日経電子版にさわかみ投信の澤上篤人代表が「15年を揺るがす『国債バブル崩壊』の足音」という寄稿を寄せています。澤上氏のブログには長年目を通しており、癖があるものの基調には同調できたのですが、この寄稿には大きな違和感を持ちました。
それはこのくだりです。
「黒田日銀総裁の唱える2%インフレ目標が現実味を帯びてくる中で、長期金利だけが10年物国債で0.5%の水準に留まるなんて、どう考えてもあり得ない。必ずや2%はおろか、3%から4%近くへまで急上昇しよう。そうなると、日本の金利は1992年9月以来、22年ぶりの高水準に入っていくわけで、経済活動のあらゆる分野で相当な混乱をきたすに違いない。何しろ、ゼロ金利状態になってからが長い。金利が上昇することが、どんなものか想像できない人たちが一杯いる。右往左往の大混乱となろう。」
氏の寄稿の国債バブル崩壊の最前提がこの一節からスタートするのですが、この与件がしっくりしないため、全体のトーンの信ぴょう性が落ちてしまっています。それは正に「黒田日銀総裁の唱える2%インフレ目標が現実味を帯びてくる」というところに集約できるでしょう。
2%のインフレについて聞けばいくつかの答えに集約されます。
1. そんな水準になるファンダメンタルズには当面ない
2. 金融政策の効果によりその2%のインフレを健全に達成する
3. 異次元緩和によるインフレは円安の副作用を生み、輸入物価の上昇から招くスタグフレーションとなる
個人的には1番のファンダメンタルズを考えています。仮に識者の多くが予想している石油価格の遠くない時期の回復があった場合、インフレ圧力はかかりますが、その分消費が低迷しますので需要減退を引き起こし、結局、2%のインフレは遠いものと考えています。
では国債のバブル崩壊でありますが、これを私も否定はしませんが、澤上氏とは違う理由ではないかと思っています。
先ず、10年物国債の利回りが持つ意味合いとは国家が健全であり、国債市場が平常時である限りにおいて10年間の国家の成長期待の尺度である、と言えます。つまり、年2%のインフレに1-2%のリターン、つまり3-4%程度であることが健全の証であると考えています。
ところが日本の国債市場においては民主党時代に株価の下落に伴い、リスクオフの姿勢が強まり、銀行や生保は必死になって国債を通じた薄利多売の利益確保に走ったわけです。特に地銀においてはその勢いは凄まじかったのです。この時期が国債が不健全に買われた第一期と思われます。
ではなぜ、銀行は国債取引に傾注したかといえば、健全な貸し先がなかったからであります。企業は手持ち資金を分厚くし、設備投資は減っていました。(個人的には企業の銀行への不信感が背景にあるとは思いますが。)そこでメガバンクは海外にその貸出先を求めていきます。が、地銀の様にその力がない所はリスクが少なそうに見える国債取引から抜け出せなかったのです。
これは国債市場が本来の国家の信頼度への投資から地球儀ベースでみる金融市場の一つの商品という感覚に変化してきたともいえないでしょうか? つまり、国債の位置づけが時代と共に変貌したのです。グリーンスパン元FRB議長のころから始まった不可解な国債の動きが発端だったのではないでしょうか?
さて、安倍政権になってから「バズーカ黒田」がその威力を発揮します。つまり銀行などがそれまで持つ国債をバキュームカーのごとく、どんどん買い取ったのです。いわゆる国債バブル第二期です。銀行はそれまでの国債依存型の利益体質に不本意であり、且つ、囁かれていた国債バブルの芽に若干の不安感を覚えていましたから日銀は正に救世主であったわけです。
今、日銀は新発国債の7割を購入しています。それは市場の妥当性に拘わらず機械的に購入されていきます。これが10年物国債利回り0.2%という結果であります。
国債バブル崩壊の可能性があるとすればこの量的緩和を止める時であります。
市場には日米欧が行った、あるいは行いつつある量的緩和で資金が溢れている半面、実需が十分にない状態が続きます。よって、この溢れた資金を吸収しているのが国債市場であるとすればこのお金がどこかに消え去れない限りバブルはつぶせないのであります。どう吸い上げるか、は国債市場か株式市場が急速な逆回転する時でありましょう。
私はこれを金融緩和による「うわずみ」と考えています。沈殿した部分が実物経済、上の部分が金融緩和でできた透明の液体であります。本来うわずみは捨てても実体経済に影響しない筈なのに沈殿具合が悪いのでうわずみには実物経済が混じりこんでおり、結果として世界的に非常に不和になりやすいという事でしょうか。
では日銀にそれができるのか、でありますが、アメリカができたから日本ができるというほど簡単ではありません。先方は基軸通貨。日本円は世界で流通数%程度の通貨です。アメリカの様にプラグアウトが1年程度ではできないでしょう。多分、数年、経済状況を見ながらゆっくり慎重に抜いていくことになります。その際、誰が国債の担い手になるか、であります。プラグをゆっくり抜くことが分かっている市場は当然弱含み。それでも国債が欲しくなると時とは皮肉にもリスクオフで不景気な時、という事になってしまいます。まさに二律背反であります。
量的緩和のリスクとはまさにここに存在します。澤上氏は非常に前向きに国債市場のリスクを提示し、株式市場の健全さを説いています。さすが投信会社の代表であります。しかし、それがポジショントークに見えるのはやはり、そんなに都合のよいストーリーはない、という事だからでしょう。
今日はこのぐらいにしておきましょう。
編集部より:この記事は岡本裕明氏のブログ「外から見る日本、見られる日本人」2015年1月27日の記事より転載させていただきました。快く転載を許可してくださった岡本氏に感謝いたします。オリジナル原稿を読みたい方は外から見る日本、見られる日本人をご覧ください。