温暖化対策は京都議定書の枠組み否定から! - 北村隆司

北村 隆司

「共通だが差異のある責任原則」で、途上国に削減義務を求めない事で妥結をはかった京都議定書の発足で、1992年のブラジルのリオ・サミットで始まった国際的な温暖化問題への取り組みは、大きな一歩を踏み出したと思われました。

然し現実は「地球温暖化防止の責任」を国別の排出総量で規定し、対国民所得、対人口比、対GDP比などの細かい配慮を欠いた京都議定書の枠組みでは、発展途上国の同意を得られるとは思えません。この際、現在の枠組みを否定してでも新たな出発が必要だと思います。


京都議定書の採択時以降、企業の多国籍化と発展途上国への直接投資の急速な伸びなど、世界の情勢も大きく変わり、将来的には途上国の排出量が大きくなっていくことは間違いありません。今や、発展途上国の合意なしには温暖化問題は解決しないのが現実です。

海外直接投資残高の産業別内訳は調べていませんが、国連統計を見る限り残高は膨大な数字にのぼり、その多くは工場の海外進出によるものです。

利益の最大化を求めて環境規制の緩い発展途上国に進出した企業が、利益は持分法で享受しながら温暖化ガス排出量はすべて工場立地国の責任と言う枠組みは、合理性を欠きます。これでは、進出先の工場で生産された製品輸入は、温暖化ガスの輸出助長と言われてもやむを得ません。

環境優等生と言われるスイスを例に取ると、温暖化ガスの排出量が少なく人件費の高い研究機関や本社機構はスイス国内に残し、排出量の大きい工場は殆ど海外に移転して環境コストを下げ、その結果としての株価上昇や利益の増大はスイスが享受する仕組みとなっています。これでは、多数の人口を抱え、国民所得の低い発展途上国が、余りに不公平だと不満を述べるのも当然です。それに比べ、文句も言わず西欧のエゴを反映した基準に順々と従い、そのつけを国民に負担させる日本の環境政策の国際性の無さが情けなくなります。

政府が決定した「地球温暖化対策基本法案」は,京都議定書で日本が不利な削減義務を負った失敗に配慮して「すべての主要国による公平かつ実効性のある目標の合意」と言う条件をつけた事は当然としても、COP16の課題である国際的合意に向けた日本政府の提案は何一つなく、主要国による合意を取り付ける工夫をしたとは思えません。

日本を含めた、先進各国の失業率の高さが景気の回復を妨げている事は論を待ちません。対策基本法案は、温暖化ガスの削減に伴う企業と国民負担の増大が更に失業を招く危険についても触れられていません。

政府が基本的施策の柱の一つとして、国内排出量取引制度の創設を盛り込んだ事も、とても賛成できません。この制度は、省エネが進んでも生産量が増えれば排出量も増え、結果的に削減効果より「経済に悪影響を与える」と主張する人々もいるくらいです。

それだけではありません。 国内取引では目標を達成出来ないと予測する政府は、巨額の公金を投じて海外から排出枠を買う予定と報道されています。国民負担で支払うこの費用は、国民の将来に役立つ投資と言うより浪費に近いものです。

温暖化ガス排出責任を、工場の所在地ではなく持分法で換算すれば、海外生産拠点のコストは上がり、多国籍企業の工場の海外逃避にブレーキをかける効果も出てきます。一方、途上国側も環境問題を重視しないと企業誘致が困難になる環境への間接効果も出てきます。

環境を軽視して海外逃避でコストを下げる企業へのけん制として、温暖化ガス排出基準に達しない企業には、基準に達する為に必要なコストを簿外債務として計上する事を格付け機関に義務つける国際条約を結ぶ事も、効果的な温暖化対策の一つです。国際の格付けにもこの原理を適用すべきです。

同じ「京都メカニズム」を活用するのであれば、森林保全の推進に巨費をつぎ込むべきです。国土の7割を占める森林の保全は、針葉樹林過度の現状を広葉樹を交えた自然な姿に戻すことで、花粉症に伴う生産性の低下を防ぎ、医療費を低下させ、水資源を改善することで沿岸漁業を活性化できるなど波及効果の莫大な環境日本のインフラ整備の将来的なあり方だと思うのです。

森林保全には膨大な労働力が必要で、国内ボランテイアーで解決出来る規模ではありません。その為には、海外から多数の研修生を迎え入れ保全活動と研修を行う一方、一定の研修と保全活動を終えた研修生にはODA資金を活用して、母国へ帰国後も母国の森林保全の職を保障し森林保全活動に従事してもらう事こそ「京都議定書」の精神に沿った政策だと信じます。  

 今年末にメキシコ・カンクンで開かれるCOP16の議長を務めるメキシコの環境相も、(1)森林保全の推進(2)途上国の温暖化対策への短期・長期支援の履行を目指す優先項目の筆頭に挙げており、森林保全は、この優先項目にもピッタリ当てはまる施策です。

「地球温暖化対策基本法案」と言う大袈裟な名前をつけながら「すべての主要国による公平かつ実効性のある目標の合意」と言う条件を付して実行は全て他人任せにする貧困な法律はやめて、分裂した世界が一致できるような排出基準を考えて欲しいものです。

その為には、京都議定書の枠組みを否定して、多国籍企業の海外出先の排出ガス量は持分法を適用し、国民所得、GDP、人口当たりの排出量規制を考慮した基準に変更する事が必要だと思います。

我々日本国民は、100余年前の先達の正しい選択により,遅れた農業日本をともかくアジアでは進んだ工業国に改造しました。第二次世界大戦後の苦難も、日本国民の高い教育水準や勤勉さで克服して今日の先進国日本を享受しています。それに比べ、永い殖民地搾取や恵まれない自然環境などで苦しみ続けている多くの発展途上国の国民の生活水準の向上や生産性の向上を、環境の名前で規制しかねない京都議定書の枠組みを否定する事は、先進国の恵まれた生活を享受する国民の果す最低の義務だと思うのは行きすぎでしょうか?

             ニューヨークにて    北村隆司