V・フランクルが問う「生きる意味」

生きていると、誰でも一度ぐらいは「何のために生きているのか」と思うことがある。生きている目的が分からなくなるのだ。ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)は人生の目的を失った人々に「どの人生にも意味と価値がある」と指摘し、悩める魂に生きる力を与える精神分析学を開拓していった。そのフランクルが亡くなって今月2日で20年が過ぎた。少し、報告が遅れたが書く。

▲1950年代のヴィクトール・フランクル(ウィキぺディアから)

▲1950年代のヴィクトール・フランクル(ウィキぺディアから)

オーストリアの精神科医、心理学者、ヴィクトール・フランクルは1905年、ウィーンで生まれた。ジークムンド・フロイト(1856~1939年)、アルフレッド・アドラー(1870~1937年)に次いで“第3ウィーン学派”と呼ばれた。ナチスの強制収容所の体験をもとに書いた著書「夜と霧」は日本を含む世界50カ国以上で翻訳され、世界的ベストセラーとなった。

フランクルの独自の実存的心理分析( Existential Analysis )に基づく「ロゴセラピー」は従来の精神分析とは大きく異なっている。フロイトの無意識の世界、性衝動などの精神分析、アドラーの「個人心理学」の世界から決別し、人間の実存に基づく分析だ。
物質世界の恩恵を受けながら心の渇きを感じて悩んでいる現代人に、フランクルの心理分析は大きな救いをもたらしている。

ロゴセラピー( Logotherapy ) は、人が自身の生の目的を発見することで心の悩みを解決するという心理療法だ。フランクルは、「誰でも人は生きる目的を求めている。心の病はそれが見つからないことから誘発されてくる」と分析している。強制収容所で両親、兄弟、最初の妻を失ったフランクルだが、その人生観は非常に前向きだ。「それでも人生にイエスと言う」という彼の生き方に接した多くの人々が感動を覚える所以だ。

フランクルは「人間は価値を志向する存在」と見ている。どの人間にも意味があり、価値が付与されているはずという確信だ。それを探し求めていくことで、生きる力や目的を失った多くの悩む魂が再び生き返るわけだ。

その心理学者の功績と生き方を紹介した博物館が2015年3月26日、フランクルが戦後長く住んでいたウィーンの住居でオープンされた時、このコラム欄でフランクルの業績を紹介する記事を書いた。

当方は2人のユダヤ人と会いたかった。両者とも既に亡くなった。一人はナチス・ハンターと呼ばれてきたサイモン・ヴィ―ゼンタールだ。もう一人はフランクルだった。幸い、ヴィーゼンタールとは生前中に2度、会見できた。その強い個性と生き方に強い感銘を受けた思い出がある。フランクル氏とはとうとう会見できずに、彼は亡くなった。当方は今なお、無念の思いを持っている。

ヴィーゼンタール氏は当方とのインタビューの中で、「自分より多くの名誉博士号を得た人物はフランクルしかいないよ」と述べた。冗談のように聞こえたが、ヴィーゼンタール氏は真剣だった。ちなみに、フランクル氏は生前、29の名誉博士号を得ている。ヴィーゼンタール氏の事務所の壁には多数の名誉博士号が飾ってあったが、フランクル氏の数には及ばなかったわけだ

フランクルは晩年、失明したが、彼の病室を訪れた友人に「僕はこれまで数多くの美しい風景や場所を見てきたし、多くの人々と出会ってきた。その上、孫たちもみた。それらの思い出は僕の心の中に焼き付いているよ」と述べ、失明で絶望しているのではないかと考えた友人を驚かしたという。その友人は後日、「彼が自身の心理療法を実践し、厳しい状況を克服している姿にはびっくりした」と述べている。

日本でアドラーの心理学が人気を呼んでいると聞くが、フランクルが創設した心理分析は乾いた魂を癒す力を有していることは間違いない。現代人が最も今、必要としている内容だ。どの人生にも「意味」がある。それを見出す努力を忘れてはならない、と諭しているのだ。


編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2017年9月10日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。