食料自給率はゼロでもかまわない:安全保障の観点から 站谷幸一

站谷 幸一

 食料自給率はゼロでもかまわない。誤解を恐れずに言えば、安全保障の観点からは、そう断じることが出来る。ここ何日かのアゴラでの議論を拝見していると、安全保障上の理由から食料自給率を一定以上にすべきとの意見が散見される。しかし、そうした議論は日本語が通じる範囲での議論でしかないし、軍事的観点を無視した議論である。もっというならば、太平洋戦争という人類史上極めて特殊な戦争を一般化した議論でしかない。本稿では、軍事的、政治的な観点から見た場合、「シーレーン途絶がありえないこと」を根拠に食料自給率議論の無意味さを主張したい。


シーレーン切断は軍事的、政治的に不可能
1.純軍事的説明
 食料自給率を上昇させるべきという議論の根拠にされるのが、太平洋戦争で発生したようなシーレーン途絶が起きたら・・・という前提である。しかし、そうした現象を起こすのは軍事的・政治的に不可能だ。まず、軍事的理由としては、(1)「現在の船舶の頑健性と対艦兵器の限界」、(2)「峻別することの難しさ」、(3)「海峡は封鎖できない」が挙げられる。
 (1)「現在の船舶の頑健性と対艦兵器の限界」については、2007年のフォーリンアフェアーズ紙にて、ブレア元米太平洋軍司令官が説明を行っている。彼によれば、近代的なタンカーを機能不全にするには対艦ミサイルが10発程度、同時に打ち込む必要があるという。何故ならば、近代的なタンカーは頑強な設計である一方、近代的な対艦ミサイルはレーダーや兵器システムを破壊することを前提にしているので装薬量が少なく、破壊力は少ないからだ。また、魚雷にしても平均的な潜水艦は20本程度しか装備していない。となれば、一隻で10回程度しか攻撃できない計算になる。こうした作戦を長期的に行えば、早晩、魚雷及び対艦ミサイルの備蓄がそこをつくのは明らかである。しかも、何の妨害を受けなくても、他のターゲットは逃げていくので、それを追いかけねばならず、補給の問題があるので、チョークポイントのような交通量の多い数百マイルの海域で潜水艦が作戦を一ヶ月継続しても、ダメージを与えられるのは6隻程度でしかない。一方、近代的なタンカーは鋼鉄製の二重底で、積載量・速度は比べ物にならないほど増大し、隻数も増加している。これでは、第二次大戦のように、海上封鎖するのは米国以外はほぼ不可能だろう。実際、イラン・イラク戦争では両国が輸送路破壊を試みたが失敗したではないか。というのがブレアの主張である。
 彼の説明は、軍事的に見て極めて合理的な説明だろう。現在の艦船攻撃用兵器は、昔の重装甲でシステムが単純な軍艦を撃沈するためではなく、現在の軽装甲でシステムが複雑な軍艦を機能不全に陥らせることを前提としている。しかも、兵器価格は上昇し、かつての大砲のように気軽に何百発も撃てるようなものでもなくなった。一方で、タンカーを中心とする商船は防御力強化に努めてきた。これを傍証するのが1974年、東京湾で衝突炎上して漂流した「第十雄洋丸(43723総トン)」を海自がなかなか撃沈出来なかった事件である。海自は第十雄洋丸を処分するために、72発の5インチ砲を撃ちこみ、対潜哨戒機から9発の150キロ爆弾と9発の127ミリ空対地ロケットを命中させ、その後、潜水艦から二発の魚雷を命中させたが、右に7、8度傾いただけだった。このように、現在の兵装で艦船を撃沈するのはきわめて難しい。撃沈を前提としなくても、戦争を決意した国家が対艦用ミサイル・魚雷を商船攻撃に、どれだけ本格的に振り向けられるか難しく、嫌がらせ程度が限界だろう。このように、「現在の船舶の頑健性と対艦兵器の限界」を考えれば、シーレーンを途絶させることは難しいと言える。
 (2)「峻別することの難しさ」の説明は簡単だ。例えば、中国の原潜がマレーシア沖で日本の輸送船を攻撃しようとするだろう。しかし、原潜の艦長は困るだろう。どれが日本船籍か分からないからだ。ご存知のように、日本は世界各国の船をチャーターしている。その中から日本の船舶だけを見つけ出すのは難しいし、それだけを沈めても大勢には影響しない。だからといって、手当たり次第に攻撃する訳にも行かない。もし、無関係な船舶を撃沈でもしたら、第一次大戦時のドイツのように無用な敵を増やしかねないからだ。
 (3)「海峡は封鎖できない」ことの理由も簡単だ。よく、マラッカ海峡やホルムズ海峡にタンカーが沈められて封鎖されたらどうするのか?という意見があるが、これも頓珍漢な議論でしかない。例えば、マラッカ海峡はもっとも狭い部分で幅が2.8kmである。全長330mの巨大タンカーが何隻か通せんぼしても完全封鎖には程遠い。加えて、もし通れなくなっても、わずかに遠回りすれば良いだけだ。事実、東アフリカで苦しむ船舶は海賊が出没する東アフリカ沖を避けてかなりの遠回りをしていたが、ほとんど商品価格には影響しなかった。少なくとも、日本で物価の急激な上昇や飢饉は発生していない。

