしょうか? それでも民主党は、「八ッ場ダム」の時のように「マニフェストに書いてあるのだから」という理由だけで強行しようとするのでしょうか?
(確かに、ウェブを見ていると、「これが魅力で民主党に投票した」と言っている人もいるのですから、やらなければ約束違反にもなるでしょうが、一方では、「まさかそんな馬鹿な事はやらないだろう」と高をくくって投票した人も多いのも事実です。)
(確かに、ウェブを見ていると、「これが魅力で民主党に投票した」と言っている人もいるのですから、やらなければ約束違反にもなるでしょうが、一方では、「まさかそんな馬鹿な事はやらないだろう」と高をくくって投票した人も多いのも事実です。)
「公立高校の無料化」には、勿論、私は反対です。「向上心はあるのに経済的な理由で進学できない若者達を救う政策」は勿論必要です。しかし、それは、奨学金制度や夜間高校の充実によって、はるかに効率的に実現できます。
そもそも何事によらず「一律にやる」政策は、「手抜き」以外の何物でもなく、表面的な成果を出すだけの為に、多くの無駄と矛盾を新たに作り出すケースが多いのです。「公立高校無料化」の場合は、既に多くの人が指摘しているように、「金持のダメ息子やダメ娘の費用まで税金で賄うのか?」「やる気のない者を無理に学校に送り込んでも意味がない。」「むしろ公立高校を今以上に荒廃させるのでは?」「高校に行かずに働いている若者達に対して不公平ではないか?」等々の問題があります。
それよりも、教育に関する施策でやるべき事は山積しています。「質を高めること」「ミスマッチ(無駄)を防ぐ事」「合目的的にする事」等々です。小中学校教育にも問題は残っていますが、日本の現状は、この分野では「まあまあ」と言えるでしょう。問題は高校と大学です。
大学については、11月6日付の池尾先生の「大学生は勉強しなくていいのか」というアゴラの記事に大きな反響がありました。同じ池尾先生の11月20日付の「成長戦略と労働生産性」に関連しても、「労働生産性を高める上には教育のあり方から考え直さねばならない」という趣旨のコメントが数多くありました。井上晃宏先生の「学歴インフレへの処方箋」等の最近のコラムも、それぞれに大変示唆に富むものでした。
現在の大学教育は、質も決して高いとは言えない上に、「学生の興味とのミスマッチ」があり、「目的意識」も明確ではないように思います。
ここで私は、安易に「学生の興味」という言葉を使いました。それは、「興味があれば、学習にも熱が入るから効率的」と考えるからですが、それでは彼等の「興味」が何かということになると、なかなか一口では語れません。様々な若い人達がそれぞれに持つ「潜在的な興味」を引き出し、これにマッチした教育をすることは極めて重要であり、これこそが、まさに中学から高校にかけて教育者が真っ先にやるべき事だと思うのですが、現状では、全く手付かずと言ってよい状態だと思います。
現在の受験教育では、「英語」と「数学」が鍵だと考えられているようで、学校側も学生側もここに相当の精力を費やしているようですが、この二科目の教えられ方の現実は、本来あるべき姿とは相当かけ離れたものであるのみならず、若い人達のそれぞれの興味は一切お構いなしに、一律の尺度で「能力」と「適応性」を測ろうとする愚かなものであるとしか思えません。
「興味とのマッチング」と並んで、私は「合目的性」という事も言いました。これはまさしく、「教育の成果が、池尾先生の言われるような『労働生産性』(或いは『研究開発力』)を高めることに役立つかどうか」ということです。そして、これは、本来「大学」或いは「大学院」での教育が果たさなければならない事の、少なくとも「一つの重要な側面」であることは間違いないと思います。
現在の多くの大学生の本音は「学生時代には出来るだけ遊んで、その上で、将来『社会の上部構造』に入っていける可能性のあるところに就職したい」ということのようです。何とも虫の良い欲求ですが、本音と言うものは元来そういうものでしょう。
