地獄と極楽のお話: 次世代経営と生産性 - 樋口耕太郎

地獄と極楽のお話
ある人が地獄と極楽の見物に出かけようと思い立ちました。まず地獄へ行きました。そこではちょうど大きな円卓を囲んで、大勢の人たちが食事をするところでした。その人々の姿は娑婆(しゃば)に住む私共と変りありませんでした。大きな円卓の真ん中にご馳走が山と盛られてあるので、普通の箸では届きません。皆がそれぞれに五、六尺(2メートル弱)もあるような長い箸を持っています。ところが箸があまりにも長すぎて、折角挟んでも自分の口に運ぶことができない。持ってくるまでに人の口に入ってしまうのです。人に食べられてなるものかとみんな我れ一になって、自分の食べることばかり考えるものですから、長い箸と箸が音をたてて交錯し、結局、ご馳走は卓上に散乱して、誰一人として満足に食べることができないのです。食べようとして食べ得ざる時、人の心は焔となって怒りの火を発するのです。


ところでその人は次に極楽を見に行きました。極楽も地獄も人そのものの姿には、全く相違はありませんでした。食事の時になりました。大きな円卓の真ん中にご馳走が山のように盛られてあり、人々は長い箸を持っている。それもまた地獄と全く同じことでした。ところが、ここではその人々がそれぞれ、自分のお箸に挟んだご馳走を「これはおいしそうでございます。お一つ如何ですか」と人の口へ運んであげています。「結構なお味でございます。あなたさまも如何ですか」とお互いがお互いに食べさせあっているのです。有難うございます。おお勿体ないことと食事は実に和やかに進んで、みるみるうちにご馳走はなくなってゆき、最後には「ありがとうございました。ご馳走さまでございました」とみんな喜び合い、感謝し合いながら終わったというのです。(高田好胤著『己に克つ』より)

地獄の食事
現代資本主義社会の企業経営は地獄でご馳走を食べようとする姿に見えます。2メートル近くもある箸は企業の保有資産≒バランスシート≒ 企業価値、食べることができた僅かなご馳走はフリーキャッシュフローといったところでしょうか。企業は「効率よく」ご馳走を食べるために、例えばさまざまな箸の研究開発に多額の経営資源を投下します。遠くのご馳走に手が届くように、更に長くて軽量の箸を開発した企業は「イノベーションに優れた企業」と呼ばれ、他人が気付かない場所にあるご馳走をいち早く見つけた企業は「先見のある戦略的な企業」と賞賛されるかもしれません。それにしても(市場)全体として考えるとき、実際に食べることができるご馳走(収益)は、ほんの僅かであり、その僅かのご馳走を獲得するために、膨大な労力が費やされます。膨大な労力を惜しまない人は「成功者」として「尊敬」されますが、その労力が実は著しく非効率かも知れないとは誰も考えません。

極楽の食事
私は、仮に、次世代社会で機能する経営が存在するのであれば、その経営理論における企業価値は、資本主義社会の常識的な経営論で理解されているように「所有資産の価値」ではなく、「利用可能資産の価値」によって決まるのではないかと考えています。テーブルの向いの人々とその人々が持つ箸は利用可能な「簿外資産」であり、簿外資産(他人の箸)の方が所有資産(自分の箸)よりも遥かに規模が大きく(数が多く)、かつ多大な収益を生み出す(おなかいっぱいご馳走にありつく)ために、効率の高い資産であるのは明らかであるように思えます。そして、極楽の人々が象徴するように、このような「簿外資産」は良好な人間関係によって成り立っています。人間関係に働きかける主な方法は基本的に、利害を提供することと、愛を提供すること、の二種類しかありませんが、皮肉なもので、利害を提供するよりも愛を提供することの方が遥かに「費用対効果」が優れているものです。

地獄と極楽を分けるもの
地獄も極楽も「人々の気持ち」以外に全く相違点がない、というのが象徴的です。現代経営の課題のひとつは、この膨大な「簿外資産」にアクセスし活用する手法の欠如です。・・・これはすなわち、この簿外資産にアクセスするために不足しているモノは何もない、必要なものは利己的かつ利他的な発想とそれに基づく行動(・・・つまり、愛、ということですが・・・)だけ、という経営者の「気付き」が生産性を生むことを意味します。必要なものは発想と行動だけであるため、追加的な資本を殆ど必要とせず、限界的に生み出される事業効率が極めて高い(資本に対して実質的に無限大の生産性を生む)という、経営的に重大な特徴があります。膨大な簿外資産にアクセスし、比較にならない豊かさを享受するために必要なことは、「ハイテク箸の開発」でも、「合意形成」でも、「人を出し抜く」ことでもなく、「人にご馳走を差し出す」こと*(1) であり、これが、(多くの経営者の常識に反して)経営合理的な事業行動であるのです。

     *   *   *   *   *

*(1) 少々テクニカルな事例になりますが、一般的な沖縄のホテルでは、不測に稼働率が高まるとオーバーブックという現象が起こり得ます。具体的には、例えば200室の客室に対してそれ以上の予約が入ってしまうと、希望するお客様に対して一部特典付きで他のホテルに宿泊を御願いするということになります。オーバーブックをした送客ホテルが費用を負担して次の受入れホテルでのグレードアップをしたり、食事の特典をお付けするなどの対処を行い、お客様にはむしろ喜んでそちらを選択いただくように務めるのですが、その際に送客ホテルが負担する費用は相当な額に上ることがあります。他人の不幸は密の味ではないですが、送客ホテルがお客様の移動先を探す際、受入れホテルは宿泊料を言い値で請求することも多々あり、これが更に送客ホテルの大きな費用負担を招いていました。「事業は競争である」という認識の基にはこのような対応がむしろ当然だと思います。

