あんなレベルの議論と報道で日本国民は満足したのでしょうか(天皇陛下の習近平副主席との特例会見に関して)- 矢澤豊

2010年01月15日 14:48

アゴラにアクセスしていただいている読者の皆様、遅ればせながら今年もよろしくお願い申し上げます。

新年早々いささか賞味期限の切れたトピックで恐縮ですが、 昨年12月の天皇陛下と習近平副主席との特例会見に関して私見を述べさせていただきます。このことに触れておかねば、どうも気持ち悪くて、松飾りがとれた気がしませんので、一筆啓上つかまつります。ギリギリですが今日まで「松の内」ということでご寛恕のほどを。


この問題に関する議論は、憲法上の問題として論ずる人には国益論をもって反論し、国益論に依拠する人には「皇室への崇敬」という立場から攻撃を加え、そのまたワキから官僚バッシングの一環としての宮内庁/羽毛田宮内庁長官批判が入ってくるという混乱ぶりでしたので、私の独断で以下の通り論点を整理させていただきます。

憲法上の問題として

私が理解している範囲では、これはいわゆる「国事行為/公的行為」の違いをどこで線ひきするのか、内閣の「助言と承認」はどこまで及ぶのかという問題のようです。

実名をひかせていただいて恐縮ですが、このラインの主張をされた方で私の目に最初にとまったのは、ブロゴスがそのブログにリンクしている自民党所属の前衆議院議員、早川忠孝氏でした。早川氏曰く(12月16日付のエントリー)、

習中国国家副主席との今回の会見は国事行為ではないことは、すでに多くの識者が指摘されているとおりである。

私にとって日本国憲法は専門外ですので、早川氏が依拠した「識者」の御「指摘」する「御高説」にすっかり感心してしまい、もっと調べてみようと思ってネットを検索したのですが、「国事行為/公的行為」の線ひきをどこでするのかということには諸説あり、真相はどうもそう単純ではなさそうです。日本の弁護士である早川氏がこの事実を知らないということはないでしょう。その上で反対意見のあることを伏して「すでに多くの識者が指摘されているとおりである。」とだけ書いて憚らず、世論に影響を与えようとしているのは法律家として、また政治を志す者として、「不誠実」の誹りを免れないのではないでしょうか。

早川氏の公人としての素養はひとまず脇に置くとして、私はこの「国事行為/公的行為」の論理によって、今回の特例会見問題を分析するのには無理があるのではないか、と思います。もし公的行為に関しては内閣の助言と承認を要さない、つまり実質的に内閣の強制を受けないということであれば、論理上皇室メンバーは、公的行為として勝手に例えばイランのアハマディネジャド大統領に会っていいのでしょうか。アハマディネジャドさんじゃなくて、台湾の李登輝さんならいいのでしょうか。アハマディネジャドさんだとアメリカが怒るからダメだけど、習さんをねじこんできた中国にあてつけで李登輝さんと会うのなら諒、などということになると、結局またしても日本の憲法はいきあたりばったりの解釈論で適用されるいい加減な法律ということになりそうです。

そもそも日頃「改憲」の必要性を訴える自民党所属の政治家が、今回の問題で現行の憲法に軸足を置いた与党攻撃を試みていることに、私は不誠実さと矛盾を覚えます。もちろん、法治国家である日本の政治家として、 今回の問題に対してまずは第一義的に憲法上の議論を試みるということに異論はありませんが、表層的な憲法の条文解釈論だけでことたれりとするのでは、あまりに片手落ちであり短絡的です。

私は原則的に「改憲」賛成者です。そしてその改憲にあたり、憲法における「天皇」に関する条項を全削除するか、必要最小限にとどめるべきだと思っています。その必要最小限は多分「天皇および皇室による政治への参加、またこれらの政治利用を禁じる。」だけで済むはずです。

不成文憲法の国、イギリスで法学生をしていた経験が私にこう思わせているのかもしれませんが、わたしは王室とか皇室といった歴史的存在を、法律で事後的に定義しようという日本国憲法の試みに、受け入れがたい違和感を感じます。そもそも日本国民が個人個人それぞれに抱いている皇室への崇敬(そしてその他)の思いや、現代の日本において皇室に期待する役割を、「コクジコーイ」、「コーテキコーイ」などという妙チクリンな造語の枠組みにねじ込もうというのが間違っているとは思いませんか。