一方、大学卒の入社を求める多くの会社も、「入学の難しい大学に入る力があったのだから、一応頭は良いのだろうし、少なくとも受験勉強をする『忍耐力』があったのだから、会社にも適応できるだろう。後は実際に仕事をさせて能力を見ていけばよい」という考えで、「大学において何を学び、何を身につけたか」などはあまり考えていないようです。
しかし、この様な企業と学生の双方の「惰性」が、次第に日本の会社の国際競争力を弱めていっている事は間違いないような気がします。少なくとも、諸外国では、先進国でも発展途上国でも、企業、学生の双方とも、この様な安易な考え方はしていないと思います。
ここまでを読まれた方の中には、「おいおい、ちょっと待てよ。教育って就職の為だけのものなの?『人間としての正しい生き方』とか、『よりよい社会の作り方』等といった事は、どこで学ばせるの?」と問われる方も多いでしょう。勿論、私も、そのような教育の必要性は理解しています。そういったことも、当然、なければならない教育の「一つの別の側面」ではありますが、そんな事だけを言っていては、十年一日の如き抽象的な教育論に終わってしまう事を恐れているのです。
そろそろ一言で結論を申し上げたいと思います。
私は、今国が、現実問題として真っ先に取り組まなければならないのは、「あらゆる教育現場への徹底的なICT(情報通信技術)の導入」であると考えています。それが、あらゆる段階、あらゆる分野での「教育の質」を高めるのみならず、「学生の興味とのミスマッチング」を防ぎ、「国の労働生産性や研究開発力を高める」という意味での「合目的性」を高め、更には、若い人達に、「人間と社会との関わり合い」と言ったような問題についてより深く考えるように促すことにも、大いに役立つと考えるからです。
かつて、教育の基本は「読み」「書き」「そろばん(計算)」だとされました。これは、なかなか当を得た整理だったと思います。「読む」ことによって、人は「知識」を深めると共に、他人の考えを理解します。「書く」ことによって、自らの「表現力」を高め、他人とのコミュニケーションを蜜にする事が出来ます。そして、「計算能力を磨く」ことによって、「計数的に物事を分析」し「合理的な最適解を求める」能力と習性を身につけます。
現代を生きる我々は、ICTのリテラシー(とりわけインターネットを使いこなす能力)を高めることによって、これらの全ての能力を更に飛躍的に高める事が出来ます。特に強調したいのは、インターネットを使いこなせれば、その対象がどんなものであっても、瞬時に最新の情報を得る事が出来ることと、情報の取得やコミュニケーションの対象を世界中に広げる事が出来ることです。「時空を超える」インターネットの特性が、これを可能にするのです。
高校生であっても、自分に強い興味さえあれば、身近に居る人の誰も知らないような深い知識を身につける事が出来ます。つまり「興味こそが知識の源泉なのだ」という事を、身をもって体験できるのです。また、自分が興味を持ったことに、世界の誰かが同じように興味を持っている事が分かれば、何とかして共通語の英語でコミュニケーションをしようと思うでしょうから、受験勉強では苦手だった英語にも、自ずと興味が出てくるでしょう。
若い人達は、「『人間としての生き方』とか『社会の在り方』がどうであるべきかを学べ」などと言われれば、「うざったい」と思うでしょうが、ドラマ仕立てで歴史を学び、その中で「民衆や指導者がどこでどう間違ったか」等ということをみんなで議論していく機会を持てば、次第にそういった事を自分の頭で考えるようになるでしょうし、議論を通じて他の人達とのコンセンサスを形成していく能力も、自ずと身につけていく事が出来るでしょう。
大学では、テーマごとに焦点を絞って、教官を中心に、状況分析をしたり、問題の解決をはかったり、新しいシステムを創造する為の「大中小のスタディー・チーム」を数多く作って、これを大半の講義に代替させていくべきです。教官の研究の成果も、単に一方通行の講義で終息させるべきではなく、こういったスタディー・チームの基本教材として使えば、学生達の力も借りることによって、更に新しい発展がはかれるでしょう。
