今週のお題は「就職」。身近で切実な問題なので、たくさん投稿が来ていますが、私はあえて問題提起として、常識とは逆の話をしたいと思います。
大卒の就職内定率が6割を切った原因は、求人倍率が低いからではありません。リクルートワークス研究所の調査によれば、2011年大卒の求人倍率は1.28で、前年より減ったものの、依然として需要超過です。この調査が始まった1987年以降で倍率が1以下になったのは、2000年だけです。ではなぜ4割の学生が就職できないのでしょうか?
それは彼らが選り好みしているからです。規模別にみると、図のように従業員5000人以上の大企業は0.47倍なのに300人未満の中小企業は4.41倍で、新卒に関する限り問題は絶対的な求人不足ではなく、需給のミスマッチです。中小企業(特に流通・外食)は慢性的に人手不足ですが、大学生は行きたがらない。それは、彼らが大学に進学したのは大企業のホワイトカラーになるためだからです。
しかしJBpressで紹介したように、1985年から2010年までの25年間に、学生数は56%も増えました。90年代に「就職氷河期」と言われた時期から大学生が50万人以上増えているのだから、供給過剰になるのは当然です。大卒=大企業ホワイトカラーという図式はとっくに崩れ、昔でいえば高卒の職種しかないのに、それをいやがるから就職できないのです。
そもそも大学は、企業にとって役立っているのでしょうか? 学歴と賃金に強い相関があることはよく知られていますが、これには二つの考え方がありえます。大学教育によって形成される人的資本の価値が賃金に反映しているという説明と、学歴が能力のシグナルになっているからという説明です。
Pritchettが世界銀行で行なった数十ヶ国の実証研究によると、1960年以降の経済成長に教育のもたらした効果は、統計的に有意ではありません。特に大学教育は、人的資本形成にはほとんど寄与していない。つまり大学はシグナリングの装置であり、大学進学は私的には収益率が高いが社会的には浪費である、とPritchettは示唆しています。
もちろん大学教育にはそれ自体の価値もあり、研究者の養成や一般教養なども重要ですが、そういう教育の必要な学生は多めに見積もっても全体の1割程度でしょう。知識産業が重要性を増していることは事実ですが、現在の大学教育はまったくその要請を満たしていない。
要するに就職難の根本的な原因は、必要のない教育を受けてプライドだけ高くなった大学生が多すぎることなのです。少なくとも経済成長という観点からは、大学教育は社会的な浪費であり、公的助成の対象にすべきではありません。今後は、専門学校のような実務教育に重点を移すべきでしょう。
コメント
なんでも大学院資格化して大学の利益を上げようとして
結局は大学縮小整理、そして実学強化せよ
みたいな流れと不況とともになった!!!
大学が多すぎるのは事実でしょう、ここでも老人の搾取が行われているように思われます。特に新設校は定年退職した、もしくはそれに近い教育者としても研究者としても干からびた老人先生の天下りになっています。私立の助成はゼロにする、優秀な学生、研究を選別して助成すべきなのでしょう。
なるほどと思いつつ、プライドというより、
結局、これも、プロスペクティブ理論で説明できるんでしょうか?
大学に行くことがプライドだけを高くしている。言いえて妙です。
逆に言うと、大企業のWhite colorを目指すだけのSignalになりうる大学、と言うのは旧帝大や匹敵する私大だけということかもしれません。
大学は専門学校にすべき。それは間違いありません。最後の2年だけでも十分に専門学校にすれば、元々の能力は入学試験分はあるので、伸びるはずです。
医学部はその観点では正に専門学校の極みで多くの大学では2年生の途中から4年半ほどひたすら専門教育をして、その後臨床研修医と言う実地教育制度もあります。合計6年半で要約半人前にしてもらえます。
大学生が大企業にしか行きたがらないのは、本人の問題
より、両親の問題が多いのです。親が何としても、特に息子
の場合は、大企業に入れたがるのです。
就職は自分で決めるべきだ、というのは建前論で、実際に
は親の抵抗を無視するのは困難なことです。
現実問題として、就職時に求められる身元保証人の書類
作成では、親の世話にならざるを得ないこともあります。
親の反対を押し切って飛び出しても、フリーターのような
仕事にしか就けない現実があります。
池田先生は、大学教授をされておられるので、このような
現状を御存じではないでしょうか?
