いまこそ、ケインズとシュンペーターに学べ―有効需要とイノベーションの経済学
著者:吉川 洋
発売日:2009-02-27
販売元:ダイヤモンド社
岐路ないしは峠を語源とする「危機」の処方箋を求めるとき、人はおのずと「過去」へ回帰する。そこに待ち構えていたのは、二度の世界大戦と大恐慌に象徴される激動の時代の最中を果敢に生き抜いた天才経済学者ケインズとシュンペーター。昨今の世界金融危機に彼らがいかなる発言(苦言)を呈するか、これはなかなかスリリングな問いかけではないか。真摯かつ謙虚に「学べ」と謳う本書の表題は、いくぶんトーンが高く熱気を帯びた、たくましいタイトルだ。元原稿の連載開始は2001年。当該著作は吉川氏の長い思索の結晶であり、「危機それ自体の産物(便乗本)」ではない。
本書の目的はケインズとシュンペーターの主著に基づく知的遺産やその現代経済への影響・教訓を、時代的・歴史的背景に考慮して立体的に描き出すことだ。両雄のビジョンと経済学の鋭い対照性に主眼を置きながら、日本人を含む数多くの多彩な経済学者との交流を巧みに盛り込んで展開される論述内容は、啓発的な国際経済学説史(理論史)に値する迫力を有し、まことに読み応えがある。いわば「国民目線」に立った筆致も十分にうかがえる。それは時折、間奏曲(10頁前後の短い諸章)を挿入した交響曲を奏でているようだ。日本経済の位相(高度成長期、バブル崩壊期、デフレ不況期)に絡めた主著の平易で明晰な解説も、本書に対する親近感を高めよう。
ケインズの経済学は、有効需要によって一国全体の産出(雇用)水準が決定されるビジョンを精緻化した「有効需要の理論」である。投資を最も重要な戦略的変数とみなす理論は、その不安定性に資本主義経済の変動・景気循環の主因を見出す。貨幣の保有動機と密接に関連しあう将来に対する「不確実性」や「長期の期待」も金融市場の動的不安定性を惹起する諸力を孕む。人間の内的衝動「アニマル・スピリッツ」がケインズ理論の基底にある。シュンペーターの経済学は、事務的ルーチンをこなす経営者とは次元を異にする企業家によって遂行される新結合(新商品や新生産方法の開拓)が、資本主義経済の本質たるダイナミズムと捉えるビジョンを体系化した「イノベーションの理論」だ。それは外的変化への適応でなく、既存の経済システム内部から新たな質的変革を生み出す非連続的な「発展」、つまり「創造的破壊」のプロセスが骨格をなす。
ケインズ(マクロ、短期、需要サイド、貨幣的理論、貨幣的現象としての利子率、不況・失業解消論)とシュンペーター(ミクロ、長期、供給サイド、実物的理論、実物的変数としての利子率、不況・失業宿命論)の学説は顕著に異なり、自らのビジョンと経済学の統合など当人らはそもそも想像だにしなかっただろう。とはいえ、彼らが標榜したビジョンは「人間的(生物的)」ゆえに本源的弾力性を有し、包容力に富む。ケインズが一貫してシュンペーターを無視したのに対し、シュンペーターはケインズを強く意識し続けた事実にも留意するとき、両経済学の「有機的統合」をめざす著者の営為は、ある種の逆説的インパクトを照射しすこぶる興味深い。その当時、両者間で生じうるはずもなかった有意義な「対話」を実現させるべく、二人が交叉する一点を「需要の飽和」に帰結させ、「需要創出型のイノベーション」モデル―資本主義における最も枢要な核心的論拠―という斬新なマクロ経済理論の実像の意義が語られる。そこには、過去30年間におよぶマクロ経済学の迷走ぶりへの率直な批判精神とともに、「共創」精神が示唆されている。
著者は、「世界的な金融危機、大不況の下でわれわれに導きの糸を与えてくれるのは二人の経済学だ」(270頁)と総括する。<未知なる可能性>という意味合いも含意されていよう「極上のレンズ付きの眼鏡」と称される両者の経済理論は万能ではないが、経済学のフロンティアを切り開く大河となりうる。彼らの雄大な<ビジョン>は今も健在だ。「ケインズ+シュンペーター=2」では決してない。
本書を読了し自然と愛着めいた感慨が湧き起こるのは、著者自身が偉大なる先達としてのケインズとシュンペーターに多大な敬意を払って接しているからだ。経済学の快活な息吹が鮮やかに内包された力作の誕生。愛着は果たしてどこに帰着するのか、それは吉川ビジョンのより一層の成熟を切望する純真な心的姿勢に違いない(なお現在も版を重ね7刷まで進行中、本書の学術的価値の高さを端的に示している)。
(塚本恭章 愛知大学経済学部専任教員(2011年4月から)、日本学術振興会・前特別研究員、博士(経済学:東京大学))