検察と幹事長 - 北村隆司

2010年01月21日 09:00

民主党の最高実力者である小沢氏の側近の3人が、「政治とカネ」をめぐる疑惑で逮捕される事件に発展し、国民が寄せた民主党への期待を大きく裏切りました。
この騒動を起こした小沢氏は、民主党の党大会で「日本の議会制民主主義が、政権交代可能な本当の民主主義が定着すること、それのみを願って今日まで40年間の政治生活を頑張ってきた。今年は参院の通常選挙も予定されている。これに勝利することがわが党と鳩山政権の基盤を盤石すると同時に、日本の議会制民主主義を定着させることになる」と言う特別挨拶をしましたが、検察からの任意の事情聴取にも永い間応じず、事件の詳細については口を閉ざしたままです。
「政治とカネ」に対する疑惑と言う政治腐敗の典型的問題を起こしながら、道義的責任にも触れず、国民への説明責任も果さずに「法に触れるようなことをしたつもりはない」と強弁する小沢氏の姿勢は「議会制民主主義」への裏切り行為です。


ここで思い出されるのが、小沢氏が深く拘った1992年の佐川急便事件です。この事件は、当時小沢氏の身元引受人的な存在であった金丸信氏が、東京佐川急便から5億円のヤミ献金を受け取った事が発覚し、その捜査に当たった東京地検特捜部が金丸氏に事情聴取のための出頭を求めましたが、金丸氏はこの要請に応じませんでした。結局、東京地検は金丸氏から事情聴取をせずに同法違反で略式起訴し、罰金20万円の略式命令でかたずけました。

これで一件落着か?と思われましたが、特捜部が金丸氏を逮捕もせず、事情聴取すらしないで軽い刑罰で処理した事に、国民から凄まじい批判が起こり、金丸氏自身も衆議院議員を辞職する結果となった事件です。
又、特捜部とは別に金丸氏の「脱税」調査をしていた東京国税局は、金丸氏の妻が死亡した際に受け取った遺産に着目、日本債券信用銀行の無記名債の一部が申告されていない事実を突き止め、自宅の家宅捜索を行い「金の延べ棒」など数十億の不正蓄財を見つけ、国税局の「丸査」の名前を全国にとどろかせたものでした。

当時、金丸氏がなぜ絶大な影響力を誇ることができたのか?
それは、まずカネでした。角栄式の「利益誘導と、その見返りとしてのカネ」を徹底した人物が金丸氏でした。次に人脈です。社会党の田辺誠委員長(当時)とは盟友関係にあり、革マル派副議長だったという評判であった当時のJR東労組の松原明会長とも懇意でした。豊富なカネと人脈を誇る金丸氏の下には、陣笠議員が続々と参集し、構成議員は100名を越えたと言われています。
永年に亘り金丸氏を師と仰いできた小沢氏だけに、資金管理団体による不動産購入をめぐる不透明な資金の流れ、特捜部からの事情聴取要請の拒否、不透明で複雑な資金調達、夫人の関与、野党党首や組合ボスとの盟友関係、金と人脈を求めて参集した多数の陣笠代議士など、今回の疑念と佐川急便事件との類似性は驚くほかありません。

歴史が繰り返すとすれば、金丸氏の政治生命を絶った「佐川急便事件」同様、「資金管理団体の不透明なカネ」への疑惑が小沢氏の民主党幹事長職は勿論、議員の席にとどまることも困難にする可能性は充分考えられます。
又、公金である巨額な政党助成金を含む政党資金が小沢氏の関係政治団体に寄付の形で移されたことや、小沢氏の個人資金管理団体が10カ所以上の不動産を購入していること自体が異常で、小沢氏はこの異常さが法の不備を巧みに利用した「蓄財」行為ではないことを国民に具体的に説明する義務があります。「自分はもっともオープンな政治家」だと豪語する小沢氏と今回の一連の行動は完全に矛盾しています。

だからと言って、小沢氏を一方的に非難する事も片手落ちです。「権力の行き過ぎをチェックする有力な機関としてのマスコミ」が存在しない日本では、権力による世論操作が極めて容易だという問題を抱えています。

成熟した民主国家では、マスコミによる調査報道が充実しており、調査報道の自由を保障するために、言論の自由やニュースソースの秘匿が厳重に保護されています。それに対し、記者クラブを通じた談合体質が色濃い日本のマスコミは、情報源を当局に頼る傾向が強く、情報源秘匿の名目で「官製リーク」の保護している現状は誠に皮肉で悲しい事です。権力からの情報を無条件に信用しがちな日本の国民性は、この傾向に疑問を挟まず、政府による世論操作を容易なものとし、日本を成熟した民主国家と言うよりは中国の体質に近い官僚国家に近くしています。

民主党に期待しながら、小沢氏の金権、権力体質には堪えられない私ですが、今回の事件を通じて、捜査の可視化、弁護士の立会い許可、不当な長期拘留、別件逮捕の連発阻止などを通じて,日本の異常とも思える人権無視を早急に改善する必要を強く感じました。

鈴木宗男氏を信用しているわけではありませんが「日本の検察が正義の味方とは程遠い」と言う鈴木氏の主張も、同氏の盟友である佐藤優氏が著した「国家の罠」を読むと「さむならん」と言う気もします。

「人権を軽んじる」この種の検察国家的な日本の司法制度が、「日米地位協定」を巡っての「対等な関係」の障害になっている事も忘れてはなりません。

EUと米国の間にも人権を巡っての見解の相違は存在します。例えば、死刑を「残虐行為」と認定するEUは、加盟諸国に対して「死刑判決」を受ける可能性のある訴因の「被疑者」を死刑を容認する国家への身柄引渡しを禁止しています。この行為は「犯罪人引渡し条約」に違反する事は言うを待ちませんが、死刑を容認する米国もその対象となり、EU諸国は米国に身柄を引き渡す事は「人権の無視」に繋がると主張しています。だからと言ってEUと米国との関係が「対等ではない」と言う低次元な論議は行われていません。

小沢氏にも人権があります。それと同時に、一般国民とは異なる公人としての道義的責任と説明責任がある事も小沢氏は自覚して欲しいものです。この権利と責任のバランスが実現した時が「本当の民主主義が定着すること、それのみを願って今日まで40年間の政治生活を頑張ってきた」と言う小沢氏の政治人生の終着駅といえましょう。

小沢氏も世論の圧力に抗しきれず事情聴取に応ずる事になったようですが、一刻も早く、国民に合理的で具体的な説明をして欲しいとおもいます。一方国民も、今回の事件を契機に人権のあり方に注目して、日本の司法制度の抜本改正に圧力をかけるだけの自主性を持った国民になるべきだと言うのが、私の願いです。

         ニューヨークにて         北村隆司

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