私が経営を担当していたときのサンマリーナホテル(沖縄県恩納村)では、この問題に対処するために、他のホテルの立場を優先してみました。他のホテルがオーバーブックをしてサンマリーナに送客を希望する場合、当方に空室がある限りにおいて、先方の言い値(原価)でお受けするように方針を決め販売担当に伝えました。すなわち、サンマリーナを受入れホテルとする場合、送客ホテルはグレードアップや特典追加をお客様に提供できるにも拘らず、差額の費用が発生しないことになります。・・・すると、当時私もこれほどの効果を予測していたわけではないのですが、サンマリーナが送客する際においても、多くの周辺ホテルが同様の考え方で安価に対応して下さるようになり、この方針を定めた年度以降、サンマリーナでは前年度約1,000万円支払っていたオーバーブック費用が、ほぼゼロとなりました。売上高利益率10%で計算すると、サンマリーナにとっての経済効果は、約1億円分の売上または7,000人分の新規顧客に相当するインパクトです。サンマリーナでは、他社を競合相手とは考えず、助け合うことのできるパートナーと考えたため、それがそのまま事業における現実となりました。財務的にも、昨年度まで「競合他社」と呼ばれていたものが、この年からサンマリーナの簿外資産に変ったと考えることができます。このような発想の切り替えによって、サンマリーナは実質的に保有客室(200室)以上の顧客を受け入れることが可能になったともいえるのです。

コメント

  1. bobbob1978 より:

    「高田好胤著『己に克つ』より」の引用は実に示唆に富んでおおるように感じます。高田氏が以下のようなことまで考えていたかどうかは判りませんが、この話は以下のように解釈することが可能です。
    円卓を囲んでいる人数が100人で、円卓上の食糧が100人分であれば、闘争に無駄なエネルギーを使わなくてよい分、互恵的な戦略が当然有利となるでしょう。しかし円卓上の食糧が10人分しかなかった場合はどうでしょうか?その場合は互恵的な戦略が不利となり、形振り構わず自己の取り分を確保する戦略を取らざるを得ないでしょう。このお話はいわゆるフォーク定理の一種であると言えます。天国は互恵的な戦略が有利となる社会であり、地獄はそうでない社会であるとも解釈出来ます。
    樋口氏が自己の経験として紹介されている話も同様に解釈することが可能です。オーバーブックの状態は需要が供給を上回っている状態です。このような状況では当然互恵的な戦略が有利となるでしょう。しかし、上で書いたように互恵的な戦略がいつでも有利であるとは限りません。我々は互恵的な戦略が有利となる社会を築けるよう日々システムや科学を進歩させる努力をする必要があると考えます。

  2. kakusei39 より:

    モデルが間違ってますよ。

    企業は、円卓の利益を箸でつまんで自らの口に運ぶものではないでしょう。円卓にある商品をつまんで、対面にいる顧客に「如何でしょうか」と差出、それを味わった顧客が、円卓にあるお金を自分の箸でつまんで、企業の口に入れてくれるのです。

    あなたは、ドラッカーの「マネジメント」を読まれましたか?たしか、始めの方に書いてあるのは、企業の目的は利益ではない、利益はパン等と同じで、なければ死ぬが、人の生きる目的がパンでないように、企業の目的は「顧客の創造だ」と書いてあるでしょう。

    企業が我利我利亡者であるかのごとき解釈は、共産党とか社民党の理解であり、日教組の教育に毒された視点だと思います。我利我利亡者の企業は永続しないことを理解している経営者が殆どではないでしょうか。

  3. sac2034 より:

    >>企業が我利我利亡者であるかのごとき解釈
     全ての企業がってわけじゃないけど、これは間違ってないと思うよ。まあこれはモラル的問題じゃなくて、どの企業もそうせざるを得ないってことなんだけどさ。

     日本って社会システム的には先進国っていわれる国々の中じゃ最も未熟なのに幸運でここまでこれた国だったのが、近年、急速に欧米のシステムが持ち込まれた。意思決定した当人達は自国を過大評価してたんだろう。でも、未熟者が対応できるはずがない。ただ状況変化に右往左往してアタフタしてる。それが企業に関しては我利我利亡者化してるってこと。
    我利我利亡者の企業は永続しない、なんて考える余裕すら無い。つーか日本自体沈みゆく船になりそうなのに・・・。

     日本は相当ドラスティックな舵取りをしない限り先がないと思うよ。勿論、この国にも優れた部分が無いわけじゃない。かつては技術大国と称えられてたし(実際は、美味しい部分の大半を別に持ってかれてたわけだが・・・)、国民の平均的な教育水準は高かった(それをわざわざぶっ壊したのが近年の政治なわけだが・・・)。

  4. zloty_koruna より:

    お客の目線から見ると、沖縄県恩納村の宿泊施設では、オーバーブックした場合のペナルティが小さいことから、他の地区に比べてより高い確率で自分がオーバーブックの対象となる恐れがあるとも、解釈できると思います。

  5. 海馬1/2 より:

    経済(けいざい) – 語源由来辞典
    【経済の語源・由来】. 古代中国の「経国済民」もしくは「経世済民」の略。 「経国済民」「経世済民」は、国(世)を治め民を救済することを意味し、現代でいう「政治」の意味に近い語である。 日本では、江戸時代の学者用語に現れ、理念的な政治政策の …
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