皇室典範の改正案が成立してからも、疑問は後を絶たない。中でも重要なのは「なぜ女系継承ではいけないのか」という疑問だ。国会でも共産党の塩川議員の「女系天皇ではなぜだめなのか」という質問に対して木原官房長官が絶句し、50秒ぐらい答えられなかった。
この問題についての従来の政府答弁は「例外なき男系継承が古来の伝統だから」ということだが、これはおかしい。「例外なき男系継承」というのは日本書紀の神話であり、女系継承を排除する理由にはならない。その理由を整理してみよう。
古代の王制は「合議」だった
第一に、日本書紀は神話であり、天皇の実在が疑わしい。歴史的には6世紀までは氏族社会で、多くのクニが分立しており、男系とか女系とかいう概念もなかった。したがって男系継承の証拠もない。
天皇が世襲になったのは持統以降であり、それまでは群臣の合議で適任者を選び、先帝や群臣が天皇を合議で「共立」する選挙王制に近いしくみだった。天皇には実務能力のある男女が選ばれ、世襲ではなかった。
継体の後も、持統天皇までは双系(男女にかかわらず直系の子に継承する)で、男女比もほぼ半分ずつだった。
大宝律令には「女系でもよい」と書かれている
第二に、世襲が基本になった持統以降も、女系を排除しなかった。男系に限るというルールはなく、女系でも継承できるという明文のルールがあった。大宝律令の継嗣令には、次のように書かれている(現代語訳)。
およそ天皇の兄弟・皇子は、みな親王とせよ。女帝の子もまた同じ。それ以外は並びに諸王とせよ。
ここでは女帝の子も「親王」(皇位継承権をもつ子)になると明記されている。それ以外の皇位継承権のない子は「王」と呼ばれて区別された。つまりこれは女系継承を容認する規定なのだ。
「男系の皇統」は女系継承を排除しない

天皇家の系図(赤は女帝)
女系の公式の定義はないが、これを男系と対称に母方の血統をたどって天皇に到達できることを女系と定義すれば、元正も文武も元明を母とする女系である。女帝は「中継ぎ」ではなく、持統は大宝律令を制定し、その後3代の天皇を決める権力者だった。
この他にも側室から生まれた天皇以外は、母方をたどると天皇に到達することが多い。男系と女系は排他的な概念ではないのだ。実際の継承関係としても、文武は母親の元明に譲位し、元明は娘の元正に譲位した。
父系継承は儒教の男尊女卑の思想
皇位継承を男系男子に限る規定は、明治時代に伊藤博文の起草した皇室典範の原案にはなかった。伊藤は女帝を容認しないと皇位継承が行き詰まると考えたが、井上毅が儒教の男尊女卑の思想にもとづいて男系男子に修正した。このとき彼が、日本書紀ではすべての天皇が(女帝も含めて)男系であることを「発見」したのだ。
現在の「神武天皇以来126代」の皇統譜は1926年に宮内省がつくったもので、そこから遡及してすべてのミカドに「**天皇」という謚(おくりな)をつけた。それは「万世一系」ではなく、男系に限られたわけでもない。
男系の皇統は中国の伝統であり、持統天皇が伝統的な双系の継承に中国の皇帝の原則を折衷したものだが、実態は厳格に適用されたわけではない。宦官が皇帝の血統を守った中国とは違い、日本の御所には男性が自由に入れたので、側室の産んだ子が天皇の子かどうかは確認できなかった。
皇室の伝統には「男系継承に限る」というルールはないのだから、こんなややこしい養子を入れて女系継承を避ける理由はない。皇室典範を改正して女系天皇を容認することが、大宝律令以来の日本の伝統に従うものだ。








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