政府が採るべき教育政策は、大学教育につぎ込まれている1兆3千億円もの補助金を削減し、大学定員を減らし、それで生じた余裕資金を、初等中等教育につぎ込むことだと思います。
供給過剰で人数あわせの学生獲得競争になっている大学に、無節操に補助金を投入するのが間違っているのだと思います。
解決するには試験の成績が一定以下の学生には、補助金を与えなければ良い。たとえば、センター5科目80%以上の入学者数に応じて補助金を算定すればいいのです。そうすれば、大学は優秀な学生の獲得競争になります。
大部分の大学は潰れるでしょうが、残った大学は簡単に無償化できるでしょう。
大学が、レベルの低い学生を、簡単に卒業させないようにすれば、
・内定率の低下
・大学の収益悪化
・学力の低下
・・・
など、多くの問題が一挙に解決すると思います。
全国共通の、「大学卒業検定」のようなものを導入すれば、いいでしょう。
昔なら、中卒レベルの子供が今じゃ,大学生として通用している。分数の計算ができなくても入試選択科目をうまくとれば物理学科や数学科にも入れる場合があるという。
今じゃ訳のわからない大学があちこちの都市に雨の後のタケノコのようにめちゃくちゃに乱立していて、これらが生き残りをかけて,こういう子供、本来大学に来るべきでない子供を大学生にしているのだということだ。
教育市場の無制限の拡大がこういう問題の背景にあると思う。
転職の文化がないのも影響あるでしょう。
職活は一度で終わらせたいので、出来るだけいい会社に入りたい気持ちは分かります。
大学まで行ってお金もかかったでしょうからね。
都市部の飲食店などは中国人労働者などがいないとやっていけないほど人手不足ですが、お店の人の話だと、彼等は仕事に慣れた頃に辞めてしまうそうです。
より賃金の高い職場が見つかればすぐに転職してしまうわけです。
中国工場への出張から帰ってきた人も同じような事言ってました。
優秀な人ほどすぐやめてしまうらしいです。
ビル・エモットも中国人は欧米人より会社に対するロイヤリティが低いとどこかで書いてました。
日本人も転職が当たり前ならスタートは中小企業から始めても良さそうなものですが、意識の問題か、現実にそのような労働市場が機能してないのでしょう。
日本の大学生が不必要にプライドが高いのも仰る通りなのでしょうが。
新卒の選り好みというより、新卒を募集しているという事実自体を知らない学生が多いんじゃないですか。
ネットで検索しようが、就職サイトに登録してようが(実は私学生のふりをして就職サイトのひとつに登録していますが)、中小企業の情報は本当に少ないですよ。日本の企業の9割以上が中小企業だというのに。
大学に就職課だって有名どころは中小企業にパイプは持ってませんし、新参の大学はどこにもパイプなんてありませんので、誘導の仕様もない。
中小企業は中小企業で、特色はといえば「アトホームな雰囲気が…」とか「社長との距離が近い」とか、通り一遍の言葉を並べているだけでとても訴求力が足りない。募集活動に充分な労力を割く余裕もない。そのミスマッチを誰も調整しないからねじれ現象が解決しないのかと。
それに働けるだけマシだと言う人もいるでしょうが、大手企業と中小企業では待遇に明白な差があります。その上キャリアプランを提示できる経営者(人事なんて上等な部門は中小企業にはないのです)も本当のところは数が限られています。多くは口先だけ。ただのリップサービス。中にはブラックと世間が呼ぶ労働基準法違反を繰り返す悪質な会社も数多くあります。ただでさえ日本人は「社畜」と自虐するほど仕事第一、社命ならば法をも犯すところがあるのに、日常的に違法がまかり通っている企業に誰が就職したいと思うでしょうか。残念なことにそれらの企業とまっとうな企業は外から見ても区別はつきません。大手と呼ばれる企業にだってブラックなところはありますが、大手だけあって噂がすぐに広まります。しかし中小企業はわからないので、結果、目に入っても敬遠することになるのではないでしょうか。
一方、中小企業は、大卒がダメなら高卒、専門学校生でいいじゃないか、という論もあります。ですが、高校卒業者は就職率15.8%で史上最低、専門学校や各種学校は信頼できる統計データを発見できなかったので、何とも言えませんが、知人に確認したところ例年になく厳しいとのことでした。不況云々も話に出ましたが、これまで高卒、専門卒を取ってたようなところに大学生が応募してくるので、大変だよ、という言葉が誠に意味深でした。本当に選り好みですか? いや、どちらの選り好みなんでしょうね。
というか学生のわがまま云々言ってる暇があれば、中小企業を含む労働環境をまず何とかすべきでしょう。日本人のホワイトカラーの生産性の低さは折り紙付きですが、そりゃ奴隷同然の境遇に置かれてて上がると思う方が異常です。まともな神経してたらそういうところはできるだけ避けたいと思って当たり前で、ついでに言えば「働いたら負け」を正当化する根拠にまでなってしまいます。
それを学生の質の低下に責任を転嫁し、グローバル採用などといって賃金の安い国から労働力を引っ張ってくる企業が出てきているというのは欺瞞以外の何者でもないと思います。
その意味で、少々危機感が足りないように拝察しました。
ま逆からの視点ですが、「中卒で青田買い」して育てる企業ってのはなしでしょうか?
