「大山鳴動して鼠一匹」。今回の津波騒ぎはまさしくこの諺(ことわざ)の模範例と言えるでしょう。今後、諺を説明する適例として教科書にでも載せればよいと思います。
マスコミ各社は津波の襲来に備えて最大級の報道を行いました。中でもNHKは朝から晩まで、通常の番組を中止し、ほとんどすべての時間を津波報道に割いて、危機を訴えました。津波による被害をなんとか防ごうという姿勢は「感動的」ですらあります。
ところがマスコミの懸命な努力にもかかわらず、避難に応じたのは驚くほどの少数です。3月1日の読売新聞 よみうり寸評は次のように書いています。
『今回のチリ大地震できのう、大津波警報が発令された青森、岩手、宮城3県の36市町村のうち、2町村が避難勧告、34市町村が避難指示を出している。この3県34万人で、避難が確認されたのは6.2%、2万1000人』
避難した実数は6.2%より少しは多いかもしれませんが、驚異的な数値であることには変わりません。要するにマスコミや市町村、それに気象庁が信用されていないということです。信用度の低さがこれほど明瞭な形で示されるのは珍しいことであり、それだけに実に貴重なデータであると思います。関係者は深刻に受け止めるべきだと思いますが、何故かメディアではほとんど問題にされていません。
いかに大きな声で叫んでみても信用がなければ意味がありません。信用が大切なのは人も組織も同じで、言動に信用がないということは嘘や誇張が何度も繰り返されたことの反映と考えられます。
気象庁の波高の予測値が過大であったことについては、予測値を過小に見積もって被害が出るよりは良い、という論調がメディアには目立ちました。これは報道についても過小よりは過大の方が良いのだ、というメディアの弁解の下準備のように聞こえます。
私の記憶によるとNHKは阪神大震災を境に地震報道のあり方が大きく変わったように思います。震度が1や2、マグニチュード3程度の微弱な地震でも報道するようになりました。ラジオの番組を中断してまで微弱な地震を報道する意味を理解することができません。
今回、避難指示や勧告に従わなかった90%超の人々は自分の判断で行動したのであり、いっそう自身の判断の正しさに自信を深めたことでしょう。この「学習効果」は将来被害をもたらすような大きな津波が到来したとき、深刻な問題になる可能性があります。3mの波高予想で避難が6.2%なら、6mの予想では50%にまで達するでしょうか。今まで10cmや20cmの津波で大騒ぎを繰り返してきた結果、信用はすでに失われていたと考えるべきです。
この背景には過剰であっても安全策をとっておけば責任を問われることはない、という保身の動機があると思います。気象庁、市町村、そしてマスコミが責任を回避する行動をとり続けた結果、過大に反応が常態化し、避難者が6.2%という低信用度を「達成」したと考えられます。
この責任回避行動の裏には「安全」を最優先する風潮があります。安全を振りかざして企業や医療を叩いてきたマスコミ自身が安全軽視と言われないために、安全優先に縛られ、危険を誇張した津波報道を続けた結果としての信用失墜であり、自縄自縛、いや自業自得と言えるでしょう。
まあ理由はどうあれ、このような場合、テレビは迅速な報道機関としての役割をほぼ独占しているわけで、信用がなくなれば報道の役割が果たせなくなります。放置してよい問題ではありません。
コメント
全くその通りだと思います。 仮に最大級の警告を100とした場合、20程度の危険度のものを、安全を見て90と過大に警告していたら、100の危険度のものを100と警告しても、誰も大した危険ではないと判断してしまうようになるでしょう。これこそが大問題です。
アメリカでは、かつて真面目な教育者による「マリファナ自由化論」がありました。マリファナ程度だと、未成年者がこっそり喫煙するような感覚で手を出してしまうし、結果としてあまり害もないので、「何ということないよ」ということになってしまう。ところが、これがコカインになると、心身を破壊されてしまうほどの問題を起こします。それなのに、「禁止」の扱い方はマリファナと同じなので、つい安易にマリファナからコカインに進んでしまう。従って、マリファナはOK、コカインは「絶対に駄目」という風に、メリハリをつけた禁じ方をすべきだというのが、この人達の考えでした。
「何でも禁止しておけば〔警告しておけば〕安全」というのは、安易で無責任な教育者や親の考えです。
予測はコンピューターのシミュレーションに基づいている様ですが、津波がハワイに達した後も、日本での予測値を変えなかったのは何故でしょう。小笠原、八丈島での観測値で再計算すれば本土での値もほぼ正確に予測出来たはずです。
気象庁の天気予報で不思議なのは朝、外で雨が降っているのに、NHKの天気予報が午前の降水確率が50%と放送してる事です。気象庁の出す天気予報は日に2回位で、その間は、状況が変わっても更新しないのではないでしょうか。
桜の開花予測は民間の会社もやっており、気象庁よりも過去の予測が正確だった為、気象庁は桜開花の予測は止めたそうです。天気予報は民間は出来ません。気象庁は廃止し、民間の会社に任せたら競争で、予測も正確になるのでは。税金の節約にもなります。
シュミレーションといっても、日本全国の海に面した地形、さらに海底のデータからシュミレーションすることは困難なのでは? 数km先では1mの津波でも、海底や地形によっては何倍にもなる可能性はあります。なので、日本全国で正確に予測することは現時点では難しいのではないのでしょうか?