何度も繰り返しますが、これも「経典主義」の悪影響です。

「経典主義」に犯されている日本人は、漢字が三つ以上つながったが熟語が反芻されて、文章の「漢字密度」が高い「御高説」をこねくり回されると、

「なんか難しい話でよく分かりませんが、センセーのいわれることはごもっともだとおもいます...」

となってしまい、早川氏の筆法で、

「すでに識者が指摘しているとおりである」

などと断定されてしまうと、あっというまに「子のたまわく...」と論語の素読のような思考停止と、「あー、そーですか...」という疑似洗脳状態におちいってしまうのです。

かつてこのやり方で悪用されたのが「トースイケンのカンパン」というやつです。字面だけ眺めていれば、なにやら非常食メーカーの広告みたいですが、これが「統帥権の干犯」となったとたんに腰抜かして思考停止してしまった(もしくは暗殺テロに立ちすくんでしまった)かつての政党政治家の醜態を、我々日本民族は末代に至るまで胸に刻み込んでおかねばなりません。

(最近この轍を踏みつつあるのが「市場原理主義」、「株主偏重」等々のその意味するところの詳細不明スローガンだと思うのですが、いかがでしょうか藤末議員?)

いささか話がずれましたが、天皇陛下、皇室全般の事由に関しては制定法の枠組みの外、一部皇室典範などで成文化された慣習法のレベルで対処するのが上策だと私には思われるのです。その方が、ここ60年ほどの歴史しかない憲法の枠組みに無理失理はめ込むより、よっぽど日本国民の陛下・皇室への思いに適っているとは思いませんか。もしお隣の国の要人が「是非お会いしたい」ということで、会見を特別にアレンジしたことが陛下・皇室の不当な政治利用にあたるのではないかという疑義が生じたのであれば、それは次回の選挙において国民の判断にゆだねられるべき問題でしょう。自称「専門家」たちが、国民が普段聞き慣れない言語を駆使し、泥縄憲法議論として身内で結論づけるべき問題ではありません。ましてや一介の宮内庁長官ごときの記者会見における発言や「○ヶ月ルール」においておや...です。

(念のために誤解を避ける目的で明言しておきますが、憲法の条文に記載が無いからと言って天皇陛下と皇室が超法規的存在になるということではありません。法律とは成文化されたものだけをさすものではないのです。)

本質的な問題を素通りし、安易な民主党批判に終始した自民党所属政治家は、次の言葉を思い起こして欲しいものです。

彼等は常に口を開けば直ちに「忠愛」を唱へ、恰も忠君愛国は自分の一手専売の如く唱へて居りますが、その為す所を見れば、常に玉座の蔭に隠れて政敵を狙撃するが如き挙動を執って居るのである。

国益上の問題として

(1)忖度

中国がここ2世紀余にわたる低迷から抜け出し、経済大国として擡頭しつつあることは、ご同慶の至りです。隣人が貧乏であり続けることを願い、その窮状を見て喜ぶのは、よほど心が狭く醜く貧しい人たちでしょう。そのような心情は、もとより山紫水明の国、「とよあしはらのみずほのくに」をふるさとと呼ぶ我々心豊かな日本人には異質のものです。

もちろん急成長を遂げた中国が国内に多種多様でときには悲惨な問題を内包していることは既知の事実でありますし、超大国となった隣国が今後我が国にとって新たな安全保障上のリスクを呈しているという指摘もまたその通りです。しかしこれらの問題は、相互間の信頼に基づいた外交や、世論の健全な興隆により解決されるべき事柄であり、これをただあげつらうことに終始して、むやみな危機感と隣国蔑視の感情を煽るようなことは、世界の平和と共存繁栄を目指し、またそうした努力の一翼を担うべき日本国、またその国民のとるべき態度ではありません。

ことかように重要度を増した日中関係を良好に保つことが、日本の国益に適うことであるということは論をまたないでしょう。

しかしこの論法を一段おし進め、かように国益に沿ったことなのだから、人一倍日本のためを思っておられる陛下が特例会見に反対されるはずがない、と推量、かつ断定してしまうやりかたは問題ではないでしょうか。そのような論の進め方は、下世話な言い方をすれば、陛下におかれては「大きなお世話」、国民から見れば「いらぬ節介」、前時代的な表現をすれば「恐れ多くも手前勝手に大御心を忖度(ソンタク)するとは無礼千万、身の程を知れい!」と言うべきことだと私は思うのです。

陛下の個人的なご意向・ご意見という、反証も立証もままならぬ事由を根拠に、政治・外交活動を正当化するというのは禁じ手です。

日本人はもっとその歴史を学ばなければなりません。「大御心を忖度する」、つまりは陛下の個人的ご意見を国の政策の基礎となすというやり方は、その昔、蘇我稲目が欽明天皇に、

