ふるさとは遠きにありて - 池田信夫

2010年01月04日 20:35

年末年始、実家に帰って「ふるさとはいいな」と思った人も多いでしょう。しかし1週間もいると都会が恋しくなって田舎の不便さがうとましくなり、都会に戻ると「やっぱり都会はいいな」と思うのではないでしょうか。室生犀星の有名な詩は、こう歌います:

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれに
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


これは望郷の歌のように思われていますが、最後まで読むと、実はその逆であることがわかります。ふるさとに帰りたいが、そこにはもう自分の居場所はないのだと断念し、都会に帰る歌なのです。私には、これが2010年の日本の心象風景を描いているように思えます。

正月から「派遣村」を訪れてホームレスの人々を激励した鳩山首相は、彼らに一時の安住の地を与えたつもりかもしれないが、きょうまでの派遣村イベントが終わると、彼らはまたつらい現実に戻らなければならない。終身雇用の古きよき日本が失われるのに対して、「市場原理主義」を憎んでキャンプで施しを行なうのは、偽のふるさとを彼らに与える政治的スタンドプレーです。

グローバル資本主義の中では、ふるさとにしがみつく人々はもう生きていくことができない。かつては公共事業によって仕事を与えることもできたが、もはやその資金も底をつきました。戦後60年以上にわたって、人々は富を求めてふるさとを捨て、荒れるにまかせてきたので、今から帰ろうとしても帰るところはないのです。

すべての価値が数値に還元されて「合理化」され、人々がつねに移動を強いられる社会は、人々を不安にします。雇用の流動性とは多くの人が職を失うことの婉曲話法であり、競争原理とは多くの企業が破綻することを意味します。10年以上にわたって自殺者が3万人を超える日本では、そうした不安がかつてなく高まっているのでしょう。

近代とはそういう「故郷喪失」の時代なのだ――というのが『啓蒙の弁証法』におけるアドルノのテーマでした。それは故郷の概念をよりどころにして存在論を構築しようとしたハイデガーに対する批判でしたが、より広くは近代合理主義がすべての価値を破壊するニヒリズムの契機を含んでいることの批判でもありました。それは多くの作家や哲学者が論じてきた近代社会の最大のパラドックスですが、私の知るかぎりこれを解決した人はいません。

ふるさとに戻れるものなら戻りたい人は多いでしょうが、残念ながらわれわれは退路を断ってしまったのです。走り続けることに疲れても、立ち止まった瞬間に倒れてしまう。犀星と同じように、望郷の思いは断ちがたくとも、都会に帰ってふたたび働き続けるしかないのでしょう。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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