オーストリア、小学生では移民出身が全体の51%

欧州が東西分割されていた冷戦時代、アルプスの小国オーストリアは旧ソ連・東欧共産圏から200万人以上の政治亡命者を積極的に収容し、“難民収容国”という呼称を得た。ソ連・東欧共産圏の崩壊後(冷戦後)、政治亡命者が急減する一方、欧州の経済的恩恵を共有したいと願う経済難民が増えてきた。

▲ドイツ行きの列車を待つ難民家族(ウィーン西駅構内で、2015年9月15日撮影)

▲ドイツ行きの列車を待つ難民家族(ウィーン西駅構内で、2015年9月15日撮影)

2015年には中東・北アフリカから難民・移民が欧州に殺到。「15年前」と「15年後」では欧州の政情は大きく変わった。100万人以上の難民が殺到したドイツ南部バイエルン州で長い間州首相(当時)だったホルスト・ゼーホーファー内相は、「難民・移民問題が欧州が直面する全ての問題の根源にある」と言っているほどだ。

オーストリアの難民統合を担当するカリン・クナイスル外相は13日、「2018年統合報告書」を公表した。それによると、同国では移民出身の国民はほぼ200万人で全体に占める割合は23%。10年前の08年は16%だった。一方、外国人数は139万5000人で外国人率は15・8%(08年10%)とこれまた大幅に増加した。

移民・難民の社会統合状況を見る。まず、雇用市場では全体に統合の遅れが目立つ。同国の失業者数は約41万2000人で失業率は7・5%と欧州連合(EU)加盟国では低いが、外国人に限ると、その失業率は12・5%と高い。移民の場合は出身国によって状況は異なる。トルコ出身の場合、約55%が雇用市場に統合しているが、シリアやイラク出身の場合、27%と低い。トルコの場合、第2次世界大戦直後からドイツやオーストリアで労働者として働いてきた長い歴史があるから、オーストリア内にもトルコ・コミュニティがあって、雇用市場も他の出身国の移民・難民より断然有利だ。

オーストリアも日本と同様、高齢化、少子化が進んできた。同時に、雇用市場では専門職の労働力不足が深刻になってきている。オーストリア連邦商工会議所は政府に一定の移民の受け入れを要求している。

次に、教育・言語分野から見た社会統合では、遅れが目立つ。初等教育の学校では28万857人の生徒がドイツ語を母国語としていない。その率は全体の25%にもなる。首都ウィーン市の場合、非ドイツ語圏出身の生徒数は全体の51%(11万8693人)と遂に過半数を超えた。初等教育を終えた生徒で高等学校に行かないが、基礎教育や職業教育を修得する中等学校(Mittelschule)となれば、非ドイツ語圏出身の生徒の割合はなんと73%だ。クラスは外国出身の生徒で溢れているわけだ。

だから、ウィーン居住のオーストリア人市民の場合、子供を地元の公立学校に送れば、ドイツ語学習が遅れ、他の学科教育も難しくなるから、経済的に豊かな家庭では学費の高い私立学校に子供を通わせる。

例えば、オーストリアの元首相(在任2007年1月~08年12月)のアルフレート・グーゼンバウアー氏の場合、自分の娘を学費がウィーンで最も高い学校といわれたフランス語国際学校に送っていた話はよく知られている。

移民・難民の社会統合を進める政治家が自身の子供を私立学校に通わせるケースはグーゼンバウアー氏だけではない。公立学校はドイツ語を母国語としない子供たちで占められ、地元のオーストリア人の子供たちは自宅から遠く、学費の高い私立学校に通うということはもはや珍しくない。

なお、今年8月に国連人権高等弁務官に就任したミシェル・バチェレ前チリ大統領は今月10日、就任初の演説でオーストリアを名指しで、「難民収容状況を監視するため専門家を派遣する」と述べた。そのことが報じられると、オーストリアのクルツ連立右派政権の中には、「なぜわが国が監視されなければならないのか」といった不満の声が聞かれた。昨年12月に発足したクルツ連立政権には反難民、移民政策を主張してきた極右政党「自由党」が参加していることがあるからだろう。「国民党」出身のクルツ首相は「偏見を解決するために監視団の派遣を歓迎する」と述べ、冷静に受け止めている。


編集部より:このブログは「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2018年9月15日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。