外交問題の議論に求められる「大人の視点」 - 松本徹三

2009年12月28日 10:00

「外交」は、それぞれの国の命運を賭けた「国同士の駆け引き」ですから、当然、最高レベルの「深い洞察力」と「冷静な判断力」が必要となります。感情的な対応は、この反対の極にあるものですから、最も忌むべきものですが、各国の政府は、自分達の政権の基盤である国民の「感情」というものを無視することが出来ません。

これまでの歴史を見る限りでは、「国民感情」というものは、多くの場合、「洞察力」はおろか「冷静な判断力」にも欠け、それ故に、常に事態を悪い方向に誘導する元凶となっています。太平洋戦争前夜の国民の熱狂と、それを煽ったジャーナリズムの無責任さは、不幸にしてこの典型例となってしまいました。


「日米関係は本当に壊れるかも」と題した12月14日付の私のブログ記事には、相当の反響を頂きましたが、残念ながら、BLOGOSの方に頂いたコメントには、何故か「ネウヨ(ネット右翼)」風のものが多く、読んでいると少し気分が悪くなりました。

その多くが、「反中」「反北朝鮮」か、或いは「反米」に凝り固まっていました。「終戦直後に『三国人』(日本に居住していた韓国、朝鮮、台湾系の人達)に強引に土地を占拠された恨み」とか、「米国人兵士の性犯罪に対する日本の警察や司法当局の弱腰に対する怒り」がその根源になっており、気持は理解できても、「問題の本質とは相当遠いところにある事柄に、全ての思考が固定されてしまっている」かのようでした。

歴史を紐解けば、力の強い立場にある国や人が、「道義的に見ればとても肯定出来ないようなこと」をやってきた例は、枚挙に尽きません。「歴史書に書かれている事件の全てがそうだった」と言っても、おそらく過言ではないでしょう。

日本と韓国、北朝鮮の関係について言えば、拉致事件に象徴されるように、北朝鮮のやり方は滅茶苦茶だし、韓国系の人達にも、敗戦直後には、日本人の恨みを買うような行いが多少はあったことでしょう。しかし、「倭寇の度重なる海賊行為」、「豊臣秀吉の侵攻」、「明治時代の強引な日韓併合」、「その後の朝鮮半島における日本政府と日本人の数々の所業」と比べてみれば、量的に比較すれば、やはり圧倒的に日本側の悪行の方が多かったようです。

中国との関係については、モンゴル人が中国を支配した元朝時代を除いては、中国からの日本への直接の侵攻はありませんでしたから、明治以降の日本人の中国大陸における所業だけで、日本側の方が圧倒的に多くの非難の対象になってしまうのは、これまた止むを得ないことです。

勿論、中国人には「中華思想」が根強く残っており、「それが我慢ならない」という日本人は結構いるようですし、チベット人やウィグル人に対する中国の現政権の対応を不当とする人も多いでしょう。しかし、これを論拠に「反中」を喧伝し、中国に対する警戒心を必要以上に煽り立てるのは、非生産的と言わざるを得ません。

アメリカについては、「広島、長崎への原爆投下」や、「日本の諸都市に対し焼夷弾での無差別爆撃を繰り返したこと」の非人道性は、誰も否定することは出来ないでしょう。しかし、終戦後のアメリカによる日本の占領統治は、日本人が秩序正しく振舞ったこともあり、比較的寛容でした。

長らく米軍の占領下にあった沖縄の人達の持つ感情については、私は殆ど理解出来ていないままに今日に至っている為、コメントする立場にありませんが、日本人一般の「反米感情」と言えば、やはり、冷戦下の安保闘争世代のそれに代表されるのではないでしょうか? この時の「反米感情」は、感情的というよりは、イデオロギー的だったと思います。

ウェブでの言論は、遺憾ながら、通常「何かへの反発」を中心にして盛り上がります。「匿名性によって守られている」という「安心感」からか、「日頃の鬱屈をここで開放しなければ」とばかり、やたらと攻撃的になります。

ここでは、人は、自分自身の「見識」や「考えの深さ」に関して、内省的になる事は全くなく、また、「相手の立場に立つ」等という面倒臭いことも、一切するつもりはなく、唯ひたすらに相手を見下し、「馬鹿」と決め付け、「死ね」と罵倒するのが日常茶飯事です。ですから、外国や外国人に対しても、ウェブ上では特にそうなってしまうのでしょう。

しかし、「外交」では、「反」の感情から全てをはじめるなどは、最も「あってはならない」ことです。目的は常に「親交」であるべきであり、結果が思うに任せない場合でも、何とかして国民が「反」の感情を持たないように、色々な工夫を凝らし、努力を重ねるのが普通です。