天気に関しても、自分の目の前で降っていても、少し先では晴れている可能性があります。情報は気象庁からくるわけで、局が勝手に変えるわけにはいかないでしょう。民間ならすでにウェザーニューズなどあり、実際に店舗等では情報を購入しています。
不思議なのは、司会の勢いだけで中身の無い朝の番組には食いつき一喜一憂するわりには、今回のようなケースでは信用しないと。
信用というよりも、「津波」というものに対しての理解度ではないのでしょうか? あまり津波を知らない、体験もしないので、リアルにイメージがわかないのではと。(海外の津波情報を見ても、「怖い」と思いながらも「自分には関係がないし」という視点で、想像までしていないのではないかと)
いろいろな意味で今回の津波情報は、良くも悪くもマスコミに踊らされている国民性だけは見えました。
松本様
コメント、ありがとうございます。
かつてアメリカの一部の州で、マリファナと(個人的)売春は合法化されたということを聞きましたが、その源流に「マリファナ自由化論」があったのでしょうね。
津波報道が信用されなかったということはマスコミの報道が見透かされていたわけで、国民はマスコミが想定していたほどバカではなかったということになるでしょうか。
hogeihantai様
気象庁の普段の仕事はデータを解析して予報することです。予想が外れてもたいして咎められるわけではありません。いつもこういう「優雅」な仕事をやっている方々に「外したら人命にかかわる」というキツイ仕事がきたわけですから、お気の毒というべきかもしれません。その結果、責任回避のための割り増しがあったのではと勘ぐっています。民間で任せる方がいいと思います。
岡田克敏
本当ですね。
報道は正確に伝えることが仕事であって、過剰も過小も、ミスであり「過剰または過小だったことは責めを負う」はずです。
ミスを認識して、より理想に近づこうとしない限り、改善や進歩はないでしょう。
bakaweb様
>シュミレーションといっても、日本全国の海に面した地形、さらに海底のデータからシュミレーションすることは困難なのでは?
シミュレーションの難しさも要因のひとつですね。それと津波に対する理解度の低さも。
予想値が多少大きめになるのは止むを得ないと思います。問題はその許容範囲です。
結果的に信用されなかったことが明らかになったのですから、それを回復する必要を感じます。
ta_shim様の云われるようにより正確に近づこうという方向性がもっと必要だと思います。信用されなかったことを反省し、改善しようとする論調が見られないことも残念です。 岡田克敏
>予想値が多少大きめになるのは止むを得ないと思います。問題はその許容範囲です。
逆に、視聴者側の許容範囲が、現在の技術以上の事を求めているとしたら、それも問題かと思います。
どちらかと言うと、「現在の技術ではこの範囲までしか予測できません。誤差が○○あり、もし最大値なら○○となるので、避難してください」と、正直に言うほうが良いのではないのでしょうか?
