暗黙知は職人芸ではない - 『マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学』

2010年01月17日 11:48

★★★☆☆(評者)池田信夫

マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学 (講談社選書メチエ)マイケル・ポランニー 「暗黙知」と自由の哲学 (講談社選書メチエ)
著者:佐藤 光
販売元:講談社
発売日:2010-01-08
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マイケル・ポランニーというのは、日本ではそれほど著名な哲学者ではないが、「暗黙知」という言葉は聞いたことのある人が多いだろう。特に日本のものづくりを賞賛するとき、設計図のような「形式知」に対して職人芸のような「暗黙知」を対比し、日本の製造業の強みを後者に求める議論が、一時流行した。

しかし本書も指摘するように、こういう議論はポランニーとは無関係である。彼の提唱した暗黙知は、形式知と対立する特殊な知のあり方ではなく、およそ人が外界を認識するとき、最初に必要になる枠組だ。化学者だった彼は、この概念を科学的発見の論理として考え、これがのちにトマス・クーンの「パラダイム」の概念となった。「古い脳」でできる暗黙知が合理的思考の基礎になっていることは、最近の脳科学でも確かめられている。

こうした誤解をただすことは重要である。というのは、日本ではポランニーの知識論を企業内の人的関係による情報共有に矮小化し、暗黙知が「すり合わせ」のようなアナログ的コミュニケーションを正当化するのに利用されてきたからだ。そういう技術が日本の製造業の強みであることは事実だろうが、デジタル技術の世界では、こうした職人芸はソフトウェアに置き換えられ、国際競争の中では重要でなくなっている。すり合わせにこだわって顧客ごとに細かくカスタマイズしたことが、日本のIT産業の「ガラパゴス化」の一つの原因だ。

ポランニーの知識論はハイエクにも影響を与え、彼が『感覚秩序』を書く契機になった。ポランニーの「自生的秩序」は、後期ハイエクの中心思想になった。ポランニーの秩序概念は詳細にみるとハイエクとは違うが、社会主義の最盛期だった20世紀なかば、彼の兄カール・ポランニーが社会主義を「大転換」として賞賛したころに、それを原理的に批判した点では、ポランニーの功績はハイエクとともに先駆的である。

ただ本書は、ポランニーの経済学や社会論などを一通り紹介したもので、知識論について突っ込んで考察しているわけではない。彼の経済理論は今となっては価値はなく、宗教などについての議論もさほど興味あるものではない。ポランニーの知識論に興味のある読者は、『暗黙知の次元』を読むことをおすすめしたい。

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池田 信夫
アゴラ研究所所長 SBI大学院大学客員教授 学術博士(慶應義塾大学)

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