但し、防衛戦略上の「仮想敵」扱いは、全く別の次元の話です。「防衛」は、元来「もしもの場合」に備えるものですから、どんなに親しい国でも、「何らかの理由でその国を敵にせざるを得なくなる」可能性を前提として、図上作戦だけは行っておかなければなりません。

かつて、終戦後の或る時に、開戦前のアメリカには既に日本を「仮想敵」とした「オレンジプラン」というものがあったことが判明、何人かの日本人が、「アメリカはハワイの奇襲作戦を非難するが、自分達にもこういう図上作戦があったではないか」と、鬼の首を取ったように喋っていたことがありました。しかし、実は、その頃のアメリカには、「ブループラン」とか、「グリーンプラン」とか「ブラウンプラン」とか、色々な国を「仮想敵」とみなした色々な図上作戦が、他にも多数あったのです。

ことほど左様に、二つの独立国の間の関係は、同盟するにせよ、敵対するにせよ、常に緊張感を持ったものであることが、運命付けられています。従って、関係が良い時でも悪い時でも、二つの独立国の関係は、常に「大人の関係」でなければなりません。

先の私のブログ記事に対するコメントの中にも、勿論、真面目で筋の通ったものもありました。その一つは、「こと防衛に関する限りは、アメリカ側のGiveの方が日本側のGiveより大きい」という私の文章に対し、「そんな筈はない、アメリカの納税者は『より多くのGive』を認めるほど甘くはない」という趣旨の反論でした。

そのことについては、全くこの方の言われる通りです。私は、「Give」と言う言葉を使うのではなく、「日本側のTakeはアメリカ側のTakeよりはるかに大きい」と言うべきだったのです。

GiveとTakeの関係は、常に「等価」とは限らず、Giveする側から見れば大した負担ではなくても、Takeする側から見れば極めて大きなメリットであるというケースはよくあります。例えば、私の家に柿の木があったとしましょう。実がなるととても夫婦だけでは食べきれず、むしろ処分に困るわけですが、これを子供達や親類の家に送れば、みんなとても喜んでくれます。特に果物好きの食べ盛りの子供達を抱える娘のところなどにとっては、まさに「干天の慈雨」になるでしょう。

日米安保は、米国にすれば、日本側が本当に「興味を失った」のであれば、「駐留部隊の縮小」を含めて、色々なAlternative(代替案)があるでしょう。〔もはや冷戦下ではないのですから。〕しかし、日本側には殆どAlternativeがありません。先のブログ記事でも使った言葉ですが、「日米安保」は、日本にとっては、米国の場合とは一桁違うほどの、「死活的緊急度」をもった問題なのです。

日本自身が本格的な防衛力を持つことは、勿論一つのAlternativeですが、本気でこれをやれば、財務負担があまりに大きくなりすぎ、少なくとも現時点では、とても現実的とは思えません。従って、「日米安保」については、多くの人達が認めているように、「やはり、日本側のTakeの方がはるかに大きい」と言わざるを得ないのです。

日本には、1億人を超える勤勉な国民と、高度な技術力の蓄積と、高い生産力があります。ですから、冷戦時代のソ連が何とかして日本を傘下におきたかったのは当然です。もはや冷戦はありませんが、これ程の国である日本が、防衛面で「丸裸同然になることも厭わない」とは、誰も思わないでしょうから、現在の鳩山政権の対米折衝には、世界の大方の人達が首をひねっています。

経済的には、今後の日本は、米国より中国への依存度の方が確実に大きくなるでしょう。しかし、政治的には、「日米間」の方が「日中間」より課題は少ないでしょう。太平洋は、黄海や東シナ海よりは広いからです。

東南アジア諸国にとっては、「日中間の覇権争い」が最大の懸念事項です。これに比べれば、アメリカとの関係は、「人権問題等でお節介を焼かれるのは甚だ迷惑だが、それさえなければ、親しく出来れば親しく出来るほどよい」というところではないでしょうか。

繰り返しになりますが、「安全保障における日米同盟の堅持」と「アジア善隣外交〔特に中国との友好関係の強化〕」は、何等矛盾するものではありません。日本政府はその両方に意を尽くすべきです。

最後に、日中、日韓の関係改善の為には、「それぞれの国の教育現場では、お互いの国の悪口を言うのをやめさせる」という合意をすることが、何よりも肝要だと思います。〔ネット上での悪口は、残念ながらどうしようもありませんが…。〕但し、その為には、三カ国の歴史学者などを含めた研究会で、「統一した歴史認識」を早急にまとめ、「喉に刺さっている骨」を、一日も早く抜いてしまうことが重要です。

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