普段アゴラでは、「マスコミによって情報操作」などを問題にし、あまりマスコミを信用しない雰囲気を感じます。ここが腑に落ちません。逆に、何を信用し何を疑うのか、そういう目を国民が持っていないことが問題だと思います。今回の事は、単純なマスコミ批判だけですむ問題ではありません。
結果的に信用されていないからといって、オーバーテクノロジーなのかを判別せずに、ただ「改善しろ」というのは、私には横暴に聞こえます。逆に、オーバーテクノロジーではないのなら、そこを指摘すべきです。
天災が、いつどこでどのぐらい、というのを正確に把握できる(99.99~%の精度)領域まで、人間は辿り着いていないと思います。
bakawebさんに賛意。
自然を予測するというのは非常に困難です。
津波がどこまで大きくなるか? など、来なければわからない部分が大きいです。
まして、この日本の海岸線は非常に長く、全てを網羅することなどできません。
正確な予測ができると考える方が間違いです。
それを信用がどうのこうのというのは、お門違いでしかありません。
正確な予測ができない以上、津波のときは海に近づかないという、情報があるだけで十分だと思います。
ちょっと夏が暑かったり、冬が暖かかったりしただけで温暖化がどうのこうのいうのも、狼少年的ですね。
一日先の津波ですら正確に予測できないのですから、温暖化の予測などあってないようなものです。
これからは冬に寒い日が来るたびに、夏に涼しい日が来るたびに、温暖化予測の胡散臭さを学習する人が出てくるでしょう。
筆者の意図が良く理解できません。3メートルの津波予報に対して、岩手県大槌港で1・45メートル、岩手県の久慈港と高知県の須崎港で1・2メートル、仙台港で1・1メートル、の津波がきているのに、6%の人しか避難しないのはマスコミや気象庁が信頼されてないからだと言う論調ですが、本当にそうでしょうか。
頻発する警報に洪水警報があります。このときの避難率はどれほどなんでしょうか。洪水警報が出て、洪水にならないからと言って、気象庁を叱って意味があるのでしょうか。
市町村の一区画に降る雨の量を把握して、正確に洪水が予報できるようにする為のコストと、現状のままの広範囲な地域に対する警報に、地方公共団体が上乗せしての避難勧告などをするシステムのコストとを比べれば、今で十分でしょう。
洪水警報が、あれだけ筆者流に言えば「外れている」のに、めったに起こらない津波予報が、予報値の50%近い値で、このような叱責をすること自体、アンバランスな指摘だと思います。3メートルの予想に対して、10センチならご指摘の通りかも知れません。過大な要求は、なさざる罪を呼ぶのです。
予測困難といってもある誤差の範囲内での予想は可能でしょう。
気象庁、マスコミ、市町村、この三者の行動の結果、信用率6.2%ということになりました。気象庁は目標の誤差を逸脱したと謝罪しましたが、今回の信用度の低さは気象庁だけが負うものではないと思います。
私の論点は信用率6.2%を何とかしないといけないというものです。このままでは住民を安全に誘導することに支障がでると思います。
岡田克敏
>一日先の津波ですら正確に予測できないのですから、温暖化の予測などあってないようなものです。
こう言う論調が結構多いのですが、困ったものだと思います。私が確率論を教わった時、東京タワーから紙を一枚落とした時にどこに落ちるかは予想することは不可能だ、しかし、千枚落としたらどこに落ちるかはかなりの確率で言い当てられると言われました。
ある地域の津波の高さの予測のような希現象と、平均気温のような並の現象で、物理化学的にシミュレートしうる現象を同じように扱うこと自体間違いだと思います。
高知港の津波の高さを予測できなくても、地球の北半球の10年後の平均気温は予測できる可能性は十分にあるのではないでしょうか。
明日の株価を予測できない経済学者が、財政政策のGDPへの影響を予測できるのと同じです。
「津波予報への数値シミュレーション技術の活用」、「我が国の津波予測システム」、「海溝型地震の津波シミュレーション」、「地震津波シミュレーション」等の解説記事がWebで簡単にアクセスできます。 これらの記事をさっと読むだけでも、 まとはずれな見解を述べる事は避けられます。
震源と震度の可能性のすべてをカバーするだけの地震のひきおこす津波の観測値があれば、 津波予想も複雑なシミュレーションをすることもなく桜の開花予想なみにできるでしょう。