2.政治的説明
 次に政治的な観点からシーレーン途絶を引き起こすことが不可能な理由を挙げる。それは、「シーレーン封鎖は貿易立国にとっては自殺行為」 という一点に尽きる。平時に海賊行為や船舶への攻撃を行えば、それは単なる国際法違反の海賊行為でしかない。要するに、平時においてシーパワーを他国に対して行使する余地は無い。一方、戦時に同様の行為を行えばどうなるだろうか。例えば、中台紛争や日中紛争時に中国海軍の潜水艦や水上艦艇が、そうした行為を無差別に行えば、中国の対外交易は途絶する。当たり前だ。そうした国家に近づく外国船はいない。貿易立国とした中国がシーレーン封鎖を行うことは自殺行為に近い。QDR2010で宇宙空間・海洋空間・サイバー空間などのグローバル・コモンズにおける自由を強調した米国が見過ごすことも無い。日米の経済関係が途絶した場合、確実に米国の国益を侵害することになるからだ。仮に中国が米国の妨害を潜り抜けて、行ったとしても、一年以上行うのは難しいだろう。中国経済自体がもたない。

まとめ
 このように軍事的・政治的に見れば、わが国がシーレーン途絶を受ける可能性はきわめて低く、仮に中国が非合理的な行動をし、しかも、それに米国が介入しなかったとしても何ヶ月か程度の備蓄をしておけば事足りるだろう。ただ、まともな考え方が出来るならば、そうなった時に食料を気にしてもしょうがないのだが。政治的・軍事的に敗北した時点で食料の心配をすることは間違っている。そのときにすべきは中国への朝貢でしかない。
 ここまで書けばお分かりだろう。安全保障を理由に食料自給率の心配をするのは間違っていると。我々は全方位から海上封鎖を受けた太平洋戦争を極度に一般化しすぎている。確かに、帝国海軍は海上護衛を軽視したかもしれない。だが、そこに問題があるのではなく、少ない戦力で海上護衛・侵攻作戦・離島防御をしなければならない戦争を引き起こした戦略的なミスに、そもそもの問題があったのだ。また、太平洋戦争型の長期にわたる総力戦が発生する確率はきわめて低い。であるならば、我々の優先課題は、太平洋戦争時のような食料途絶を心配するのではなく、現在の国際環境を維持していくことであると言えよう。だからこそ、私は安全保障的な観点から食料自給率はゼロでもかまわないと主張するのだ。

付記:別に私は中国海軍が脅威で無いとも、海賊は放置すべきだとも、食料自給率をゼロにしようといいたいわけでないことはご理解いただきたい。少なくとも、安全保障を理由に食料自給率を向上させるべきだという原沢・高取・石田・高井各氏のような主張は間違っていると言いたいだけなのです。

付記2:なお、食糧危機自体も疑わしい議論である。これについては東京大学大学院准教授の川島博之先生が「食糧危機」を否定する著作を幾つか出されているので、お勧めする。ただ、私から付け加えるならば、食糧安全保障や食料危機という単語を英語圏で使った場合、文脈としては、アフリカの問題を意味することになる。

コメント

  1. itoabc より:

    国産の米が外国から輸入されている穀物の相場の目安になっていると思われませんか?
    国産の米が生産をやめれば何を基準に相場を決めるのやら想像も出来ません。

  2. mikean より:

    結論は正しいと思います
    でも、軍事的説明には疑問があります

    確かに対艦兵器の威力はおっしゃるとおりですが、
    命中精度は格段に向上しています
    航空機のミサイルや爆弾で商船のブリッジやエンジン、
    魚雷で舵やスクリューを狙い撃つことは可能だと思います
    撃沈しなくても漂泊させれば、目的を達するのでは
    また、ヘリを使って商船を乗っ取ることもできるのではないか

