ベン・バーナンキが今年のノーベル経済学賞を受賞しました。彼の学問的な業績は重要ですが、FRB議長としての業績には批判も多い。2010年4月11日の記事の再掲です。
2008年の金融危機については、おびただしい本が出ているが、私の読んだ限りでは、事件の詳細なドキュメントとしては『リーマンショック・コンフィデンシャル』、連邦政府の最高責任者の証言という点では『ポールソン回顧録』がすぐれている。ただ前者は原著で600ページを超え、後者は客観性に欠ける。本書の特徴はFRB(連邦準備制度理事会)を中心にして金融政策との関連で描いた点で、コンパクトに全容を把握するにはいいだろう。
最大の焦点は、FRBが3月にベア=スターンズを救済したのに、それよりはるかに大きなリーマンを破綻させたのはなぜかという点だ。本書によれば、バーナンキFRB議長もポールソン財務長官も最後まで政府による救済の道をさぐったが、政治的な反対が強く断念したという。だからポールソンがリーマン破綻のとき「納税者の金を投入しようと考えたことは一度もない」と断言したのは嘘である。
日本では「日銀はデフレ対策に消極的だが、FRBは大量に通貨を供給してリフレ政策をとった」などという話があるが、本書を読めばそんな話がナンセンスであることがわかる。それは通常の金融政策とは異なる資金繰り支援だった。
FRBは通常のルールを逸脱した通貨供給には消極的で、バランスシートが膨張したのは銀行救済の結果にすぎない。「リフレーション」という言葉は一度も出てこないし、「インフレーション・ターゲティング」という言葉が数回出てくるのは次のような文脈だ:
2008年以前には、バーナンキは非公式のインフレ目標として2%程度を想定していたが、それは金融危機によって止めざるをえなくなった。非常事態にあって、物価上昇率を絶対的な目標とするわけにはいかない。住宅金融市場の崩壊やそれによって生じた金融市場の災害にどう対応すべきかについて、インフレ目標は何のガイドにもならないからだ。
バーナンキは金融システムを守るために流動性を大量に供給したが、「量的緩和」の効果には懐疑的だった。事実、2008年9月から3ヶ月間でFRBへの銀行の準備預金は100億ドルから8000億ドルに激増する一方、銀行貸し出しは減少した。
このためFRBは債券などを直接購入する「信用緩和」を行なったが、このように裁量的な「金融的産業政策」にはFOMC(金融決定会合)で反対が強く、効果も限定的だった。
政策は結果がすべてだから、金融危機を引き起こしたバーナンキが正しくなかったことは明らかだ。特にベアの事件後の非常事態についての認識が甘く、市場が破綻リスクを織り込んだと信じる一方、危機管理の必要性について議会を説得できなかった。
危機の拡大を防ぐ点ではFRBは最善を尽くしたが、準備不足のために対応が場当たり的で、過大な資本を特定の銀行(特にシティグループ)に注入したことは大きな禍根を残した、と著者は批判している。
コメント
訳本の唯一の傷は、解説(若田部昌澄)ですね。原書で数ページしかふれてないインフレ目標のことばかり延々と書いて、なんの関係もない今年のIMFレポートまで引っ張り出している。なんとかして「バーナンキはリフレ論者だ」ということにしたいのかもしれないけど、残念ながら本文に書いてある話は逆。
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