「癒し」を求める現代の男たち --- 長谷川 良

アゴラ編集部

ビジネスホテルのサービス担当員の話によると、お客のチェック・アウト後、ベットや室内を片づけていると、動物のぬいぐるみが見つかることが多いという。客の忘れ物だが、小さな子連れの家族ではなく、大人の男性客のケースが増えてきたというのだ。40、50歳の成人男性が宿泊し、カバンからぬいぐるみを取り出し、ホテルの部屋に置く。そしてチェックアウトの時忘れる─といった状況だろう。

その話について、1人の社会学者が「年齢に関係なく、現代人は癒しを求めている。成人の男性が旅行に出かける時、子供のぬいぐるみを旅行鞄に詰め込む。そして宿泊するホテルの部屋に飾るのは、家にいる雰囲気を作り出そうとするからだろう」と分析する。


現代の資本主義社会はワイルドな世界だ。ほんの少数が勝利者となり、大多数が敗北者となる競争社会だ。ストレスも多く、心も疲れる。だから疲れた心を溶かしてくれる癒しが必要となる。その癒しを与えてくれるものは人それぞれ違う。ぬいぐるみもその一つだろう。おいしい食事、映画の観賞もそうかもしれない。当方の知り合いの娘さんは英国のシンガーソングライターのジェイク・バグ(Jake Bugg)の歌が好きだ。「彼の音楽を聴くと心が落ち着く」という。“カントリーソング”や“ブロークン”を聞くと、職場の嫌なことも忘れ、癒されるというのだ。

ジェイク・バグは自作した最初の曲の感想を聞きたくて、お母さんの前で歌ってみた。お母さんは息子の曲を聞きながら涙を流した……というエピソードが伝わっている。20歳の若者が作った曲とは思えない、聞く者の心を癒す温かみを持っている。“現代のビートルズ”と呼ばれている英ロックバンドのオアシス(Oasis)のリーダーだったノエル・ギャラガーがバグの音楽に触れて「未来の音楽を聴いた」と述べたという。換言すれば、バグの音楽は 癒しの音楽といえるだろう。

当方はこの欄で「アヴェ・マリアの癒し」というコラムを書いたことがある。

イタリアの世界的テノール歌手、故ルチアーノ・パヴァロッティさんが歌うフランツ・シューベルトの「アヴェ・マリア」を繰り返し聴いた。聖母マリアを慕う切ないまでの心情が当方にも伝わってきた。

当方はキリスト教の「聖母マリア信仰」に対し、「俗信仰」と一蹴し、カトリック教会の祝日「聖母マリアの被昇天」に対しても軽視してきた面があった。しかし、パヴァロッティさんの「アヴェ・マリア」を聞いて、「聖母マリアが素晴らしい女性であったかどうかは本来どうでもいいことだ」と思うようになった。明確な点は、欧州キリスト教会では「聖母マリア」を必要としたのだ。それが実存か、そうでないかはもはや大きな問題ではない。重要なことは、多くのキリスト者たちは日々の苦しい生活を乗り越えていくために「聖母マリアのような存在」を必要とした、という事実だろう。狩の社会、弱肉強食の社会で生きる人間にとって、その痛み、悲しみを慰労してくれる存在が不可欠だ。「こうあるべきだ」「こうすべきだ」といった命令する神ではない。人間の弱さを許し、抱擁してくれる存在だ。それがキリスト教社会では「聖母マリア」だった。「聖母マリアの存在」がなければ、キリスト教は世界宗教へ発展できなかったのではないか。

男たちばかりではない。歴史は癒しを求めてきた。そこに登場してきたのが聖母マリアであり、救い主イエスだったのだろう。そして21世紀の今日、2000年前と同様、人は癒しを求めているのだ。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2014年9月1日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。