高等教育程度は企業内でやれるでしょう。弱小予備校、学校法人もそれに併せたデリバリー産業に特化すればいい。それで一般教養や専門技能をしっかり身につけられとなればすべてがwin-win。まずは地方で大手企業、地元産業がこっそりやっちゃえばいいのに、と思います。
優秀なお上りさんがへってくれば都市圏でも追随せざるを得ないでしょうし、自然と大学、大学生のするべきことが変わると思います。
肩書きだけの大学生が増えすぎた根本的原因は、義務教育の過程において、表面上の競争を裏に隠したことです。学校現場から順位付けを排除したことが原因だと思います。みんな仲良く手をつないで一緒に高校へ全入したことが間違いなのです。最近では大学も分数の割り算ができない人がいると言いますが、その人の実力は小学生並ということです。長期間で少しずつ選別してきたモノを先送りし、就職といういよいよ先延ばしできない最後の審判で選別されることが悲劇なのです。15歳で傷つくのが可哀想だといって先延ばしした結果が22歳の大悲劇というわけです。15歳なら学校勉強以外の分野でいくらでもトップが狙えますが、22歳ではその可能性も風前の灯火でしょう。私は中学生のころから成績表を学校で全面的に張り出すべきだと思います。それで学校勉強における自分の位置を確認するのです。全国順位を公表してもいいくらいです。で、高校の定員を半分にし、大学の定員をその半分にすることです。今からやれば7年後には氷河期など消失するでしょう。
米国では企業法務(契約書の作成等)、企業会計、コールセンター、クレディットカードの請求処理までインドに外注している。日本語という非関税障壁があるので日本では米国と同じ事は出来ないが、それでも電子機器のソフト開発の多くが国外で行われている。国内で外国人を雇用しなくても研究、開発、設計、マーケティング等の仕事は今後、益々国外で行われるようになる。
昔は難関校もでも理工系が文科系よりはるかに入学は困難だったが、今は逆転している。新卒の技術者の能力の低下には驚くばかりだ。中国の大卒は毎年日本の十倍以上いる。当然、優秀な新卒者の絶対数は日本より中国の方が多く、草食系日本人と異なり競争意欲も上昇志向も高い。グローバルに競争する日本企業が国内外で外国人を採用するのは自然の成り行きだ。
TPP、法人税率、人件費、雇用や解雇規制、インフラのコストを考えると企業は国内外で外国人の採用を増やさざるを得ない。国と一緒に心中しようとする企業は株主に見捨てられるだけだ。ソニー、ホンダ、日産他の大企業を日本の企業という事さえ疑問に思える。多くの株主は外国人で主な市場も外国だ。(日本)企業が日本人従業員を優先することの方がおかしいのだ。
小学校から教育を電子化してインターネットや放送を用いパソコンやテレビで学習できるようにすればよい。各自が自分の能力やペースで進めることができる。全体のレベルも上がり、日本社会のレベルも向上し、雇用を受け入れることが可能となるはずだ。
高卒就職者が減って 大卒就職者が増えて 社会がそれほど変わってないなら、 高卒向きの仕事に。と はっきりか書かれてて 長年の疑問が氷解した。 昔 どんな就職難の時でも求人はあったが 恐ろしい程の低賃金だったと 年寄りから聞いたことがある。
大学を卒業したはずなのに小学校で教える内容を理解してない人が続出し、企業にとって実のところあまり役に立ってない大学の本当の存在価値はシグナリングにある、大学教育は人的資源を無駄にしている、ということですが、別のシグナリングの仕組みを用意するという方向性はどうでしょうか。
中学校までで教える範囲を出題範囲として、統一学力テストを毎年実施し、各科目のスコアを各種選抜時に参考にするようにするのです。一度だけしか受験資格がないのではなく、毎年受験可能にします。つまり、TOEICの各科目版です。そういうものを作れば、シグナリング装置としての大学の存在価値は低くなり、中卒や高卒でも、スコアによっては良い条件で採用する企業も出てくるのではないでしょうか。
