本日マスメディアの方と話した抽象的なお話。
ネットは珍獣が主役の世界である。世の中のメインストリームに上手くはまれなかった人達、即ち「珍獣」が、ネットでは逆に主役になる。珍獣は世の中から省かれているという思いが強いが一方で生きていかなければならないので、世の中がなぜこうなっているのか、なぜ自分はそこにはまれなかったのか、必死で考えて、自分の居場所を作るなり正当化するなり他人のせいにするなり叫び声を上げ、それをブログなりニコニコ動画なりでコンテンツ化して発信する。
世界に上手くはまってリアルが充実している人、即ち「リア充」、はそんな暇があったら現実を楽しむので、必然的にネットは珍獣の叫びでいっぱいになる。ネットは珍獣の世界だ。なんとなく珍獣の叫びを型にはめて3つに分けてみると、珍獣の叫びのうち一番多いのはメインストリームの世界を糾弾する「怨嗟」で、次に多いのが満たされない自分を無理に肯定して内輪の世界で傷をなめ合う「集団自慰行為」、最も少ないのはマイノリティを抜け出すべくメインストリームにアプローチを仕掛ける「正統化」、といったところだろう。言うまでもなく怨嗟の声が多いのはそれが簡単だからだ。
それぞれ例を挙げれば在特会や竹田某のようなネトウヨ・嫌韓的なものは「怨嗟」を「怨嗟」のまま垂れ流しており、「ネットで人とは違う独自の道を歩むオレかっこいい」というようなイケハヤ師的なものは「集団自慰行為」であるし、藤沢数希なりちきりんなりのように一見トンデモと思えるような主張を丁寧に理論武装してマスに挑むような試みは「正統化」というようなところかなと思っている。ぞれぞれの論者を、ルサンチMAN、オナニスト、グル、とでもしておこう。
一方でマスメディアはメインストリームの世界で常に珍獣達に批判される運命にあるわけで、放っておけば「ルサンチMAN」達が珍獣の世界で跋扈することになり、ネットは怨嗟の声で満ちていく。これはメインストリームとマイノリティとの対立をことさらに深めるだけで好ましい状況とは言えないのだが、とはいえ怨嗟の声が広がるにはそれなりに現実社会の方にも問題があるわけで、マスメディアには問題を解決するために怨嗟の声を昇華して正統化するグルを発掘して怨嗟を発展的な力に変えていく役割が求められる。そのためにはネットのグル達をメインストリームに昇華させていくようなメディアが今の時代重要になってくる。そういう意味じゃネットとマスメディアは本来対立する構造ではなくて補完する構造にあるはずだ。
実態を見るとBlogosなりアゴラなりgunosyなりはてブなりのキュレーションメディアはネットからグルを救い上げる第一ステップで、東京MXやテレ東などの地方局がそこからグルをさらに選別し、最終的にキー局がそうして浮上したグルをさらにレールに乗せる、というような流れが本来望まれるわけだが、朝日新聞やテレ朝に典型的に見られるようにキー局の報道が思想とコネで凝り固まっててその繋ぎが上手く行かないので、珍獣の世界のネットとメインストリームのマスメディアの対立構造が上手くうまらないんじゃないか、と思っている。
かつてお笑いの世界でお笑いオンエアバトルやM-1から新しいスターが誕生したように、報道の世界でもそういう仕組みが必要なんじゃないだろうか、というように個人的には思っている。
オナニストは勝手にオナニーさせておけば良い。それはそれで端から見ている分には滑稽で結構面白い。即ちイケハヤ師は勝手にオナニーを続けてればよいと思う。
ではでは今回はこの辺で。
編集部より:このブログは「宇佐美典也のブログ」2014年10月8日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方は宇佐美典也のブログをご覧ください。