『現代思想』で読む数学

2010年01月11日 18:03

★★★★☆ (評者)安田洋祐

現代思想2009年12月号 特集=日本の数学者たち 和算から現代数学まで現代思想2009年12月号 特集=日本の数学者たち 和算から現代数学まで
著者:上野 健爾
販売元:青土社
発売日:2009-11-27
クチコミを見る


自然科学系の素晴らしい特集をしばしば組む『現代思想』。昨年の12月号も「日本の数学者たち 和算から現代数学まで」という心躍る特集を組んでいたので、年末年始の休みを利用して堪能させて頂きました。

個人的に特に興味深かったのは、上野健爾さんと黒川信重さんの対談「数学者たちの到達点 和算から現代数学まで」と、吉田輝義さんの書下ろし「高木貞治と類体論の謎」。前者は副題の示すとおり、和算のルーツから20世紀の日本人数学者の活躍まで、幅広い話題を語り合う刺激的な内容。対談としては非常に長い分量(30ページ!)なのですが、全く読んでいて飽きませんでした。

後者の吉田さんは、2008年11月の『現代思想』に寄稿された「類体論と現代数学」が(一般向け原稿)処女作とは思えないほど味のある文章だったので、期待しつつ今作も読ませて頂いたのですが、やはり色気たっぷりの素晴らしい内容でした。特徴的な文章を書ける才能というのは、同業者として羨ましいですね。

以下、後者の吉田さんの記事から印象に残った箇所をいくつか引用させて頂きます。「数学/数学者」について語られていますが、これを私の専攻である「経済学/経済学者」に置き換えても同じ見方、批判は当てはまるように思います。経済学の進歩に比べて経済学の授業内容の変化が追い付いていない点や、研究者が「経済(学)について語る」重要性などは、まさにパラレルです。

出版不況の昨今、特に雑誌出版は採算がなかなか取れないとの窮状をよく耳にします。『現代思想』のような専門雑誌は、専門家が多くの一般読者に向けて直接語りかけることのできる数少ない貴重なメディアです。これからも良い読者と書き手に恵まれ、質の高い記事を発信し続けて行って欲しいと願わずにはいられません。

数学は進歩する、それは自明の前提である。数学者として呼ばれる一群の人々が、日々新しい数学を生産している。100年前の大天才にとって難解な秘境だったものが、いまや単純化されて誰にでも理解できる形で出版されて広い範囲の人類共有の知識になる。単純な図式と遠大な理想である。しかし、20世紀の現代数学の爆発的な「進歩」を経ても、大学で教えられる数学の内容はそれほど「進歩」していない。高木貞治は1898年に23歳でベルリン大学へ行ってフロベニウスのガロア理論の講義を聴くが、それから110年も経っているのにぼくも大学3年生にガロア理論を講義している。証明や概念は整理されたけれども、洞察そのものは消えない。(3.数学の進歩より)

数学も人生と同じで、要するに詰まるところ全体として何をやりたいのか、何のためにやっているのか(何のために生きているのか)、と尋ねられると答えはないが、しかし局所的にはこれよりこっちの方が良い、こうありたいこうなりたいこの方がうれしいというのがいちいち強くあって、そういう、一歩引いてみると何のためだか解らないような小さいことのために人間は膨大なエネルギーを注ぎ込んでしまうものであって、そして数学とは(人生とは)要するに詰まるところ全体としてはそういう小さなものごとの集積であるという他はない。
(中略)
大学教員は研究能力で選ばれるという建前はあるが、その研究内容には局所的価値はあっても「要するに詰まるところ」の価値を社会に説明できない以上、やはり数学者、すなわち大学教員は数学教育が仕事、もし教育という言葉が悪ければ、「数学について語る」のが仕事なのではないかと思う。高木貞治は、新しい数学を生産し、数学そのものを語った数学者だった。
(中略)
高木貞治の後を追って、数学について語る、数学批評の文化がもう少し広まってもいいのではないだろうか?(6.数学批評より)
太字は引用者による)

アゴラの最新ニュース情報を、いいねしてチェックしよう!

アクセスランキング

  • 24時間
  • 週間
  • 月間

過去の記事

ページの先頭に戻る↑