子ども手当地方負担と地方分権への不安 - 泉ゆきなり

2010年01月05日 21:45

民主党の公約である子ども手当について地方負担を求めるかどうかで紆余曲折がありましたが、結局これまでの児童手当と子ども手当とを2段階構造化し、児童手当についてはこれまで通り地方負担を求めるが、子ども手当については全額国庫負担とする、というトリッキーな解決となりました。


これに対して地方の側からは、「保育所や放課後児童クラブの整備などは、地域の実態に応じ地方が担当すべきだが、子ども手当のような全国一律の現金給付は、地方側に工夫の余地がないため、国が担当すべきだ」という批判が出ています(知事会声明)。なるほど、全国一律は国、個別対応は地方、というのはシンプルで明確な区分けです。

従来の児童手当は地方負担分が約5,700億円。もし子ども手当を全額国が負担することになり、児童手当に使っていた5,700億円を地方が創意工夫して使うことになるならば、それは国による押しつけよりはいいのかもしれません。地方に使うためのお金は地方の実情に合わせて使うべきだし、そのほうが費用対効果も高いでしょう。

このように一般論としては地方分権に異議はないのですが、どこか一抹の不安もあります。

それは、今の日本の地方に民主的なガバナンスが機能しているのだろうかということです。国の政治であれば、テレビ、新聞、雑誌、あるいはネットでそれこそ侃侃諤諤の議論が戦わされています。必ずしもいい方向に進んでいるとはいえないかもしれませんが、とりあえず国政についてはかなりの情報が共有され、メディアによる批判が活発に行われています。

しかしながら、地方の政治になると都道府県にしろ市町村にしろ、関心を持つ人は極端に少なくなります。新聞やテレビはお上に忠実で、まるでどこかの国のよう。大多数は、県議や市議がどんな人でどんな理念を持っているのか知りません。こんな形ばかりの民主政治で地方分権が進められても、本当に必要なところにお金が回るのだろうかという疑問を感じざるを得ません。「地方分権(あるいは地方主権)」という響きのいい掛け声は、単なる中央政府と地方政府との政争の具にすぎないのではないかという気がします。

子ども手当が全額国庫負担で、地方は児童手当廃止による財源をたとえば子どもの医療費などの福祉に使うというのなら、それは一定の説得力を持ちます。しかし乏しい報道を見る限り、児童手当が廃止されたら浮いた財源をどう使うかビジョンを示した自治体はほとんどないようです。国に対して対案を示せないのであれば、わけのわからないことに使われるよりは子ども手当の一定割合を地方が負担する形にしたほうがいい。

健全なジャーナリズムと民主的ガバナンスは、地方分権が機能する前提となるでしょう。

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