生産と消費はひとつの活動が持つふたつの属性で、どちらの属性がより強く意識されるかによって分類されているのでしょう。労働も生産と消費の両面があり、豊かさや何かによって次第に消費としての意識が増すのだと思います。本来、賃金=生産価値-消費価値で決まるべきであり、消費価値がマイナスの労働は生産価値へのプレミアムが必要です。しかし、構造的に生産価値以上の賃金を支払うことが不可能であり、また、生産価値を大幅に下回る賃金を支払うことが社会的に認められないために、需給のミスマッチが起こります。これが自然失業率のひとつの要因でしょう。人々が労働に対する消費としての意識を高めるほどに自然失業率は高くなります。これを解消するには、人々の労働に対する消費としての意識を下げる(大卒者を減らすのもそのひとつ)か、全体の賃金原資をプールして再分配するような仕組みが必要でしょう。
私は香港・深�祁・上海・セブで面接を行った経験があり、高卒と大卒の両方を実際に採用した結果をくらべてみると、高卒と大卒で明らかな違いが見られるのは、「机に座ってやる管理的な仕事」の適正でした。
日本の文系学生は勉強しないそうですから除外するべきかもしれませんが、机に座ってやる管理的な仕事は精神的な忍耐を要するので、大学を卒業「できた」人の方が、私の経験によれば適正があるようです。
そういう意味で、私は大学のゼミや実験などで、レポートの作成と提出を定められた期間に繰り返させる訓練は、就職後に企業内で最も価値があるスキルだと考えています。
どんな資格よりも「新卒」という肩書きのほうが強い、という日本特有の事情が大きいと思います。「選り好みするな」と言われても、「新卒」カードは一生に一度しか使えない以上、学生は慎重にならざるをえない。
「プライドだけ高い」とも言えなくもないが、親も本人も「必要のない教育」だったかもしれない、その教育を受けるために膨大な時間、労力、お金をかけたわけで、大企業と中小・零細企業の間に賃金や労働条件において明確な差があり、日本の雇用市場が極端に硬直的であることを考えれば、不況の時ほど「とりあえず働く」という行動はとりづらいでしょう。
また、「新卒一発勝負」であるからこそ「つぶしがきく」普通科高校から四年制大学に進学しようとする、親も学校もそのように指導する、というのもあると思います。ドイツでは13歳で高等教育機関へ進むか職業訓練校へ進むか選択します。しかし、途中でのコース変更も可能だし、なにより「終身雇用」「新卒一括採用」などという慣習がない。
ちなみに日本では、福田康夫政権の時に「留学生受け入れ30万人計画」という方針が打ち出され、大学全入時代の今、専門学校や、「底辺校」と呼ばれる大学にとって最大のお客様は外国人留学生です。
日本は留学生のアルバイトを認めている国なので、日本語があまり話せない学生は大手メーカーの下請け工場などで単純作業のアルバイトをします。下請けの中小企業も、日本人を雇えるほどの給料は払えないので外国人を積極的に雇います。
皮肉なことに、日本のものづくりの現場では、こうして雇用のミスマッチが起きない仕組みができあがっています。
別にさして難しいことではないでしょう。
席は埋まっているのです。其れも、優秀な人材から順番に。
誰しも自分は優秀だと思いたいのですが、残念ながら、一番優秀であれば、一番に決まるのです。それだけのことです。
企業の姿勢や、慣行や、制度などの問題ではありません。
単に、既に席は埋まっていますと言うだけのことに過ぎません。
勿論、優秀な人材があぷれているという皮肉な現実もあることでしょう。でも所詮人生などそんなものです。不平を言っても始まりません。
今そこにある現実を受け容れるしか生きる術はないのです。その覚悟、決めて下さい。
リクルートワークスのデータを使って求人不足ではなく、需給のミスマッチと言い切るのは無理かと
リクルートワークスのデータみると
民間企業就職希望者
総数 455,700
図の数をすべて足すと
大企業希望者+中小希望者=希望者総数 となる
大企業と中小企業を両方受ける予定の人はダブルカウントされてない
第一志望が大企業なら大企業希望者とカウントされて
仮に中小企業受ける予定があっても中小企業希望者にはカウントされない
この調査からは学生の希望しかわかりません。
学生が実際の就職活動で中小を受けたかどうかなんてわからない。
「学生が中小を受けないから就職がきまらないのだ」とは言えないのです。