ウィ―ン市は特別州で東京都と同じ23区から構成されている。中心は1区でそこから離れていくと2区、3区、そして最も郊外の区が23区となる。日本の外交官や企業関係者は18区、19区の静かな居住区に住んでいる。当方は16区だ。オッタクリングでアルト・オッタリングは昔の風情を残す地域だったが、現在のオッタリングは労働者の町だ。
当方は朝が早いので労働者の町の早朝風景に接する機会がある。冬は厚く重いマントを着て足早に職場に向かう労働者の姿が5時前にはみられる。市中心地と連結している地下鉄の始発電車は午前4時55分だ。5分から7分間の間隔で電車が出る
まだ多くの市民が眠っている時に職場に向かう労働者は、病院の看護関係者、ショッピングセンター関係者、新聞配達人などが多い。夏は太陽が既に昇っているから外は明るいが、冬は暗い中を駅まで襟をたて、背中を丸めながら早足で歩く。タバコの煙すら温かさを覚えるほど真冬は寒い。
「労働者」という言葉も時代の流れにつれ、その意味する内容が変わってきた。労働者の味方と思われてきたカール・マルクス(1818~1883年)が実は労働者を軽蔑していたことがフリードリヒ・エンゲルス宛の書簡で明らかになった。彼は労働を嫌い、もっぱら親族の遺産目当てで生きてきた知識人だった。米のウォール街で起きた「われわれは99%」運動はグローバリゼーションを批判し、資本主義社会の貧富の格差を糾弾したが、その運動の背後には別の資本家がいたことが判明して、運動も自然消滅していった感じだ(「マルクスは『労働者』をバカにした!」2017年5月17日参考)。
21世紀に入って人工知能(AI)が台頭し、簡易な労働ばかりか、看護や事務仕事も奪っていく勢いを示している。近い将来、コンピューター部門もAIに占領され、真っ先に科学者、IT技師たちが職場から追放されるかもしれない。
21世紀以降も生き残れる職場はデジタル化できない世界に生きている芸術家、音楽家、スポーツマンかもしれない。文科系職場が残り、理工系が真っ先にAIにその職場を奪われるかもしれない。
人類始祖アダムとエバが神の戒めを破って以来、汗を流しながら日々の糧を得なければならなくなった。そこから「労働」が始まったが、21世紀になって、汗を流す職場は確実に少なくなってきた。超楽天的に表現すれば、人類は汗を流す「労働」から解放される日が近いのではないか。
労働に慣れきった人間は「働かなくしてどうして生きていけるか」といった不安が払しょくできないが、「労働」という概念が変わってきたと受け止めれば理解できるはずだ。神の戒めを破って失楽園の世界で生きてきた人類が本来のエデンの園に帰ることが出来るとすれば、文字通り、よき知らせだ。神は自身の息子、娘が生涯日々の糧を得るために汗を流すことを願われ人類を創造されたとは考えられないからだ。
真冬の早朝、マントを着て駅まで早足で行く労働者の姿も消えるだろう。しかし、人は生きがいなくして生きていけない存在だから、その「労働フリーの日」が来るまでに人生の目的を見つけ出さなければならない。
「労働」は苦痛でも不本意なものでもなく、生きがいと密接に繋がったものとなる日が必ず到来するだろう。その時、「労働」は神の祝福以外のなにものでもなくなるはずだ。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年7月27日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。