こういうスタディー・チームの活動の一環として、プレゼンテーションとディベートの能力の涵養をはかることも、極めて重要です。この様な能力こそが、「国際言語となった英語」でのコミュニケーション能力と共に、現在の日本のビジネスマンに一番欠けていることだからです。
従って、これらのスタディー・チームの活動は、外国人の教官を積極的に招いたり、外国の大学(*)と交流したりするなどして、その多くを英語でやるようにすれば、更に効果があるでしょう。こういう場で鍛えられた学生達は、企業などでも、「即戦力」として必ず歓迎されることになることは間違いないと思います。
(* 近場である上に、お互いにそのようなニーズを共有することから、韓国や中国、或いはASEAN諸国の大学との交流が最も現実的でしょう。)
やるべき事はたくさんありすぎて、気が遠くなる程です。しかし、そこに至る道程も、また、とても遠そうです。何よりも重要な事は、文部科学省や各大学当局が、先ず「今のままでは駄目だ。変えなければ駄目だ」ということを、一つのコンセンサスとしてきっちりと認識することですが、現状では、残念ながら、そんな風になるとはとても思えないからです。
それなら、民主党政権はどうなのでしょうか? 民主党政権が本当に「チェンジ」を志向し、長期的成長戦略の一環として「教育の重要性」を認識しているのなら、即刻行動を起こすべきです。少なくとも、「公立高校の無料化」などにかまけている時間などはとてもない事を、認識して頂きたいと思います。
そもそも何事によらず「一律にやる」政策は、「手抜き」以外の何物でもなく、表面的な成果を出すだけの為に、多くの無駄と矛盾を新たに作り出すケースが多いのです。「公立高校無料化」の場合は、既に多くの人が指摘しているように、「金持のダメ息子やダメ娘の費用まで税金で賄うのか?」「やる気のない者を無理に学校に送り込んでも意味がない。」「むしろ公立高校を今以上に荒廃させるのでは?」「高校に行かずに働いている若者達に対して不公平ではないか?」等々の問題があります。
それよりも、教育に関する施策でやるべき事は山積しています。「質を高めること」「ミスマッチ(無駄)を防ぐ事」「合目的的にする事」等々です。小中学校教育にも問題は残っていますが、日本の現状は、この分野では「まあまあ」と言えるでしょう。問題は高校と大学です。
大学については、11月6日付の池尾先生の「大学生は勉強しなくていいのか」というアゴラの記事に大きな反響がありました。同じ池尾先生の11月20日付の「成長戦略と労働生産性」に関連しても、「労働生産性を高める上には教育のあり方から考え直さねばならない」という趣旨のコメントが数多くありました。井上晃宏先生の「学歴インフレへの処方箋」等の最近のコラムも、それぞれに大変示唆に富むものでした。
現在の大学教育は、質も決して高いとは言えない上に、「学生の興味とのミスマッチ」があり、「目的意識」も明確ではないように思います。
ここで私は、安易に「学生の興味」という言葉を使いました。それは、「興味があれば、学習にも熱が入るから効率的」と考えるからですが、それでは彼等の「興味」が何かということになると、なかなか一口では語れません。様々な若い人達がそれぞれに持つ「潜在的な興味」を引き出し、これにマッチした教育をすることは極めて重要であり、これこそが、まさに中学から高校にかけて教育者が真っ先にやるべき事だと思うのですが、現状では、全く手付かずと言ってよい状態だと思います。
現在の受験教育では、「英語」と「数学」が鍵だと考えられているようで、学校側も学生側もここに相当の精力を費やしているようですが、この二科目の教えられ方の現実は、本来あるべき姿とは相当かけ離れたものであるのみならず、若い人達のそれぞれの興味は一切お構いなしに、一律の尺度で「能力」と「適応性」を測ろうとする愚かなものであるとしか思えません。
