そもそも「制服」は何のためにあるのか?

アルマーニ製の標準服(中央区教委の報道各社への提供写真より引用:編集部)

公立小学校で、アルマーニがデザインした高価な制服が採用されたことが話題になっています。これを機に、「制服って何のためにあるのか?」という存在意義を考えてみました。

学校だけでなく企業でも制服着用を義務づけているところもあります。
制服の存在意義の第一は、活動しやすいところにあります。

これは企業の制服に顕著ですが、学校の制服も機能性に富んでいて活動が容易なように作られています。
とりわけ体操着はその典型でしょう(体操着を制服と同視するかどうかは意見が分かれるでしょうが)。

存在意義の第二は、(とりわけ女性にとって)服装代が節約できるという点です。
昔はどこの銀行でも証券会社でも制服があり、家から職場に直行・直帰の場合はラフな格好でも問題ありませんでした。通勤時だけを気にすればよかったのです。

学校の女子生徒の場合、この効果はとても大きいです。
わが娘は高校を卒業して制服がなくなってから、やたらと服飾代がかさむようになりました。

存在意義の第三は、制服を着ることによる「誇り」や「プレステージ」です。
とりわけ有名校の制服を着ていると、(周囲の見る目が違うのか)誇らしい気持ちになる生徒が多いようです。これは一流企業の制服の場合も当てはまります。

存在意義の第三は、制服を着用していると「馬鹿なことをしてはいけない」という抑止力が働くことです。
とりわけ学生の場合、制服を着用したまま怪しげなところに出入りするとすぐに補導されたりします。街中で騒いでいても「○○高校の生徒たちだ」とすぐにわかってまうので、勢い慎重になります。中には、トイレで私服に着替えてから街中に繰り出す連中もいるそうです。

他にも制服の存在意義はあるでしょうが、今回の公立中学でのアルマーニの選択は、せいぜい第二の理由しかありません。
とはいえ、公立小学校に入ってくる小学生や保護者たちが、「誇り」や「プレステージ」を感じることはないでしょう。校長や教師たちが生徒たちを見回して、悦に入るのがせいぜいというところではないでしょうか?服飾代の節約に逆行していることは言うまでもありません。

また、とりわけ活動しやすく工夫されているようでもなく、(高価な分だけ)汚したり破いたりしないよう活動を萎縮させてしまう悪影響が考えられます。

さらに、小学生に「馬鹿なことをしてはいけない」という抑止効果をかける必要性もさほど大きなものではないでしょう。馬鹿なことをやりだすのは、せいぜい中学生くらいですから。

アルマーニデザインの選定は校長の独断だったと報じられています。
コンセンサス重視の日本社会では異例のことです。アルマーニから校長個人に利益供与がなされているのではないかと誰しもが疑うでしょう。

公立学校の校長には、時として「テレビドラマだけのことだと思っていた」と思われる人物が実際に存在します。
わが娘が通っていた小学校の校長の口癖は「学校の責任にしないで下さいよ」でした…。

不正行為の有無をしっかり調査し、こんなアホらしい制服規定は一刻も早く撤回すべきです。
このまま放置しておくと、来年以降の新入生の保護者が被害を受けるだけでなく、成長してサイズが合わなくなった生徒の保護者にとっても大きな損失になるからです。

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荘司 雅彦
ディスカヴァー・トゥエンティワン
2017-06-22

編集部より:このブログは弁護士、荘司雅彦氏のブログ「荘司雅彦の最終弁論」2018年2月9日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方は荘司氏のブログをご覧ください。