誰が国民(ユーザー)の利益を代弁するのか? - 松本徹三

2010年03月01日 11:05

人間には、もともと「純粋に理想を追求したい」というころがある筈なのですが、ビジネスの世界で悪戦苦闘しているうちに、誰もが段々と老獪になっていきます。(そうでないと、生き残れませんから。)しかし、「何時までも心の中に純粋さを失わず、『老獪さ』と『純粋さ』が時に応じて『まだら模様』で出てくる人」は、この世の中には結構いるようです。(恐らく、政治家を志したような人達は、ビジネスマン以上にそうなのではないかと思います。)


私の場合は、人生の終わりに近づいて「権力の蜜の味」からは益々無縁になり、「もう十分『生き残った』のだから、最後はもう少し純粋な気持で仕事に取り組んでみたい」と考えている「変り種」ですが、こういう「仕事の上での純粋さ」は、一般にはなかなか理解されにくいようです。人は、どうしてもその社会的なポジションによって、型にはめて理解されやすいので、私の場合だと、何を言っても「そういうことを言う裏には、ソフトバンクの何かの思惑があるに違いない」と勘ぐられてしまうのも、やむを得ない事なのかもしれません。しかし、それでは困るのです。

ご承知のように、私は常日頃から、「日本全土に光回線を一気に敷設して、世界最強の通信インフラを構築すべし(設備投資を先行させて、これを安く開放すれば、その上で多くの新サービスの花が開く)」ということを言ってきています。記録に残っているかどうかは知りませんが、このことは、10年近く前に、当時の郵政省の通信政策局と米国の新興IT企業との「朝食勉強会」の時にも申し上げたことなので、今の仕事とは全く関係がないことだったことは、ご理解いただけると思います。

当時のNTTは、米国生まれのADSLを敵視しており、「最終的には全てが光回線になるのだから、ADSLのような中間的な設備(開発)投資は不必要」ということを言っていました。これに対して、私は、「それはその通りだが、それなら、『全国規模の光アクセス回線網を一気呵成に敷設する』というような大胆な計画を即座に発表し、桁違いの大量入札で関連素材やチップの値段を一挙に1/10位に下げ、これによって日本を光通信分野で断トツの存在に押し上げるべき」ということを、私はこの時に申し上げたのです。

今から3年半前にソフトバンクに来てからは、「『光通信網の大規模敷設論』は『競争相手のNTTを利することになる』と思う人もいるだろうから、ソフトバンクでは喜ばれないのではないか」と考えて、こういった発言をすることはずっと遠慮してきましたが、ある機会に、偶然、孫社長も私と同じ考えを持っていることを知りました。

私の見るところでは、孫社長も「老獪さ」と「純粋さ」が「まだら模様」で出てくる人です。坂本龍馬の熱烈なフアンであることからも分かるように、「光通信網」などという国策レベルのことを話す時には、孫社長の表情には、生まれついての「純粋さ」が満ち溢れています。

よく考えてみると、ソフトバンクは、「自力で全国にくまなく光回線を敷設するような財務力を持っていない」というか、「それだけの財務力があるのなら、もっと自分の強みを生かせる別のことに使いたい」と考える会社ですし、「誰かが回線を敷設してくれさえすれば、その上で色々な新サービスを花咲かせたい」と考える会社でもあります。

ですから、ソフトバンクグループの総帥である孫社長が、「国づくり」の観点から「大規模な光回線の先行敷設」を訴えても、会社の利害との相反は特になく、ソフトバンクモバイルの経営陣の端くれである私も、別に遠慮する必要はないということが、最近になって分かりました。(アゴラで私がこのことを論じ出したのも、それ故です。会社の利害と真っ向から対立するようなことは、たとえ「一市民の立場」の議論であっても、やはり公にはやりにくいですから。)

ところが、ここに来て、もともとIT振興に熱心な原口総務大臣が、「地方格差是正」への強い思いもあってか、昨年末の「原口ビジョン」の中で「光の道」ということを言い出されました。ここから、世の中の受け取り方が、少し変わってきたように思えます。

一言で言うなら、「ソフトバンクの孫社長は、自社の利害に結びつく何らかの思惑から『光公社』構想を打ち出しているに違いなく、原口大臣はそれに乗せられているのではないか」と、陰口をたたく人が出てきたのです。

成程、「光公社」等といえば、今盛んに言われている「NTTの上下分離(アクセス網分離)」と直接結びつくことでもあり、とにかく組織をいじられたくないNTTの神経を逆なでにすることはよく理解できます。従って、NTTの人達は、こういう話をついつい「NTT分割の陰謀」として捉えてしまうでしょう。

しかし、それは、国民の観点から見れば、何ともウラ寂しい話です。国の将来を考える「高い志」には注意が払われず、矮小な観点からその真意を曲解する人達がいることに対しては、当の原口大臣ご自身も、内心では憤然としておられるのではないでしょうか?