「興味とのマッチング」と並んで、私は「合目的性」という事も言いました。これはまさしく、「教育の成果が、池尾先生の言われるような『労働生産性』(或いは『研究開発力』)を高めることに役立つかどうか」ということです。そして、これは、本来「大学」或いは「大学院」での教育が果たさなければならない事の、少なくとも「一つの重要な側面」であることは間違いないと思います。
現在の多くの大学生の本音は「学生時代には出来るだけ遊んで、その上で、将来『社会の上部構造』に入っていける可能性のあるところに就職したい」ということのようです。何とも虫の良い欲求ですが、本音と言うものは元来そういうものでしょう。
一方、大学卒の入社を求める多くの会社も、「入学の難しい大学に入る力があったのだから、一応頭は良いのだろうし、少なくとも受験勉強をする『忍耐力』があったのだから、会社にも適応できるだろう。後は実際に仕事をさせて能力を見ていけばよい」という考えで、「大学において何を学び、何を身につけたか」などはあまり考えていないようです。
しかし、この様な企業と学生の双方の「惰性」が、次第に日本の会社の国際競争力を弱めていっている事は間違いないような気がします。少なくとも、諸外国では、先進国でも発展途上国でも、企業、学生の双方とも、この様な安易な考え方はしていないと思います。
ここまでを読まれた方の中には、「おいおい、ちょっと待てよ。教育って就職の為だけのものなの?『人間としての正しい生き方』とか、『よりよい社会の作り方』等といった事は、どこで学ばせるの?」と問われる方も多いでしょう。勿論、私も、そのような教育の必要性は理解しています。そういったことも、当然、なければならない教育の「一つの別の側面」ではありますが、そんな事だけを言っていては、十年一日の如き抽象的な教育論に終わってしまう事を恐れているのです。
そろそろ一言で結論を申し上げたいと思います。
私は、今国が、現実問題として真っ先に取り組まなければならないのは、「あらゆる教育現場への徹底的なICT(情報通信技術)の導入」であると考えています。それが、あらゆる段階、あらゆる分野での「教育の質」を高めるのみならず、「学生の興味とのミスマッチング」を防ぎ、「国の労働生産性や研究開発力を高める」という意味での「合目的性」を高め、更には、若い人達に、「人間と社会との関わり合い」と言ったような問題についてより深く考えるように促すことにも、大いに役立つと考えるからです。
かつて、教育の基本は「読み」「書き」「そろばん(計算)」だとされました。これは、なかなか当を得た整理だったと思います。「読む」ことによって、人は「知識」を深めると共に、他人の考えを理解します。「書く」ことによって、自らの「表現力」を高め、他人とのコミュニケーションを蜜にする事が出来ます。そして、「計算能力を磨く」ことによって、「計数的に物事を分析」し「合理的な最適解を求める」能力と習性を身につけます。
現代を生きる我々は、ICTのリテラシー(とりわけインターネットを使いこなす能力)を高めることによって、これらの全ての能力を更に飛躍的に高める事が出来ます。特に強調したいのは、インターネットを使いこなせれば、その対象がどんなものであっても、瞬時に最新の情報を得る事が出来ることと、情報の取得やコミュニケーションの対象を世界中に広げる事が出来ることです。「時空を超える」インターネットの特性が、これを可能にするのです。
高校生であっても、自分に強い興味さえあれば、身近に居る人の誰も知らないような深い知識を身につける事が出来ます。つまり「興味こそが知識の源泉なのだ」という事を、身をもって体験できるのです。また、自分が興味を持ったことに、世界の誰かが同じように興味を持っている事が分かれば、何とかして共通語の英語でコミュニケーションをしようと思うでしょうから、受験勉強では苦手だった英語にも、自ずと興味が出てくるでしょう。
若い人達は、「『人間としての生き方』とか『社会の在り方』がどうであるべきかを学べ」などと言われれば、「うざったい」と思うでしょうが、ドラマ仕立てで歴史を学び、その中で「民衆や指導者がどこでどう間違ったか」等ということをみんなで議論していく機会を持てば、次第にそういった事を自分の頭で考えるようになるでしょうし、議論を通じて他の人達とのコンセンサスを形成していく能力も、自ずと身につけていく事が出来るでしょう。