「仏様ってどうよ...」

と尋ねて以来、ろくなためしがない。

近くには幕末、孝明天皇の病的なまでの異人嫌いを「忖度」した長州藩がこれに乗じ、不平浪士や岩倉具視に代表される不平公家と結託し、過激な尊王攘夷運動を興すことによって京都政界の政局を牛耳り、公武合体と現実的開国政策を押し進めていた徳川幕府と薩摩藩の連携プレーに先んじようとした例があります。これも姉小路公知暗殺事件、八月十八日政変(七卿都落ち)、池田屋事件、 禁門の変、下関戦争、と悲惨な結果になりました。もっとも下関戦争で四カ国連合艦隊にコテンパンにやっつけられた長州藩が、講和交渉に長州藩代表として臨んだ高杉晋作のリーダーシップの下、それまでの狂信的「尊王攘夷」はどこ吹く風といった態で外交面では現実路線に転向し、ついには倒幕の大義を掲げるにいたったのは、やはり「おもしろき こともなき世を おもしろく」してしまう晋作君の本領、面目躍如といった観があります。先の大戦で御名御璽を盾にとり、声高に「カンパン」を糾弾して得意顔だった軍人どもが、負け戦さがたてこんだとたんに組織として思考停止に落ち入ってしまい、国土を焼け野原とされ、兵士と国民に悲惨な辛苦を強いた上、ついには「城下の盟」を余儀なくされたのとは雲泥の差ですね。

(2)報道

高杉晋作に思いが至って思い出したのですが、皆様ご存知の通り、晋作君は松下村塾で吉田松陰に師事していました。松陰はペリーの黒船の来港の機に、己の世界情勢の無知に愕然として、

「アメリカへ連れてってくれ~」

と密航を企てて失敗した熱血先生です。晋作自身、下関戦争の2年前に幕府使節の一員として上海に渡航し、アヘン戦争後の清朝中国の屈辱と、太平天国の乱による惨状を目の当たりにしています。下関戦争に際してイギリス留学から急遽帰国した伊藤博文、井上聞多など、当時の長州藩志士たちの頭脳は国際事情通だったのです。

ひるがえって今回の特例会見に関する報道で、私が一番残念に思ったのは日本のメディアが、

「小沢は不遜だ」

「傲岸だ」

「態度が悪い」

「顔が悪い」

と、超ドメスティックな「反小沢」の論調に終始し、この問題を中国側から読み解く視点がまったく見あたらなかったことです。今後の日本の指針に大きな影響を与える隣国との外交問題の報道において、一方の視点が全く欠如した情報しか与えられないのでは、現代日本の若い志士たちも、将来満足いく活躍はとても覚束ないでしょう。せいぜい「小沢先生」の引率で、胡錦濤主席と記念写真を撮りにいくことぐらいを期待するしかなくなってしまいます。

ご存知の人は知っている(あたりまえか...)ことですが、2008年の全人代会議で胡錦濤さんは自分の後継として、自らの支持母体である中国共産主義青年団出身の李克強さんを副主席にしようとしました。しかし、いまだに隠然たる政治力を擁している前主席の江沢民さん率いる上海幇(上海グループ)の反対にあい、思うままにできなかった。このとき李さんに代わって上海幇によってねじ込まれたのが現在の習近平副主席なのです。

現在、次の世代交代である2013年を睨んで、中国政界ではこの二つのグループの衝突がいろいろなレベルで顕在化している状況です(例えばコチラコチラの記事を参照してください)。

ですから、民主党議員の修学旅行につき合わされた胡さんが、その見返りとして習さんの天皇陛下との特例会見をねじ込んだ、という第一報を聞いたとき、私は即座に、

「そんなバカな...」

と思い、そしてすぐに、

「これはなんかの罠じゃないのか...」

と勘ぐってしまいました。

すると、今度は前原大臣をニュース源の一つとして、中曽根元総理がこの特例会見に関して「口利き」をしたという報道があり、

「へぇ~、中曽根=江沢民ラインがあるのか?やはりタカ派同士気があうのかしらん...」

などと意外に思いながら、続報を期待したのですが、この線の報道はパタリと止んでしまい、「小沢が悪い」式の横並び報道に逆戻り。

こんなレベルの報道では、文革時代における朝日新聞の中共迎合報道と五十歩百歩じゃないかと思うわけです。こんな情報しか得られない日本の次世代は、とてもじゃありませんが、来る「アジアの時代」の波を乗り切れないのではないでしょうか。今回の騒動に関して、日本のニュースメディアにおいては自省すべき点すくなからず、だと私は思います。

