今年2月初めの日経ビジネス・ウェブに「ビッグデータ分析で、中国政府による検閲の中身が明らかに ゲイリー・キング米ハーバード大学教授に聞く」という記事が載って、非常に興味深く読んだ。
ちなみに、この記事の基になったキング教授の論文 “How Censorship in China Allows Government Criticism but Silences Collective Expression”(原載:American Political Science Review)はこれ(pdf)。
計量政治学者キング教授の主張をまとめると、次のようになる。
(1)中国のネット検閲は、少なくとも3つの方法で行われている。
第1:GFW(Great Fire Wall:長城ウォール)
中国国内から外国ウェブへのアクセスをブロックする仕組み
第2:キーワード・ブロッキング
禁止された語句を用いたネットへの投稿をブロックする仕組み
第3:人力削除
当局(及びその意向を体したインターネット業者)が問題のある投稿を人力で削除する仕組み。第1及び第2の検閲は、技術的に迂回することが容易なため、最後の関門として設けられている。このために、中国のウェブ業者は、会社によっては千名に上る専任要員を雇って働かせているほか、2~5万人のネット警察(網警)及びネットモニター(網管)、さらには各級政府が金を払って養っている25~30万人の「五毛党」がこれらの業務に従事していると推定される。
(2)第1、第2のブロックの運営方法の全容を外部から知ることは難しいが、第3の人力削除については、機械的手法を使って検閲者よりも早く広範囲に中国のウェブサイトを巡回、時間をおいて改めて巡回することにより、何が削除されたかを差分から抽出することができる。教授たちは中国ウェブを高速で巡回し、ビッグデータの手法を用いて、当局と業者が何をクライテリア(物差し)として削除を行っているかを解析した。
(3)その結果、削除は「大衆の社会的な繋がりを断つことによって(clipping social ties)、大衆による集団行動(collective action)の可能性を減少させること(それが発生中のものか予期されるだけかを問わない)ために行われている(theory of collective action potential)」という結果が浮かび上がってきた。従来、検閲の目的は、政府や共産党に対する批判を抑圧することにあるとの見方(state critique theory)が支配的であったが、解析の結果は、この見方を支持しなかった。
(4)検閲は、基本的に集団行動を誘発しそうな情報の拡散を制限するために行われており、それは、情報が政府や共産党を支持するものか批判するものかを問わない。このことは、政府が政府に批判的な言論というより集団行動の可能性を秘めた投稿を制限することが権力維持のために重要であると考えていることを示す。
この結果はたしかに意表を突くものがあったが、同時に、私が以前から感じていたことに、一つの論拠を与えてくれた。
第一は、日本のみならず世界中で、まるで 「常識」 のように唱えられる 「中国政府と共産党は、国内の矛盾から国民の目を逸らすために、ナショナリズムや『反日』を利用する」 という見方についてだ。たしかに、中国共産党が統治の正統性を補強するために「抗日戦争」を建国神話のように用いているという点ではそのとおりだが、この説は、ときに 「国民の目を国内の失政からそらすために、意図的に対外緊張を作り出しかねない」 という意味で語られ、世間も、まるで 「常識」 のようにそれを受け取っている。
私はかねて、執行部がそういう路線を自ら選び取る可能性は低いと感じていた。この調査結果を見ても、「当局」 は大衆が群れて不測の事態が起きるのを恐れていることが明らかだ。そんな政府に、大衆がいちばん興奮しやすいナショナリズムを煽動する 「度胸」 があるのだろうか。中国政府や共産党は、我々が考えるより、ずっと善人だと言いたい訳ではない。いまの中国は、我々が考えるより、ずっと 「脆い」 国だと言いたいのである。
そう述べると、「じゃあ、なぜ尖閣 『国有化』 のときのような騒動が起きるのだ?」という疑問が呈されるだろう。
これに対する私の見方は次のとおりだ。
中国は 「一枚岩」 どころか、各種の勢力・利権集団の共棲体のような組織だ。共産党の体制内にも、反日・ナショナリズムを煽動・利用する勢力がいることは疑いがない。ただ、彼らは国家主席や総理といった 「執行部」 以外の勢力であり、執行部に己の主張を認めさせ、ときには争点と無関係な政策やら人事やらの要求を呑ませるための 「揺さぶり」 としてナショナリズムや 「反日」 を利用するのだということだ。
