トヨタの信用を失墜させた責任は誰が負うのか? - 北村隆司

北村 隆司

下院公聴会での証言を通じて得た私の豊田社長の印象は「有能ではないが誠実な人柄だ」というものでした。

豊田社長が出席した下院の公聴会は厳しい尋問で広く知られていますが、今回は委員長が開会冒頭の挨拶で「証人喚問される前に、尋問の厳しさで有名な当公聴会に自ら出席を申し出た豊田社長の勇気と誠意は、勲章に値する行動だ」と称賛した程で、昨年にデトロイト3大メーカートップを吊るし上げた雰囲気とは比較にならない和やかな雰囲気で始まりました。


処が、時間が進むにつれて状況は厳しさを増し、豊田社長が質問の核心から外れた答弁をだらだらと繰り返し始めると「イエスかノーで簡単に答えて欲しい」と苛立ちを隠せない議員が続出しました。この応答振りが「物事の核心を把握する事が苦手な、頼りない人物」という印象を与えてしまったことは否めません。

社長就任の際「現場に一番近い社長になりたい」と挨拶した豊田社長ですが、質問が現場に近い具体的な問題になればなるほど答えに窮するなど、未だ見習い期間中である事も目立ちました。(それに比べ、隣席に控えた稲葉北米トヨタ社長は、議員の苛立ちを感じ取ると「社長、手短にご回答下さい」と日本語で囁いたり、あまり洗練されない英語ながら、通訳なしに簡潔で具体的な回答をするなど、随所に修羅場をくぐった有能な経営者の片鱗を見せたのが対照的でした。)

こんな豊田社長を、ウォール・ストリート・ジャーナル紙のラインボー記者は「通訳を使って間を取りながら、問題をはぐらかす用心深い歌舞伎役者の演技」とずるい人物かのごとき報道をしました。然しこの記事を「デトロイトの影響の強いミシガン大学に学んだ彼女の偏見」だと片付ける訳にもいきますまい。

私のような人間から見ると、傍で聞いていても腹立たしくなるようなオハイオ州選出のマーシー・カプター議員等の挑発的で中傷に近い質問にも、興奮もせずに淡々と反省の弁を繰り返す豊田社長の姿には、リーダーのイメージこそありませんでしたが「ずるい演技者」には程遠く思えました。

今回の豊田社長の証言で最も注目すべきは、「第一に安全、第二に品質のトヨタの伝統が、いつの間にか『資本の論理による効率経営優先』に変わってしまい『業容拡大のスピードに人材の養成が追いつかなかった事』が不祥事が多発した最大の原因だ」と繰り返し述べたことです。この発言は明らかに「奥田式経営」に対する強烈な批判です。

空前の好業績の立役者と言われた奥田相談役は社長時代に、トヨタを「品質と手堅いトヨタ」から「資本の論理による効率化と大規模化による好業績」につなげました。しかし、豊田社長の今回の証言が正しいとすれば、奥田式経営がもたらした巨大な利益の陰には「信用失墜」と言う計り知れない代価もあった事になります。

今回の公聴会の批判の矛先は一貫して :
1.「安全と品質」より「利益と規模」を優先したのではないか?
2.「都合の悪い情報は隠蔽する」という企業風土があるのではないか?
3.本社に権力を集中しすぎたため、現場の事情が本社に伝わらず対策の遅れを招いたのではないか?

という最近の「トヨタ経営」に集中しました。豊田社長はこの批判に対して名指しこそ避けましたが「あるべきトヨタの伝統を壊して、『この経営風土』をもたらしたのが奥田式経営だ」と明言したのです。
そうであれば、この際「奥田イズム」を代表する長老達を一刻も早く退陣させる事が、社長が約束した信頼回復の具体的第一歩であるはずです。豊田社長が批判した「奥田式経営」を作り上げ、支持し、或いは信奉してきた先輩達が、最高顧問、名誉会長、相談役、会長、副会長等々の地位に君臨しているようでは、外部に対する説明がつきません。

「税金と人命安全」に極端に敏感な米国議会が、公聴会で国籍や企業に関係なく責任者を厳しく糾弾する事を知る私は、今回の公聴会が日本叩きだとは思いません。寧ろ「税金と人命安全」に対する日本の認識の甘さが突出している現状が問題で、大いに反省する必要があるとさえ思っています。

米国に次いでトヨタを国会に召致するといわれるカナダの会社であるボンバルデイア社は、事故続きの飛行機のメーカーであり、同社の抱える問題と乗客に与える不安はトヨタの比ではありません。日本の国会も、ボンバルデイア社の責任者を招致して、国民の前で徹底的に原因を追求し、安全策の即時実施、リコールの要求、場合によっては賠償も求める位の毅然とした態度をとって欲しいものです。

                     ニューヨークにて 北村隆司

コメント

  1. botaskie より:

