★★★★☆(評者)池田信夫
田中角栄の昭和 (朝日新書)
著者:保阪 正康
販売元:朝日新聞出版
発売日:2010-07-13
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田中角栄は、よくも悪くも日本の高度成長期を象徴する政治家だった。彼の特徴は欲望に忠実に生き、その延長上で政治も「市場原理」で動かしたことにあった。このため彼は「金権政治家」として指弾されるが、彼が金の力だけでのしあがったと考えるのは当を得ていない。本書も指摘するように、田中は日本の庶民そのものであり、ムラ的な人間関係を何よりも大事にする「日本的共同体」の体現者だった。
田中は政治が理念で動くものではなく、人々の欲望を充足することが何より重要だと知っており、そのために官僚や法律を最大限に利用した。そして高度成長期の日本は、一面で田中のような「即断即決」型のリーダーを求めていた。たとえば彼が39歳で岸内閣の郵政相になったとき、官僚の反対を押し切って全国40以上のテレビ局に一挙に免許をおろしたことは、家電製品の普及によって日本が成長するきっかけになった。
ところが田中が首相になった1972年は、不幸なことに高度成長が終わる屈折点の直前だった。高度成長期の延長で、地方に公共事業をばらまいて「日本列島全体を都市化する」という田中のビジョンは『日本列島改造論』としてまとめられたが、そのインフレ政策は石油危機に直撃されて「狂乱物価」を生んでしまう。
そして彼が「田中金脈事件」で失脚し、ロッキード事件で逮捕されると、自民党も霞ヶ関も彼を見捨てた。ロッキード事件の本筋は、明らかに防衛庁のP3Cにからむ児玉=中曽根ルートだったが、検察はそれを追及せず、民間航空機の丸紅ルートと全日空ルートだけを立件した。本書もいうように、田中はしょせん日本社会の「亜流」であり、日米同盟を守るためのスケープゴートになったのだ。
しかし彼の築き上げた「田中レジーム」ともいうべき構造は、今も日本社会に深く根づいている。列島改造論の思想は「国土の均衡ある発展」という形で全国総合開発計画に受け継がれ、都市から税金を吸い上げて地方に分配することが自民党の集票基盤となった。民主党政権は、それを老人への再分配に置き換えただけで、分配の政治という本質は変わらない。
田中は「カリスマ型」の指導者と見られがちだが、彼は政治理念や国家像を語ったことがほとんどなく、官僚機構をあやつって利権をあさる「調整型」の指導者だった。日本社会にエネルギーがあふれていた時代にはそれでよかったが、分配の原資が枯渇すると、路線転換するための理念が必要になる。しかし田中の構築した分配システムの呪縛は強く、民主党もそれを逃れることができない。日本人の本音を知り尽くした田中を超える天才的な政治家が現れないかぎり、それは不可能なのかもしれない。