書籍の消費文化はすでに変化してきており、電子化がいよいよ加速する - 大西 宏

アゴラ編集部

株式会社コア・コンセプト研究所

電子出版が登場したのは1980年代の初頭であり、ずいぶん歴史は長い。しかし、ケータイ小説や携帯コミックが小さな成功をした以外は、本格的な普及も定着もないままにずるずるときたというのが実態でしょう。そのために電子出版に関しては懐疑的な人もきっと多いと思います。

しかし、昨年にアマゾンの電子ブックリーダーKindleが登場し、さらにバーンズ&ノーブルがnookで参戦、またアップルのiPadの発表で一気に火がついたという感があります。古くから電子ブックリーダーを手がけながら、話題に取り残された感のあった米国SONYも、このところ新聞社との提携を一挙に進め、さらにiPadに対抗するタブレットPCを開発しようという動きもてきました。
いずれも米国ではじまった流れですが、黒船がやってくる、業界の危機だ、逆に苦境に立つ出版社の救いになるという期待感など、さまざまな思いが入り交じって議論が起こってきています。

しかし、どのように技術やビジネスのイノベーションが進むかによって、電子出版の普及や成長速度は変わるのでしょうが、確実に書籍や雑誌を取りまく出版ビジネスが塗り替わっていくことだけは間違いありません。いや出版のビジネスだけでなく、やがて人びとの文化そのものをも大きく変えてしまうだろことは想像に難くありません。また、この電子出版がもたらす構造変化を想像できない人の中には、電子書籍販売はアマゾンなど米国資本がリーダーシップを取っており、日本の活字文化を衰退させるという奇妙な議論まで飛び出す始末で思わず失笑してしまいます。


書籍の消耗品化が起こってきた
電子出版がどうなるかを考える際に、重要なことは、その前提としての書籍の消費構造に大きな変化が起こってきたかどうかに注目する必要があります。実は書籍の電子化が必然だという大きな時代の変化が起こってきています。
かつては書籍はストックされるものでした。しかし今は違います。書籍はどんどん消耗品になってきたのです。もちろん今でも蔵書を楽しむという人はいるでしょう。しかし、ストック財から買って読めばもう手元にはいらないという消耗品化が起こってきているということです。

古書籍市場の変化でこのことがよくわかります。いったん読むと古書籍店に売ってしまい、よほどのものしか手元に残さない人が増えました。だから古書籍での書籍流通量が増えました。ストック財としての付加価値がなくなったために、ブックオフのように本を値踏みしないで買い取るというビジネスも成り立つようになりました。
古書籍店の経営者の人たちはその変化を痛いほど感じています。値打ちがあり高く売れる書籍がどんどん減って、販売価格が下がり、また人びとが求める書籍が多岐に渡ってきたために、それに応える在庫を持たなければ経営が成り立たなくなってきています。

新刊本でも出版される数は増えたのですが、店頭に置かれても長くは持ちません。あっという間に店頭から消えていきます。書籍のデジタル化は、そういったフロー型の書籍消費にはいかにもフィットしています。電子書籍に変わってもなんら問題がない、というよりはそれでタイムリーに読みたいものが購入でき、価格が下がったほうが読者にとってはありがたいということです。
もし、書籍をストックする、つまり書棚に並べて所蔵することに価値を見いだしている人が多ければ電子書籍普及のハードルは高いのですが、そうではないということです。

プレイヤー(市場の担い手)が揃ってきた
いったん電子書籍を利用するとその良さがわかります。しかし、これまでの電子出版には致命的な欠陥がありました。電子ブックリーダーがなかったからでしょうか。違います。売られている書籍の種類が少なく、読みたい本、買いたい本がが揃っていなかったのです。電子書籍リーダーに注目が集まっていますが、電子ブックリーダーは確かに需要を喚起し,市場を広げる役割を果たしますが、この市場の鍵を握るプレイヤーではないと思っています。電子書籍はPCで読もうが、書籍リーダーで読もうが、iPhoneなどのスマートフォンであってもいいのです。それは利用に応じて選択すればいいし、それぞれが便利になればいいだけのことです。

電子書籍の市場が成り立つ重要な鍵を握っているのは、書籍コンテンツを集積させるパワーを持ったプレイヤーの登場です。そこにいけばどのような書籍も手にはいる、著作権管理が行われており、検索もできる、つまり書籍コンテンツのアグリゲーターが登場してくるかどうかです。きっと販売も握るでしょう。
やっと、その役割を担える役者が揃ってきました。アマゾン、グーグル、アップル、米国SONY、バーンズ&ノーブル、いや日本は言語が違うので、今からでも日本発の企業が出現しても遅くはないかもしれません。
楽天さんあたりがやらないのでしょうか。ただアグリゲーターが海外資本であっても、別に日本の文化が壊れるわけではありません。壊れるとすれば既存の業界の常識や秩序、また業界そのものです。

不幸なことに日本は著作権についての態度が保守的であったり、出版社をまとめることができる取次店が自らのビジネス基盤を揺るがしかねない電子書籍に本気でチャレンジするかどうかも不透明です。もたついているうちに米国発の企業に押さえられてしまうということになってしまうのでしょうか。
総務省、文部科学省、経済産業省の3省が、本や雑誌をデジタル化した電子書籍の普及に向けて、国内ルールを定める官民合同の研究会を発足させたようですが、公的な図書館所蔵の書籍のデジタル化も睨めば、政府や地方自治体とも連携して育てていくというのもおかしくはありません。しかし成否は、業界利益や業界保護からの視点、供給側の視点ではではなく、ユーザー目線から発想できるかどうかにかかっています。