大学では、テーマごとに焦点を絞って、教官を中心に、状況分析をしたり、問題の解決をはかったり、新しいシステムを創造する為の「大中小のスタディー・チーム」を数多く作って、これを大半の講義に代替させていくべきです。教官の研究の成果も、単に一方通行の講義で終息させるべきではなく、こういったスタディー・チームの基本教材として使えば、学生達の力も借りることによって、更に新しい発展がはかれるでしょう。
こういうスタディー・チームの活動の一環として、プレゼンテーションとディベートの能力の涵養をはかることも、極めて重要です。この様な能力こそが、「国際言語となった英語」でのコミュニケーション能力と共に、現在の日本のビジネスマンに一番欠けていることだからです。
従って、これらのスタディー・チームの活動は、外国人の教官を積極的に招いたり、外国の大学(*)と交流したりするなどして、その多くを英語でやるようにすれば、更に効果があるでしょう。こういう場で鍛えられた学生達は、企業などでも、「即戦力」として必ず歓迎されることになることは間違いないと思います。
(* 近場である上に、お互いにそのようなニーズを共有することから、韓国や中国、或いはASEAN諸国の大学との交流が最も現実的でしょう。)
やるべき事はたくさんありすぎて、気が遠くなる程です。しかし、そこに至る道程も、また、とても遠そうです。何よりも重要な事は、文部科学省や各大学当局が、先ず「今のままでは駄目だ。変えなければ駄目だ」ということを、一つのコンセンサスとしてきっちりと認識することですが、現状では、残念ながら、そんな風になるとはとても思えないからです。
それなら、民主党政権はどうなのでしょうか? 民主党政権が本当に「チェンジ」を志向し、長期的成長戦略の一環として「教育の重要性」を認識しているのなら、即刻行動を起こすべきです。少なくとも、「公立高校の無料化」などにかまけている時間などはとてもない事を、認識して頂きたいと思います。


『ソーシャルメディアマーケティング』
『商売心得帖』
『ITの未来を読む365日+α』

ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質
ブラック・スワン[下]―不確実性とリスクの本質
市場の変相
市場リスク 暴落は必然か
日本の幸福度
田中角栄の昭和
ゲームの父・横井軍平伝
社会保障の「不都合な真実」
再分配の厚生分析
エコ亡国論
人間らしさとはなにか?
ドル漂流
これからの「正義」の話をしよう
ゲーム理論 (〈1冊でわかる〉シリーズ)
丸山眞男セレクション
ポスト社会主義の政治経済学
〈私〉時代のデモクラシー
だまされ上手が生き残る
バーナンキは正しかったか?
競争と公平感
フーコー 生権力と統治性
行動ゲーム理論入門
「環境主義」は本当に正しいか?
REMIX
行動経済学
フリーフォール
現代の金融入門
学歴の耐えられない軽さ
世論の曲解
マネーの進化史
歴史入門
強い者は生き残れない
労働市場改革の経済学
「亡国農政」の終焉
ルポ資源大陸アフリカ
生命保険のカラクリ
チャイナ・アズ・ナンバーワン
成功は一日で捨て去れ
ネット評判社会
冒頭でも触れたように、日本は3.4%で28か国中最下位の値を示している。ちなみに2003年も日本は最下位。2004年は下から二番目だった。
なんでも国に頼ろうという姿勢はよくないことだと思いますが、教育関係の公的支出はひどすぎます。こういう現状をどうお考えでしょうか?
私は、高等教育までの教育費を考えたら、はっきりいって子供を作りたくても、躊躇するし、2人欲しいけど1人だけにするとか、少子高齢化をさらに加速させる重大な問題だと思います。
教育の質なり、いろんな問題はありますが、優先順位として、子持ち家庭の経済的負担を軽減させる方向は、間違っていないと思います。
教育の質を議論し始めたら、10年はかかりますよ。