日本代表が卑怯な作戦を選んだのは事実、正当化すべきでない

松本 孝行

未だに長く語られている日本対ポーランドの一戦は歴史的な試合になったと言えるでしょう。海外のメディア、日本のファンからも非難の声が上がる戦い方でした。残り時間をボール回しで消費し、負けて決勝トーナメント進出を決めました。ポーランドもボールを積極的に取りに行くことはしなかったことも功を奏したといえます。

この試合について私は日本は卑怯な戦い方をしたのは事実だと思います。そしてそれを批判する人たちの声も当然です。それを「いや、西野監督は正しかったのだ!」と正当化するファンを見るとがっかりしてしまいます。

日本代表が卑怯な作戦を選んだのは事実、正当化すべきでない

コロンビア・セネガルが引き分けを狙う可能性もあった

まず大前提としてこの逃げ勝ちの戦法はコロンビアとセネガルがまともに戦ったからこそ使えた戦術であるということを押さえておかないといけません。日本がポーランドに失点したのは後半14分、コロンビアが得点を上げた後半29分よりも前です。

当然コロンビアもセネガルも日本の試合は気になっていたため、情報は逐一入ってきていたでしょう。ですので、後半14分に日本が失点した際にコロンビアとセネガルがスコアレスドローを狙うこともできました。スコアレスドローだとセネガルもコロンビアも決勝進出できるからです。

しかしコロンビアもセネガルもボール回しをするという選択をとらず、両チームともにリスクのある戦いを行いました。セネガルはそもそも引き分けでも良かったので、コロンビア側がスコアレスドローを狙うためにボール回しをした場合、それを素直に受け入れた可能性は高いでしょう。でも両チームとも最後まで白熱した戦いを見せました。

裏の試合がまともにぶつかったからこそ、日本は卑怯な逃げ勝ちができたのです。

正しいことより親切なことを選べ

ではこの逃げ勝ちはダメなのか?というとサッカーというスポーツで考えれば全くダメです。「真正面からぶつかり合う」「無気力プレーはしない」という大前提で行われているサッカーを台無しにする行為です。だから世界中から批判されるのも当たり前です。

ただ、勝負に勝つためには必要な作戦であったことは事実です。スポーツとしては正しくないですが、ワールドカップという真剣勝負で決勝トーナメントに進出するためには必要でした。ですので、勝負の世界に身をおいている日本代表にしてみればこの作戦は正解だったと言えるでしょう。

卑怯な戦い方ですが総合的に勝つために必要だった、それが今回の結論でしょう

現在公開中の映画「ワンダー 君は太陽」では「正しいことより親切なことを選べ」という格言が出てきます。時として人間は正しいことを行うよりも、優先されることがあるという教えでしょう。まさに勝負の世界であるワールドカップでは正しいことより勝利を選んだ、と言ったところでしょうか。

正当化せずに粛々と受け止める器が試されている

今回の件でいろいろな方が「いや、日本の行為は正しかった!」と主張する人を度々見かけます。海外メディアからバッシングを受けて、反論したいという気持ちはわかります。自分たちの日本代表の行為を正当化したいという気持ちもわかります。

しかし人生においては正しくない選択を行うことも当然あるし、それに伴って行われる批判はあえて受け止めるべきです。「勝つために必要な作戦だった」といえば十分で、それ以上日本代表の行為を正当化する必要はありません。目的を達成するためには多くの人にバッシングされたとしても、やらなければならないこともあるのです。

日本代表はバッシングを受け汚名を着せられる行為を、目的達成のためにあえて選びました。「試合をつまらなくした、卑怯な戦い方だった。しかし総合的な勝利のために必要だった」そう受け止められる器が我々日本人に今、試されているのではないでしょうか。