もう少し補足しよう。
「安定第一」の執行部が反日・ナショナリズムを煽動する可能性は低いと述べたが、執行部側が反日・ナショナリズムに乗る場合もある。そうしないと、自らの政治的権威や指導力が危うくなるくらい追い詰められた場合だ。
まさに2012年の尖閣 「国有化」 のときの胡錦濤政権がそういう状況だった。ただ、対日強硬派側に乗った結果、事態はあの大騒擾事件に発展し、中国の対外イメージがまた大きく傷ついた。執行部の主導権を守るために余儀なくしたこととはいえ、「大衆を煽動して興奮させると、碌なことは無い」 という教訓がまた付け加わった。
衆知のように、尖閣 「国有化」 のとき、野田政権は 「地権者の土地を東京都 (石原知事) に買わせてはならない」 という方針だったし、中国側にも内密にその考えを伝えていた。そして中国側もあるときまでは 「石原知事に買わせてはならない」 という点に理解を示しつつも、「(日本政府が土地を取得するとしたら) 最低かくかくしかじかの条件が満たされないと、中国として承服できない」 というやりとりをしていたと伝えられる。いわば 「条件闘争」 である。しかし、8月のある頃を過ぎて、「日本政府の土地取得はぜったい認められない」 という態度に突然変わった。
東大の川島真准教授は、「(現任の国家指導者だけでなく元老達も参集する) 夏の 『北戴河』 会議で、何かがあったのだろう」 と言っておられる。私もそうだと思う。当時は薄煕来が失脚し、薄やその黒幕の処分を巡って熾烈な 「権力闘争」 が繰り広げられ、北京ではにわかに信じがたい奇怪な風聞の数々が飛び交っていた時期だった。第18期の党人事どころか、大物政治家の文字通りのサバイバル闘争が繰り広げられているさなか、日本政府が採ろうとしていた措置が格好の争点として利用されたのだろう。そして、引退間近の胡錦濤政権は、国内の主要な闘争に勝利するためにも、対日関係安定にかかずらって、党内の強硬意見に抗する余裕はなかったのだと思う。
補足したい2点目は、「執行部」以外の勢力が、執行部に己の主張を認めさせるような政治過程は、どのような舞台で行われるのかだ。上述の「北戴河」は重要な舞台の一つだが、舞台はそれだけではないだろう。
最近はネットが発達したおかげで、これまで外国人も普通の中国人も知り得なかった 「党内」 の動きの一端が覗けるようになってきた。とくに民主派や改革派が開く会合の様子は、彼らが外部への情報開示に前向きなせいで、よくネットに載るようになってきた。
民主派や改革派がそういう会合を開くということは、保守派や既得権益派も同様に会合を開いていると言うことだが、彼らは秘密主義的で、とくに外国人に情報が漏れてくることはまずない。
そういう憲法・法律にも党章にも規定の無い 「党内生活」 の場こそが中国共産党の 「裏」 の政治過程の舞台であり、『北戴河』 は各勢力のトップが一同に会する政治過程の頂点に位置するのだと思う。
この政治過程がブラック・ボックスなせいで、執行部側が反日・ナショナリズムの揺さぶりに乗るか否かは、予想が難しい。しかし、だからと言って、「中国政府と共産党は、国内の矛盾から国民の目を逸らすために、ナショナリズムや 「反日」 を利用する」 と単純化した見方を採ることは誤りだと思う。
こういう見方はほんとうによく語られるが、共産党をいわば 「単一人格」 で 「擬人化」 している憾みがある。実際の政治プロセスは、もっといろんなアクターが入り乱れる複雑な過程で、この 「擬人化モデル」 では、中国の出方を正確に予測することはできない。
尖閣問題でも、日本では、習近平政権が 「あわよくば島を手に入れるべく、機会を虎視眈々と狙っている」 と見る人が多いが、私は近著でも述べたとおり、いま成長行き詰まりという深刻な事態に遭遇しているからこそ、政権はそういう局面を望んではいないはずだと考える (仮に習近平氏にホンネを質す機会があれば、きっと 「そんな火遊びをしている余裕はない!」 と答えるはずだ)。
だとすれば、日本が分析・情報収集しておくべきことは、本来そういう考え (のはず) の習近平政権が2012年の胡錦濤政権のように、突如として煽動・揺さぶり側の要求に乗るとしたら、「どういう条件の下でか?」 のはずだ。最近でこそ言われなくなったが、尖閣に日本側が自衛隊を進駐させるとか、そこまで行かなくても、独断で船だまりとか恒久施設を建設するとかの動きに出た場合は、きっとその 「条件が備わる」 だろう。そのとき弱腰な態度を採れば、きっと 「党内生活」 の場で 「売国奴」 の罵りを受けて、政権が主導権を喪失するからだ。