出版のハードルが下がり、業界構造が激変する
新聞も、雑誌も、書籍も、しょせん印刷という装置に頼っているビジネスです。コンテンツ産業という顔と、印刷という装置産業の顔の持つヤヌスの神みたいな産業です。印刷にはコストがかかり、出版する際の資金負担となり、売れなければ回収できないというリスクとなってきます。それが参入障壁ともなり、出版ビジネスの秩序が成り立っています。その根底が崩れてくるということです。
出版社の役割も大きく変わります。出版社は、コンテンツの編集をサポートするコンサルタントの役割とその書籍を売るための仕掛け人、つまりマーケティング・エージェンシーとしての役割が大きくなってきます。その役割を担えるかどうかで淘汰が始まるでしょう。

電子書籍でまずは売り出し、人気があれば紙の書籍を追加して発行するというマーケティングもできるようになります。個人でも出版することができるでしょうし、また個人の出版コーディネーターが生まれてくる可能性も高いと思います。いずれにしても、誰でもコンテンツさえ創ることができれば、出版ができる時代がやってきて、それまでの業界秩序や業界常識は壊れていきます。きっとフリー(無料)の書籍も大量に登場してくるでしょう。どうなるとブログとの際が怪しくなってきます。

ロングテールが可能になる
書籍もモノである限り在庫や物流が必要であり、いくらロングテールだといっても、際限なく在庫しておくと在庫を抱えるコストが膨大にかかってきて現実的には不可能です。いくら大型書店でも、必要な本が揃っているとは限らず、取り寄せるか、アマゾンや楽天で買うということになります。しかし、デジタルの世界は、ストレージのコストがどんどん下がってきているので、電子化すれば、あらゆる書籍を在庫しておくことが可能になってきます。
ただ、情報化、スピード化が進むので、旬で人気のある本が今より売上を占めるということが起こってきてもおかしくありません。しかし逆に、少ししか売れない本でもいつでも手に入るようになります。

便利になり、価格が下がれば書籍流通量は増える
印刷された書籍はそれなりの良さもありますが不便さもあります。第一は検索できません。確かに読んだことがあるけれど、うろ覚えでどの本に書かれていたかを探すのに一苦労することがあり、また結局はわからなかったということもあります。それは膨大な情報が流れている現代では致命傷です。
書籍の検索では、グーグルがチャレンジしていますが、アマゾンでも「なか見!検索?」のないものがまだまだ多く、売る気がないのだろうか、それなら書店でも立ち読み禁止でビニールカバーすればと思ってしまいます。
第二に、引用したり、資料として重要なページを保存・整理したくとも、またキーボードを叩かないといけません。切り抜きができない、タグではなく付箋では探すのも大変だということです。

第三に、場所が変わると本を持ち運ばなければ読めないという不便さがあります。書籍が電子化されれば、PCや電子ブックリーダー、またスマートフォンが書棚になり、どこでも読みたい本が読めるようになります。さらに価格が下がれば、書籍の流通量が増えていきます。本を買う頻度も買う人も増えるだろうということです。そこが音楽との決定的な違いです。音楽は気に入ったものがある程度あれば、それをリピートして聴きますが、書籍はリピートして読むこともありますが、新しい書籍を読むという人のほうが多いからです。
電子書籍も、現状ではまだ紙の書籍の文化を引きずっていて、ページめくりがあったり、著作権を過度に意識して、本来の電子書籍の良さを損ねているというのが現実でしょうが、やがてそれも変わっていくものと思います。すくなくとも縦書きから横書きへという変化ぐらいは起こってきそうです。

紙と電子は併存するが、この衝撃は大きい
デジタル化の流れで一変してしまった例としては写真の世界があります。銀塩フィルムや銀塩プリントがなくなったわけではありませんが、しかし銀塩フイルムや銀塩プリントの市場規模は激減してしまいました。銀塩の世界では、コダックと富士フイルム2社の独壇場でしたが、デジタル化によって、プレイヤーが増えました。デジタルカメラ、カメラ付き携帯、プリンター、あるいはセルフプリントサービス、写真の加工ソフトやアルバムソフト、Flickrなどのネットの共有サイト、デジタルフォトフレーム、ほんとうに多岐に渡るプレイヤーが出てきました。また重要なことは写真を撮る人、あるいはシャッターを切る回数、ショット数は飛躍的に伸びたことです。銀塩フイルムのよさ、デジタルのよさがそれぞれが棲み分けられてきているように感じます。しかしコダックや富士フイルム、あるいは全国に広がっていたDPE店、写真店を含めた写真業界が受けた打撃が大きかったことは言うまでもありません。
決して、すべての書籍がデジタルだけになるとは思えません。紙の書籍と電子書籍が併存していきます。しかし紙の書籍の市場は確実に侵食され、市場が縮小し、激しい淘汰が起こってきます。問題は、その変化をうまく利用できるかできないかでしょう。

さらに、デジタル化が進めば、つまり誰でも出版できる時代がくれば、きっと新しいプレイヤーが登場してきます。電子出版にチャレンジしようとしているアゴラのように。つねに革新は、古いマーケットのプレイヤーからではなく、周辺から起こってくるものです。古い業界のプレイヤーは、古いパラダイムからなかなか抜け出せないというのが世の常です。
著作権問題も、それをまったく意に介しない著作者がきっとでてきます。そういった新しい人たちが、読者のニーズに素直に応えて、古いパラダイムを塗り替えていくことになるのではないでしょうか。