(3)外交に長けるということは必ずしも狡猾になることではない

いささか「天皇・皇室のありかた」 という主題から外れますが、もう一つ「国益論」の下に言っておきたいことがあります。それは、今回の一連の民主党の対中国外交を評して、対等な日米関係を築くために重要な布石、と捉えている向きがあることです。日本の安全保障政策にとって、危険なノー天気ぶりというほかありません。

昨年、16年間に渡って続いたスリランカの内戦が、政府軍の圧倒的な勝利に終わった背景には、中国政府がスリランカ政府に積極的に肩入れしたことが大きな要因になっています。その見返りとして、現在中国はスリランカに港湾施設を建設中です(コチラ)。中国政府はこれを商業用であると主張していますが、周辺各国でこれを額面通り受け取っている国はありません。

中国人民解放軍海軍はソマリア沖の海賊対策の要請に応え、各国に先駆けてインド洋に展開しました。当初は外洋航海になれない水兵が船酔いで苦しむという、いささか情けないこともありました。(なんか咸臨丸の勝海舟みたいですね。)しかし慣れれば船酔いもしなくなるでしょうし、スリランカに立派な港もいつかはできます。こうした不可避の発展を踏まえるかのように、つい先日、中国海軍の高官が、国際貢献活動を効率的に実行するため、海外に補給基地を設ける必要がある、と発言して話題になりました(コチラ)。

ここで重要なのは、中国政府の立場に立って安全保障政策を考えるということです。日本と違い、日米同盟の下における安全保障を当然の前提とできない中国政府は、これらの本国と原油産出国とを結ぶインド洋シーレーン防衛を、世界覇権への布石としてではなく、自国の安全保障に必要不可欠であるという確信の上に構想していることです。

とはいえ、いかに中国が自国の国益保護を主張しても、インド洋を巡る関係各国の緊張は高まっています。インドはもちろん警戒を強めていますし、アメリカももちろん神経を尖らせています。

こうした緊迫しつつある国際情勢のなかで、「アメリカと距離を置いて、中国と親しく」などと安易に口にして、底の浅い見え透いたブラフ(?)をかます人の気が知れません。アメリカを見限って、日本のシーレーン防衛を中国に任せるのでしょうか。

「好好!そのかわり釣魚島と東シナ海の海底資源はいただきます」

といわれたらどうするつもりなのでしょうか。

同様に、かくも各国の勢力の繊細なバランスを根気よく調整し続けなければならない国際関係の新場面で 、

「日本も核武装しよう。」

などと口走って、安易な当座の解決に走ろうとする人たちも危険です。グローバルな視点から、各国が外交と軍事力の狭間で均衡を計ることが重要なこのご時勢に、局地的軍事力において絶対の立場を確保することが、いかに近隣各国の神経を逆撫ですることになるか。相手の立場に立って考えるということをしないのでしょうか。机上演習のレベルでしか安全保障政策を語れない、激しく推移する国際関係の新局面の緊張に耐えられない公人は国益を害します。(もっとも私は核武装の可能性を示唆すること自体には反対ではありません。「研究します」と言うだけで抑止力になるのであれば、もうけもんです。しかし軍拡レースの火に油を注ぐような結果になっては、元も子もないじゃないか、というのが私の私見です。)

去年10月、日本のメディアが一斉に自衛艦と韓国籍コンテナ船との衝突事故を取り上げていたとき、当地香港の中国語メディアのトップニュースは、ハワイ沖における海自イージス艦によるミサイル迎撃実験の成功のニュースでした。今週、中国の地上配備型ミサイルの迎撃実験成功のニュースの裏にあるのは、台湾向けパトリオット・ミサイルの売却の話だけじゃないのです。

結局のところ、日本としては 与えられた国際情勢の下で、中国ともアメリカとも、同様に、誠実な努力を通じて良好な関係を築いていかなければならないのです。日本人の中には、「日本は外交が下手だ」、「いつも損をしている」、「もっとも巧く立ち回れ」、と年がら年中ヤキモキされているお方がいるようですが、外交上「誠実」でいられる、「誠実」であればことたれる地位を占めているということは、それなりに外交で成功しているということです。狡猾にみえてしまう外交というのは、そんなに上策ではありません。古いジェズイット僧(イエズス会士)の格言に、「賢者はウソをつかない」という言葉があります。ウソをつかなければならない立場に追い込まれる以前に手を打たなくてはいけない、というのがその意です。国際世論の非難にあえて正面から挑戦せず、調査捕鯨などという下手な言い訳に逃げたことにより、いかに日本が現在に至るまで苦労しているか考えてみてください。短期的利益(参議院選挙?)の為に、双方を天秤にかけて得をしようなどという、レベルの低い水商売みたいな考え方は、日本にとっては下策なのです。