    どうもはじめまして
     数年前、大学時代の話ですが、経営分析の教授が、当時奥田体制で急成長を遂げていたトヨタに対して「世界レベルでの規模の拡大に対してトヨタのSCMと管理能力が追い付いていない、いつかムリがくる」と言っていたのを思い出しました。
     この辺は2001年ごろのユニクロが規模の拡大の結果、商品やマーケティングの管理がずさんになって低迷したのに似ているような気がします。
     おそらく、トヨタの問題は組織の体質に由来する以上、特効薬がないため解決には数年かかると思いますし、その間に北米でのシェアと信頼を低下させ続けると思われます。
     
     長い年月がかかると思いますが、じっくりと組織を立て直してほしいです。

  2. edogawadamo より:

    無表情な原稿の丸読みか、曖昧な答弁が目立つ豊田社長ですが、「急速な業績拡大」云々のくだりだけは実感がこもっていた気がします。章男氏の社長昇格人事は、社内の反奥田派が(先祖の教えに忠実な)ご嫡男を担ぎ上げて起した反乱のように見えます。

    しかし私は、急激な業績拡大が拙いのではなく、トヨタ流に拘りすぎて、現地分権化を進めなかった事に問題があると感じます。また、奥田氏が「今までと違う事をしろ」とはっぱをかけ、プリウスの市販化を前倒しにしたように、完成度に拘らずイノベーションを促進するという姿勢も、新しいトヨタの方向性だったと思います。

    この先トヨタ(他日本の自動車メーカ)は先端技術開発や工場コンサルティング、或は資金力とネットワークを生かした商社機能などに傾注せざるを得ないと思います。そういう中で「売れる分しか作らない(売れるモデルしか発売しない)」という保守的な経営や、カイゼン教信者によるボトムアップ式ビジネスに回帰する事は時代に逆行しているように感じます。

  3. 北村隆司 より:

    Edogawadamoさん 誠に適切なコメント有難う御座いました。勉強になります。ご指摘の様に、失敗に懲りて過去に戻る事は最悪で、絶え間なき改革は生き残りのための絶対条件です。巨大な利益や、保守的なトヨタには珍しいプリウスの市販踏み切りなど、奥田式経営の功績を全面的に否定するものではありませんが、利益とか売れ筋新車と言う一過性の成果を挙げるために、隠蔽体質や本社集権主義を導入する必要があったのかは疑問です。信用危機が金融危機を誘発する時代ですから、信用やブランド力の維持は経営者の最優先課題だと思います。

    edogawadamoさんの仰る通り、トヨタは過去に戻るのではなく、豊富な知財権や資金力を活用した付加価値の高い企業への転換をすべきだと思います。然し、巨大企業の方向転換には並外れた構想力と指導力を必要とします。章男社長にその力があるか?甚だ疑問に思えます。1982年に新生GEをスタートさせた、ウエルシュ氏的な経営者が必要なトヨタです。このままでは、トヨタが当時GEのライバルであったウエステイングハウスの運命を辿る事を恐れます。」

  4. 北村隆司 より:

    大変お若いbotaskieさんからコメント頂き嬉しく存じます。「巨大企業の体質を管理能力で変える事は不可能に近い」と言うのが私の経験です。若者に経験主義を持ち出すことは卑劣ですので、私が習ったハーバードの演習授業の逸話をご披露して置きます。「幼い子供達にサッカーを教えようとクラス全員を運動場に出してボールを与えた処、各自勝手な方向にボールをけり出し、大声で幾ら注意しても収拾がつかない。そこで大急ぎでゴールポストを立てると、号令もかけないのに子供達は一斉にボールをゴールに向かって蹴り出した。」このエピソードは、細かい管理より、指導者が皆の納得する方向を示す事が肝要だという事を教えたものです。例え話しでは簡単な方向転換の指示も、いざマニュアルもなく実行することの難しい事を私は嫌と言うほど経験しました。又、時間をかければかけるほど改革が遠のくのも事実です。トヨタの病気は手術が必要な重病だと思います。」

  5. edogawadamo より:

    北村様。丁寧なご返信ありがとうございます。

    事業拡大フェイズから減速へ転換すべき時に、それこそ「アクセルが開きっ放しで、ブレーキが効かなかった」と言う点では、奥田氏より渡辺前社長への批判が多いようですね。

    ただ仰るとおり、章男社長に巨大企業の御家騒動を治めて新たな方向に導くような器量があるようには見えません。失言の多い佐々木副社長を筆頭に、側近にも恵まれて居ないようで、本人が生真面目なだけに痛々しい感じすらします。

    章男社長が「成功体験を捨てよう」と社員に言った意味はよく判りませんが、彼のビジョンは基本的に先祖帰りだと思います。少なくとも「ニュートロン・ジャック」と呼ばれるような、非情なリーダーシップを発揮するタイプでは無いでしょう。ゆっくり滅びる巨大恐竜と言う意味で、トヨタは名実共にGMになってしまったようで、何とも皮肉な話です。