「NTTと競合する会社は、何とかしてNTTを分割して、その力を弱めたいと考えているに違いない」と決め付けている人達も、何とも視野が狭い人達だと思うのですが、これに神経を尖らせ、ひたすら「組織防衛」の為の対抗策を講じようと各方面に働きかけているNTTは、更に困ったものだと言わざるを得ません。

この問題は、要するに、「国民(ユーザー)の為に何が良いのか」という問題なのです。ですから、先ずは純粋にこの観点からの議論を進めるべきです。

つまり、「光回線の全国敷設は国民のために必要なのかどうか」を議論するのが先決で、その答がもしイエスであれば、その次に、「それでは、その為にはどうすればよいか」を議論すべきなのです。その議論が「NTTの上下分離問題」といったことと結びつく可能性も、成り行き次第では大いにあり得るしょうが、そうなるとすれば、それは「国民の為に必要」だからであって、「競合他社の為に必要」だからではありません。

かつてのNTT分割論の際には、「攻める郵政省」と「守るNTT」が共に政治力をフルに使って全面対決する形になり、両サイドから「支持を強要」された機器メーカーなどは、板ばさみになって相当苦労したものと思われます。その反省もあってか、今回は、総務省は「行司役に徹する」という考えを固めているようですが、それは正しいことだと思います。

しかし、ここで欠落しているのは、国民(ユーザー)の視点です。政治家も官僚も「NTTや競合企業の声は耳に届くが、国民の将来の利益を考えるのは、自分達しかいない」ということを、もっと強く意識するべきです。

最近の日経ニューメディアに、原口大臣の「光の道」構想についての内藤副大臣のコメントが掲載されていましたが、「NTTの組織問題」や「競合他社の陰謀論」に力点が置かれており、肝腎の国民の視点を感じ取ることが出来なかったのは、その点では少し残念でした。

先ず、「光アクセス回線の全国規模での設置の必要性」の議論ですが、ポイントは単純明快です。

少なくとも、現時点で「どうしても光レベルのスピードが欲しい」と考えているユーザーが大都市部を中心に相当数いることは、誰も否定できないでしょう。(もし、そうでないなら、NTTの光フレッツは全く売れなかった筈です。)それならば、「全国規模での光通信網の敷設は不要」と主張する論者の方々は、「そのような人達は特殊な人達であり、その数が今後飛躍的に増えていくといったことは考えられないし、そんな人達は地方には住まず、大都市に住めばよい」と考えておられるのでしょうか?

恐らく、NTTの人達は、「敷設はいくらでも出来るのだが、現実にはそんなに需要がない為に、光フレッツの売り上げは伸び悩んでいる。だから、これ以上敷設を進めても採算が取れない」と言うでしょう。「もはや設備の問題を論じる時期は過ぎた。これからは利活用だ」という議論は、このNTTの話の受け売りのように思われます。

しかし、このような議論は、独占時代の需給議論を引きずったものです。実際には、「需要」というものは、待っているものではなく、旺盛な事業家精神を持った人達が創り出していくものなのです。

設備を先行させ、将来を見越して当面は「採算割れ」の線まで値段を下げる一方、参入障壁を引き下げて多種多様なサービスを考える人達の事業意欲を掻き立てていけば、最終利用者は必ず増えてくる筈なのです。「ADSLの時のような価格破壊はもう二度と許さない。今度こそ安定収益を確保できる体制を堅持する」という考えにNTTが閉じこもり、自分達だけで全てをやろうとしている限りは、潜在需要は掘り起こせません。

次に、「それでは、どうすれば全国規模での敷設が可能になるのか」という問いかけに対しては、例えば内藤副大臣は、「それはNTTやKDDI、ケーブル事業者などの個々の経営判断に任せればよい。大都市部では既に設備競争が実現しているのだから、同じ様にすればよい」と考えておられるかのようです。しかし、このような「市場原理主義的な考え方」を、果たして「全国通信網」のような「公益分野」にも当てはめてもよいのでしょうか?

KDDIも、今買収問題でゆれているJCOMのようなケーブルTV事業者も、地方展開には一様に消極的です。唯一その能力があると思われるNTTの「経営判断」も、既に当初の敷設目標を大幅に下方修正したように、地方展開は抑えていく方針を明確にしています。つまり、「複数の回線が並存しても何とかやっていける大都市部でだけは、複数の事業者が競争しているが、当面の採算性が悪い地方展開には誰も見向きもしない」という「二極分化の状況」になっているのです。

「事業者に任せておけばよい」という議論には、「ユーザーの利益を守り、国の将来を考える」という「政治家と官僚の本来の責任」の放棄が見え隠れます。政治家も官僚も、「事業者に任せておけばよい」ところには口を出したがるのに、「自分達がやらなければならない」ところでは責任を回避する傾向があります。つまり、事業者には恩を売りたがり、声なきユーザーは放っておくということです。

日経ニューメディアの記事によると、内藤副大臣は「『光公社』などという考えは『改革』の針を逆転させるものだ」ともおっしゃっておられますが、それでは、これまでにやった「改革」とは何であったのか、その結果どういう成果が得られたのかを、先ず明確に示して頂く必要があります。また、「公社化のようなことは考える必要はない」とおっしゃるのであれば、地方住民を切り捨てないで済む「別の代替案」を、具体的に提示して頂く必要があります。

その是非は別として、「供給側ではなく、需要者としての国民の側に立つ」というのが現在の民主党政権の基本方針であるなら、これまで「供給者であるNTT」の立場を代弁してこられたNTTご出身の政治家の皆様も、そのような民主党政権の基本路線を遵守するような方向へと、基本姿勢を転換して頂くのが筋ではないかと考える次第です。

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