    やはりこれらを防ぐには海軍力が重要で
    日米同盟があり、質量ともにアメリカ海軍が圧倒する限り
    海上交易は盤石だと思います

  3. akiteru2716 より:

    総論として、概ね納得できます。

    アメリカの庇護下でいられる以上は、自給率の概念はほぼ考えなくていいと思います。
    今の環境で、食料途絶が起きるような国家戦略はそれそのものがミスであるという認識はあまりに正しいと思う。

  4. よう より:

    物理的には正しいかも知れませんが、たとえば日本に来ているタンカーの、1隻でも攻撃を受けたら、みんな航行をストップしてしまうような気がしませんか?
    自衛隊が遠くまで行って守ってくれるわけはないし・・・

  5. taya_kouichi より:

    itoabc さん
    コメント有難うございます。
    私の趣旨は?自給率をゼロにしよう!とはいっていない、?安全保障を自給率の理由にする方がいるが、それは間違い、であることをご理解ください。

    mikeanさん
    コメント有難うございます。
    航行不能に出来るじゃないか、というのはわかります。私自身、今度、渡米した際にブレア元司令官か共著のリーバサール教授にインタビューが出来るのなら聞いてみようとは思っております。
    ただ、反論させていただけるならば、やはり機能喪失は難しいでしょう。 イランや中国の兵装にそこまでの命中率があるかどうかは議論の分かれるところでしょうし、艦橋全部は破壊できないでしょう。船体にあたっても原油は爆発しません。また、護衛する艦船の妨害を考えると、相当のミサイルを消費することになります。となると、膨大な商船攻撃を行えば備蓄はあっという間になくなります。近代的タンカーは20ノットで動くので、捕捉も難しいでしょう。

    結論部分は大変同意いたします。だからこそ、米国を何が何でも引きずり込むことが大事かと思います。

  6. taya_kouichi より:

    akiteru2716さん
    お褒めいただき、有難うございます。
    兵器のスペックなどの技術論から戦略を考える人間には辟易します。それらの重要性は否定しませんが、考えるのは最終段階なのですが・・・・

    ようさん
    コメント有難うございます
    どこで、だれが、どういう状況で、というのをされているのかはわかりませんが。。。
    イランイラク戦争時に両国はタンカーを無差別攻撃しましたが、運行は止まりませんでした。公海上で無差別に攻撃したなら国際問題になり、第三国が介入し、安定化させようとします。イランイラクではそうなりました。そんなに船会社は情けなくありません。勿論、国家が補償すべきですが。

    最終的には国家が強制徴用するのもありでしょう。ただ、その前に戦争は終わるとは思いますが・・・少なくとも総力戦のような長期間に渡る、資源地帯から資源を輸入して、生産して戦うような工業化時代のような戦争の可能性は少ないでしょう。

  7. taka_toshi より:

    食糧自給率-食糧安保と食文化 というタイトルで投稿しました高井です。

    站谷氏の投稿を拝見して、「海上封鎖」という言葉の物々しさもその実行力を実態から考えなくては意味がないなと感じました。
    しかしながら、最後に私の名前も引き合いにだされているのをみて、私の投稿は読んでいないなように思いましたがいかがでしょうか。

    私は、海上封鎖にも軍事的脅威についても一切触れていません。あくまで「輸入がし辛くなる」リスクの話をしているに過ぎません。
    今後数年・数十年で、日本以外の国で消費量と購買力が増す事で、結果日本に入る量が減る・価格が高くなる事を安全保障上のリスクと指摘しています。付け加えると、「日本にお金があれば買える・売ってくれる」という指摘も受けますが、「自国民が食えないのに、他国に売るのか!」という事態はどこの国でも起こりえる事だと思います。(今まで100輸入していたものが、例えば50まで減らずとも10・20減るだけでも「困る」と思います)

    「安保」という言葉を素人の私が安易に使った為に誤解を与えたのかなと反省していますが、安全保障を軍事的側面に絞って論じ断言するのも、絞りすぎではないかと感じます。

  8. a_inoue より:

    >「自国民が食えないのに、他国に売るのか!」という事態はどこの国でも起こりえる事だと思います。

     未だかつて一度もそんな事態は起きていません。逆に、自国民を食えない状態で放置してでも、農産物を輸出した事例が数多くあるのです。(中国の大躍進、ソ連の五カ年計画)
     また、食料輸出国が輸出を止めることはできません。経済が崩壊してしまいます。農民が食料を売らずに生活できないのと同じことです。

  9. ますけん より:

    安全保障を自給率の理由にする方がいるが、それは間違い、・・・と理解したつもりです。納得です。

    ミニマム・アクセスを義務だと考えるか否かに似ていると思いました。減反政策も、輸入米がある以上続くと考えている人もいるようですが、米に関する政策と食糧自給率政策は一致していません。
    ミニマム・アクセスについて、どのようにお考えか、お聞きできれば幸いです。

  10. jazzo より:

    生きるための食料を維持したい(=食の安全保障)なら、自給率を上げて、食料のSourceを狭めるよりも、広く分散させた方が、食料途絶の危険性は減る。
    極論として例を挙げると、高自給率の状態で、自国に自然災害や気象異常で生産高が減ってしまえば、飢えるのは間違いない。
    「強い種」というのは、多様性を維持し、頻繁に起こる僅かな生命への影響や、めったに起こらない甚大な被害にも、生存方法を残せる種族である。
    個人の意見としては、「食の安全保障」のための「自給率の向上」は無意味というより、逆行していると考える。

  11. taka_toshi より:

    >a_inoueさん
     どちらも社会主義国だからこそ「放置」が出来たように思います。
     今まで起きたかどうかは、参考にはなっても絶対的な物ではないと思いますが、輸出規制を行った国はいくつもあるようですね。先進国ではありませんが2008年にはインドでも行ったそうです。
     これは印象ですが「高く買ってくれる人がいるから売る」「高くなっても買える」というのはどちら側も、貧困層にしわ寄せが行きがちな政策ではないかなと思いました。
     いずれにしても、まともな民主主義国家なら、食糧が不足して餓死者が出る前に、輸出規制を行うと思います。

    >jazzoさん
     「食糧確保」という点では、jazzoさんの指摘の方が正しいのかもしれませんが、色んな要因を考えると「国内の補給線も太くしておきたい」というのが「自給率向上派」の意見ではないかなと。
     それはさておきですが、自給率upというより自給余力upというのは、自給率upよりは支持を得やすいだろうと思います。具体的には、農業参入・規模の拡大をしやすくする施策です。
     

  12. a_inoue より:

    >いずれにしても、まともな民主主義国家なら

    まともな民主主義国家であればこそ、農民の不満は無視できず、輸出遺制をする場合には、農民に対する国家補償を必要とします。
    その財政負担に耐えられるかどうかが、輸出規制が可能かどうかを決めるのではないでしょうか。1年限りならともかく、継続的に行うことは不可能でしょう。

  13. santos01 より:

    >イランイラク戦争時に両国はタンカーを無差別攻撃しましたが、運行は止まりませんでした

    でも、原油は高騰したのでしょう?
    物理的に糧道を断つことは不可能ということには同意できるけど、著しく価格を高騰させないということも安全保障に含まれるのでは。

    その上で、「危機時の食料高騰のコスト」と「そのために国内農業を維持するコスト」の両方を天秤にかけて論じるべきでは。

    安全保障上のリスクがゼロであるかのように、100かゼロかの議論にしてしまうのは極論ではないか。

  14. a_inoue より:

     イランイラク戦争により、原油価格は2.5倍となり、「第二次石油ショック」があったということになっていますが、日本経済に対する影響はほとんどありませんでした。
     狂乱物価と景気後退が発生した第一次石油ショックも、原油価格の高騰(4倍)自体は大した問題ではなく、人々がパニックになって、およそ原油とは無関係な品物まで買い漁ったこと、石油元売会社による闇カルテルにより、価格操作が行われたこと、田中内閣が、まったく見当はずれの経済政策を行ったことなどが複合して発生したのです。
     輸入に占める割合は、食料よりも原油の方がはるかに多いにもかかわらず、大した影響はなかったのだから、食料価格が数倍になっても、大した問題ではないと思われます。

  15. santos01 より:

    >イランイラク戦争により、原油価格は2.5倍となり、「第二次石油ショック」があったということになっていますが、日本経済に対する影響はほとんどありませんでした

    うーん、日本への物資輸送ルートの一部(ペルシャ湾岸のみ)がターゲットにされた場合と、日本近海のシーレーン全てが脅威にさらされる場合とで影響度が違うと思いますが。

    でも、結論として、確率の低い事態であり、コストと効用のバランスの観点からも(安全保障の観点で自給率を完全にゼロにしてもいいとまではまだ思わないが)、安保を理由に安易に補助金を出したりするのには反対です。

    危機時の安全保障という観点を離れて、将来の日本の産業構造ということを考えれば、たとえ衰退したとしてもとりあえず食べていくことはできるという意味で、やはり農業はあった方がいいと思います。
    これは広い意味で、食糧の安全保障とは言わないでしょうか。
    少し意味が違うけど。