池田さんとの共著の『なぜ世界は不況に陥ったのか』で紹介している経済理論を「最新」のものだと勘違いしている人がいるようなので、ちょっと恥ずかしいので正しておきたいと思います。関連して、新たに生まれている迷信についても、言及しておくことにします。
本の中で述べている経済学的な理論のうち、複数均衡だとか、コーディネーションの失敗、政策の時間整合性とかいったミクロ経済学的な概念は、おおよそ15~20年前から一般化しているものです。情報の非対称性にいたっては、引用している「レモン問題」を論じたアカロフの論文は1970年に発表されていますから、40年近く前から使われるようになった概念です。ミクロ経済学については、本のp.162でもその趣旨を記していますが、「ほぼすべての分野における経済理論のゲーム理論による書き換え」が1980年代に起こります。この点については、もう15年前の本ですが、神取道宏「ゲーム理論による経済学の静かな革命」岩井克人・伊藤元重編『現代の経済理論』東京大学出版会、1994年を参照して下さい。
マクロ経済学については、本の中でもかなり説明していますが、1970年代の終わりくらいからある種の分裂状態になります。この過程でロバート・ルーカスは、ミクロ経済学と同じ原理(最適化行動と均衡分析)でマクロ経済学を再構築しようとします。この試みはある意味では成功して、現在のマクロ経済学の標準はDSGE(Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルということになっています。2000年を迎える頃には、分裂は克服されて統一的なフレームが共有されるようになっています。このことは、論争がなくなったという意味ではなく、共通の土台の上で論争が行われるようになったという意味です。もっとも、経済危機は経済学を鍛え、進化させる契機になるものですから、今後もDSGEモデルが標準の座を占め続けるとは限りません。
問題は、ここ30年間くらいのこうした経済学の動向が日本においては一般にはほとんど知られておらず、1960年代時点でのケインズ経済学より以降の経済学の議論は、まだ評価も定まっていない最新理論であるかのように思っている人がいるということでしょう。どうも日本における経済学教育には大きな問題があるようで、私も深刻に反省しなければ行けないようです。
関連して、新たな迷信も生まれてきているようです。それは、世界中の首脳たちが「総ケインジアン」と化している、いまやケインズ的な不況対策が欧米でも一様に支持されるようになっているというものです。そんなことはありません。
池田さんは、ブログの記事の中で、
「ケインズが復活した」という表現は政治的には正しいが、学問的には正しくない。この30年間に経済学は進歩し、政府の裁量的な介入は有害無益だというコンセンサスが世界的に成立しているのだ。
と書かれています。もちろん学問的に正しくないのは書かれている通りですが、「政治的には正しい」と簡単に言わなくてもいいと考えます。政治的にも、みながケインジアンかというと、違うからです。
先日の第2回目のG20で、独仏は、米国の国際的に共同して財政出動を拡大すべきだという提案に反対しました(日本は、無条件に米国に同調しましたが...)。日本の新聞では、独仏は財政悪化を懸念したといった程度の報道しかしていませんが、サミットに先立ってFTに掲載されたメルケル独首相のインタビューを読むときわめて真っ当な認識が背後にあると思われます(サルコジはどうだか分かりませんが...)。すなわち、彼女は次のように述べています。
This crisis did not come about because we issued too little money but because we created economic growth with too much money, and it was not sustainable growth, If we want to learn from that, the answer is not to repeat the mistakes of the past.
要するに、ケインズ的な需要喚起策をとっても持続可能な成長(sustainable growth)は実現できないといっているのです。この30年間に進歩した政治家も(日本の外には)いるということです。