宮内庁問題

私は現在の民主党政権の政策の内、最も非生産的なのは、その盲目的官僚バッシングだと思っています。「天下り」と聞くだけで、それ自体が悪であるかのような論法がまかり通っていますが、頭脳明晰且つ優秀で有為有望の人士に、民と官とであるのを問わず活躍していただくのは、日本にとって望ましいだけでなく、必要なことです。池田さんの指摘を待つまでもなく、「天下り」の真の問題点は、それがキャリア官僚のコチコチ年功序列制度に立脚した「キャリア・エグジット」、要するにスゴロクの「あがり」の高給閑職の斡旋になってしまっていることです。官僚の人材の流動性を高めるのが真の解決なのに、官僚改革にとりくまず、官僚批判だけすることが選挙民へのアピールになってしまっている。しかもアレコレ言ってくるのが、スタンドプレーばかりに長じた万年野党政治家だったり、お母さんに数億円のおこづかいをもらったのをうっかり忘れちゃうような総理なのですから、公務員の皆さんにとっては、やりきれないでしょう。

ですから、いっぱひとかげらの官僚批判は避けたいのですが、宮内庁が悪しき旧態を代表する「天下り」「渡り」問題の一典型であることは悲しい事実です。

私がイギリスに留学していたとき、駐英日本大使館勤務の若手外交官やスタッフの方とお話をする機会がありました。当時、いかに外遊中の日本の政治家が大使館に迷惑をかけるかということが話題となっていましたので、そのことに話題をふると、みなさん異口同音に、

「いや、いちばん嫌なのは皇族ですよ。」

意外に思ってお話を聞くと、問題なのは皇族ご自身ではなく、その取り巻きでやってくる宮内庁関係者らしいのです。

以前、このアゴラにおける北村さんのエントリーへのコメントでも書きましたが、英国王室ではチャールズ皇太子がエリザベス女王の名代で外遊する場合でも、原則本人と秘書官の二人だけで出かけ、現地でのアレンジは当該大使館スタッフに任されます。それが日本の皇族が外遊するとなると、観光バス一台分の宮内庁関係者が金魚のアレでついてくるそうです。しかも正しいニッポン官僚の良き(?)伝統を踏襲し、これらの遠征チームメンバーそれぞれの外遊中の移動・活動に関して、綿密な事前調整に基づいた詳細な「ロジ」(ロジスティック)を作成しなければならない。しかも遠征メンバーの中には「欧米での社交は夫婦同伴が原則ですから...」と、なんだか鹿鳴館な時代錯誤と、自分自身の重要性に対する勘違い(だれもあなたの奥さんに会いたいとは言っていないのに...)で、奥さんを連れてくる人もいる。そしてこの奥方たちがクセモノで、もちろん全部がそうではないらしいのですが、大使館員に私用を言いつけるらしいのです。

「そこのあなた...ハロッズでパーティー用にシルクの手袋を買ってきてちょーだい。」

などとことづけられる。しかもこれが自分の所属省庁OBの奥さんだったりするのだからタチが悪い。

「オレはこんなことをする為に、国家公務員を目指したのではない!」

と、白亜の大使館の階段で、人目知れずに悔し涙を流した...などという話を聞いて、思わずこちらも目頭がアツくなってしまいました。

こうした「天下り」「渡り」でやってきた、官僚OBによる「華族ゴッコ」や「殿上人遊び」が、ふくれあがった宮内庁費の大きな原因であると断じて、当たらずとも遠からず、でしょう。

こうした無駄や矛盾に対しては、早い段階でなんらかの荒療治をしなければ、今後ともジワジワと日本の皇室の尊厳を蝕み続けるでしょう。すでに自らの保身の為に、皇族に対する不遜な態度と不適当な発言を繰り返し、返す刀で今度は皇室を盾にとり政治家を牽制している様は皆さんご覧になった通りです。

明治維新に際して、皇室を新生日本にふさわしい形に整えたのは、他ならぬ西郷隆盛でした。やはりいくら革命期とはいえ、皇室改革というデリケートな問題に当たるには、大西郷の人望と無私の精神が必要だったということでしょう。日本皇室の将来の為、西郷さんに代わる人材が現代の日本に出現することを切に祈っています。

オマケ
石原裕次郎演じるところの高杉晋作

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